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≪日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集局次長のコラムです。≫ 【ある定年】 運動具メーカーから球団に出向して23年。定年を迎えてある職員が退職した。 メーカーにしてみれば「彼」の出向は、いわば商売相手の球団に食い込むための「人身御供」で、 要員を提供したことで恩を売った程度の認識である。 だからその仕事ぶりを誰も期待しなかったし、「彼」もまたほとんど裏方で試合前練習の用具を セットしたり、打撃練習用のボールを籠に集めるなどの、要は雑用係に黙々と徹した。 ただ、仕事は陰ひなたがなかったし、休みもそこそこに、皆勤に近い働きぶりだった。 「定年になったのでそろそろ仕事も切り上げます」 と、「彼」から言い出されて球団関係者も「もうそんな歳になりましたか」 と気が付いたくらいである。 型どおりのささやかな送別会が行われて、「彼」は職場を去った。 特別重要な仕事をしていたわけではなかったから、後任はアルバイトでまかなった。 当座は何の変化もなかったが、しばらくして練習用のボールの消耗がいやに早いことに 関係者は気が付いた。 球場試合前の打撃練習で使用するボールだからそんなに無くなるはずはない。 ただし、ボールの傷みが妙に早い。アルバイトに尋ねてみたが特に管理に問題があるわけではなかった。 誰もが首をひねったが「そう言えば…」とある古参の職員には思い当たる節があった。 ボールを管理する倉庫の片隅に以前はボロ雑巾が積まれていたし、 「彼」の後ろポケットにはいつも小さな缶の、皮用メンテナンス・グリスが入っていたことを 思い出したのである。 4月9日、阪神金本が連続フルイニング出場を904とし世界新記録を樹立した。 足かけ8年にも及ぶ、黙々と積み上げた偉業だった。 「休むと言うことは…仕事を放棄することだ」 「弱音や言い訳は、心の中で言っている。心の中は言い訳ばかり。 言わないのは、負け犬のように思われたくないから…」 金本の言葉は重い。 「彼」もまた、思いは同じではなかったか。 |
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