もう2月!?(TεT)
今年は寅年…って、既に巷では干支ネタなんて見向きもされませんけど(*▽*)
せっかくなので、
「寅年に相応しい城ネタ」を正月気分でご覧くだされ(爆)
↓寅=虎といえば、この方ですね(゚∇^d)
↓だけど、熊本城じゃありませんよ!イザみちのくへ!
〜丸岡城解説板より 一部修正〜
丸岡城跡及び加藤清正墓碑
丸岡城は、鎌倉時代から天正年間まで当地方を治めた武藤氏の支城でした。大梵字(鶴岡)の南方にあり、六十里越口と大鳥越口を押さえる要地として、後に兄・武藤義氏の跡を継ぎ尾浦城主となった丸岡兵庫義興が在城しました。
武藤氏の後、上杉氏、さらに最上氏が領有しましたが、元和元年(1615年)の一国一城令により城の楼閣は取り払われ、最上氏改易の後、元和8年(1622年)に酒井氏が領するところとなりました。
寛永9年(1632年)、加藤清正公の嫡子であった肥後54万石の領主・加藤忠廣公が幕府に領地を没収され、庄内藩酒井氏に預けられました。
酒井氏は、この城跡に忠廣公と生母・正応院様の居館、女中の長つぼね、家臣の長屋などを新築しました。この館は丸岡大火によって消失してしまったため、忠廣公が京都にあった館を移築し、承応2年(1653年)に忠廣公が逝去するまで居住し、その後は幕府御領となりました。
城跡の広さは約2haで、南側の一部は住宅地となり、ほかは主に畑地となっています。四方を囲む堀のうち、残っていた北側部分が復元され、邸内に今も姿を留める奥庭の泉水(百間堀)と庭石(神子石、太夫石)が僅かに往時を偲ばせています。
城跡に隣接する天澤寺の本堂裏に五輪塔があり、昭和24年(1949年)の発掘調査で地中から肥後弓野窯の遺骨壷が発見されています。また、天澤寺境内には忠廣公の家臣らの墓もあります。
↓ここから入ります…「民家みたいな門構えで気が引ける」って? 大丈夫!(゚∇^d)
↓なんたって表札が「墓」ですから!^^
↓でも意表を衝いて最初に出迎えるのは 上山城城主・里見民部だったりして…
↓清正公の墓碑は本堂左のここから突入します♪ 門には虎の陶板が掲げられています
↓お目当ての「加藤清正墓碑」( ̄ー ̄)v 忠廣が丸岡に配流になった際、清正の遺骨を密かに運び、この地に葬ったそうです
↓これが覆堂の中の五輪塔! この下から肥前弓野焼の遺骨壺が発掘され、清正の墓碑と判断されました
↓これが肥前弓野焼の遺骨壺! 1600年頃に製作されたものとみられています
↓調査の後、遺骨壺は覆堂の中の五輪塔の下に戻され、清正は退治した虎(ちょっと顔が「寅さん」っぽい^^)に守られて再び深い眠りについています(-∧-)合掌
↓こちらは「清正閣」前述の遺骨探索の際、まず1番手に清正閣の下が発掘されました この時期に行くとアシナガバチの大群に歓迎されちゃったりします(ノД`)
↓その際、遺骨ではなく清正着用と推定される鎧兜が発見されました!これがその兜です!!
↓ここからは丸岡城の遺構を紹介します まず北側に遺る東西に伸びる外堀跡
↓こちらは百間堀 忠廣屋敷の庭の泉水だったそうで、外堀と区別して百間堀と呼ばれています
↓この石は「太夫石・巫子石」と呼ばれ、忠廣が両親を密葬した聖地です 太夫石には父・清正の骨壷を埋葬し、巫子石には母・正応院を土葬したそうです
↓お城稲荷の横には古井戸があります 武藤氏時代のものか、加藤忠廣時代のものかは不明だそうです 鳥居の右側の盛土は土塁のように見えますが、実は直角に曲がった延長線上で重機で削られていますので、「もどき」なのでしょうね
↓お城稲荷のすぐ東には石碑&解説板がありますので、要チェックです! ちなみにこの辺りに大手門があったとか…
毎年、山形に渓流釣りに行く度に気になっていた丸岡城をようやく攻略することができました(^-^)v
5、6年前に初めて丸岡城&清正墓碑の看板を目にした時は「何故、山形で清正!?」とB級史跡スポットを連想しましたが、とんだ勉強不足でした(ノ´_`)
丸岡の地には昔から「忠廣が清正の遺骨を熊本から丸岡城に運び、密かに葬った。」という言い伝えがあり、大正時代には熊本から発掘調査の要請がありましたが、「時期尚早」として断っていたそうです
最後まで豊臣家の行く末を案じていた清正でしたが、子・忠廣の代で肥後54万石を失い、遠く出羽・丸岡の地に眠り、同じく秀吉股肱の猛将として並び称される福島正則も安芸49万8千石を召し上げられ、信州・小布施の地に眠る…なんだか不思議な巡り合わせですよね…
山形県の戦国時代というと最上、上杉、直江ばかりがクローアップされてしまいますが、ここ丸岡の地では大坂の陣の後、幕藩体制の総仕上げの犠牲となった豊臣恩顧大名の挽歌が奏でられていたのです
最後に、古井戸と鳥居の間に生えている梅の木が辛うじて画像でも見えると思いますが、この場所にはかつて朝鮮王が清正に贈り、忠廣がこの地に移植した一重咲白梅が江戸時代末期まで咲いていたそうです
清正+朝鮮というと、どうしても「虎」を思い出しますよね^^
という訳で、今年も100城攻略に
デキ太さん、るなさん、千福城&成瀬城の記事は少々お待ちくださいませ
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お久しぶりです。じっくり読ませていただきました。小布施・川中島に福島公のお墓。なんか因縁めいた?ものを感じてしまいます。
2010/2/11(木) 午後 8:45
ご無沙汰です。私も全然知りませんでしたよ。
山形に清正のお墓・・。
2010/2/11(木) 午後 9:25 [ mat**u_p*pa ]
初めまして。
ここ私も訪ねたことがあります。
ブログとは縁遠い頃のことでしたので、なつかしく思い出されました。
ありがとうございます。
2010/2/11(木) 午後 9:33
清正公の墓が山形にあったとは・・・・知らなかった!!
機会があったら行ってみます。
2010/2/11(木) 午後 9:50
ひそかに山形に移していたとは・・・
熊本から山形まで遠いっすね〜
2010/2/11(木) 午後 10:11
忠廣は徳川忠長との仲で謀反の企みか何かで犠牲になったような記憶が…。
すべては土井利勝の陰謀でしょうな。
2010/2/11(木) 午後 11:51
丸岡城!?…あれっ石瓦の天守ない…(^-^ゞ
TBの用意もしたのになぁ(笑)
山形県にカトちゃんの墓とは!意外なとこに意外なものを発見すると
喜びも倍増ですよね。 次回は成瀬城かなぁ(*^ー゜)b
2010/2/14(日) 午前 1:06
makuさん
「じっくり」かたじけのうござる<(_ _)>
拙者も久々に川中島にも出撃したくなりましたよ♪
2010/3/3(水) 午後 10:45
マッツゥさん
こちらの世界ではご無沙汰です^^
ここ、いつも通り過ぎるだけで気になってたんですよ〜
訪問時には堀周辺を整備中でしたので、攻めるなら今年が狙い目かも
2010/3/3(水) 午後 10:49
ビナヤカさん
はじめまして、コメ有難うございます<(_ _)>
拙者、ブログとは縁遠い頃に攻略した約450城を再訪し、掲載すべく、諸国を駆けずり回っておりまする^^
超スローなコメ返しで申し訳ありませんが、色々な書庫に遊びにいらしてください
2010/3/3(水) 午後 10:55
デキ太さん
是非、機会を「作って」行ってみてくだされ!
蔵王はまだまだ滑れますよ〜^^
2010/3/3(水) 午後 10:56