パワースポット上高地明神館

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江戸時代初期にに始まる明神館
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15年は4月25日から営業始まります。

http://www.jhpds.net/myojinkan/uw/uwp3100/uww3101.do?yadNo=311799

電話。0263−95−2036

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上高地の地図 明神館

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上高地の名前の由来

上高地とは、現在、正式には、大正池、河童橋、明神、徳沢、横尾。
この間の16キロに及ぶ、
梓川流域の平坦な盆地を言う。

大昔より
   峠の下の村の領地として、上口、または、上河内 「かみこうち」と、
呼ばれていた。

ただ、太平洋戦争前まで
   上高地の入口であり、
   中心地であったのは、徳本峠を下りた場所、今、明神館のある、明神の地。

頭上の穂高岳の鋭い、岩峰群が、まっ先の上高地の景色でした。

穂高岳は穂高明神の御神体。現在名、明神岳岩峰群 。

現在は、穂高岳と言う山が、地図上に無いのは、 このためです。

   

   ゆえに、現在の明神地区だけは

   特別に、「上」の代わりに

   明神から神社までは、神域で、有ることから、

   「神」の字を使い、

    「神河内」(かみこうち)、と呼ぶ事が許されていた。

   かみこうち全体を呼ぶ場合は、

     「上河内」から、「上高地」と、
      書くようになり、
   かみこうち。

   穂高神社では、
「神降地」(かみこうち)、というが、
   
   明神とは、現人神(人間)
   安曇族(海族)日本最初の海軍の大将軍が、天から降りることは無い。

  
    北九州志賀を最初の根拠地とする、安曇族(綿積)の神です。


   ただ、 

     穂高岳=明神岳の朝焼けは、
   
   まさに「神降りる地」 神降地を感じさせる、

   てっぺんから、下に降りて来る感じは、

   荘厳さが有り、見た者でしか、わからない。

  
    
   写真は、江戸時代、

  「善光寺道名所図会」の穂高岳、

   穂の様に何本も鋭く、高い。真下に穂高神社奥宮と明神池(三霊湖)


   最近は、信州長野県のパワースポットの一つといわれてます。




余談ですが、
   峠(現在名、徳本峠)から、見た景色を、
   イギリス人、技師、ウィリアム ガーランドが、日本アルプスと名づけております。
   その後、日本中遊んでいた、ウェストン卿が、徳郷(現在名、明神)を、主体とした、
   上高地牧場から、2名の案内人を借り、山遊びし、本で広めた。
   さらに、昭和初めまで、穂高連峰と呼ばれたのは、峠からの景色。
   昭和初め、釜トンネルが出来るまで、
   今のように中の湯方面から、
   誰一人も、
   かみこうち、には、入る事は、できなかった。
   昭和30年代に入り、河童橋付近が、観光地として、避暑地として、非常に興隆し、
   河童橋が上高地のシンボルとなるに至っています。
   

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上高地とは、非常に古い、しかも、

歴史から消し去られたところです。

本来の穂高岳(明神岳岩峰群の事)が御神体になります。
早朝の朝焼けは、時には、天から神が降りてくるように見えます。
明神様と言うのは、実在の人を神として祭る時の神の事。
金印出土の博多志賀島に居た、宇都志日金サク命が、鋭く尖ったこの穂高岳を見て感激し、名前を穂高見命と変え、穂高岳を御神体にしました。
海の神の一族ワダツミ族=安曇族の最高位の長となります。
神産みの時、日の神、月の神、海の神が誕生しています。
特に海の一族は、天皇家発生以前のご親族として、
日本の海軍として、壮大な武力も持っていました。
平安時代、政権の中枢に居た中臣族(藤原氏)に滅ぼされ、
歴史上、神話上からも、消される運命をたどります。
消された一族、ワダツミ族=安曇族と言う事です。
ただ、全国各地に地名として、名字として、安曇族の足跡はいまだに残ってます。

明神池は、最近になって定着した名前で、
宮川の池と言い、社の、御手洗水の事。
お船を出してお祭りを10月8日に行いますが、
外にも、船を出す、あるいは船の代わりとして、
山車を出す神社は、おおかた、海族に関連の有る神社となります。

最近は、信州長野県のパワースポットの知られざる一つとなってます。

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上高地、明神とは、明神館の名前を略して付けた、地域名です。


ここから頭上に見える山は、山姿から、古来単純に穂高岳と呼ばれてました。

明神岳最南峰、右に第4峰、さらに右に主峰。


明神から見える山群は、元々穂高岳であり、

今のように、釜トンネルから人が入る事は、全く予想もしてなかったので、

菊の紋章を持つ、穂高の神の御神体でも有る事も有り、

明神岳と、穂高岳から、大正年間に穂高岳の尊称として、名前変更してます。

そのため、現在の地図には、単純に穂高岳と呼ぶ山は、存在してません。

江戸時代の善光寺図絵にも、3本の鋭く尖った高い穂高の真下に

霊湖(最近名前の定着した明神池)が有ったと記されてます。


海神が、感激して名前を、変えたとされる、

しばしば有る、明神岳(穂高岳)の朝焼けは、神をも畏怖させる時も有ります。

池には、朝もやも出る事も有ります。


http://www.myojinkan.co.jp/

http://www.mcci.or.jp/www/mjk/

正式HPは、2個有ります。詳細な案内HPと、簡単に雰囲気を伝えてるHP

上高地散策と、登山の基地です。

明神の十字路ですから、明神分岐と書いてる地図も有ります。



ここの最近のハッキリしてる歴史を伝えると、今、明神と言われているこの地は、

江戸時代初期からは、上高地中の木の伐採の中心地として栄え。

明治時代には、上高地牧場の中心地として、上高地中に牧場を作ってます。


そのさなか、イギリス人のウィリアムガーランドさんが、峠からの景色を、日本アルプスと名付け、

イギリスのウエストン卿さんが、上高地に来る事となる、

彼に対して、上高地牧場側は、2名の山案内人を出し、その手助けをした。






本来の穂高岳(明神岳岩峰群の事)が御神体になります。

早朝の朝焼けは、時には、天から神が降りてくるように見えます。

明神様と言うのは、実在の人を神として祭る時の神の事。

金印出土の博多志賀島に居た、宇都志日金サク命が、鋭く尖ったこの穂高岳を見て感激し、名前を穂高見

命と変え、穂高岳を御神体にしました。

海の神の一族ワダツミ族=安曇族の最高位の長となります。

神産みの時、日の神、月の神、海の神が誕生しています。

特に海の一族は、天皇家発生以前のご親族として、

日本の海軍として、壮大な武力も持っていました。

平安時代、政権の中枢に居た中臣族(藤原氏)に滅ぼされ、

歴史上、神話上からも、消される運命をたどります。

消された一族、ワダツミ族=安曇族と言う事です。

明神池は、最近になって定着した名前で、

宮川の池と言い、社の、御手洗水の事。

お船を出してお祭りを10月8日に行いますが、

外にも、船を出す、あるいは船の代わりとして、

山車を出す神社は、おおかた、海族に関連の有る神社となります。







ここの事を知らない方が多いので、簡単に、ご説明です。

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