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≪日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集局次長のコラムです。≫ 【海ゆかば】 今年のこのコラムは追悼記事ばかりが並ぶ。 昨年末仰木彬が急逝し、年が明けた1月2日、近藤貞雄が亡くなった。 2月9日は藤田元司。球界にとってかけがえのない人たちが彼岸へ渡った。 そして、5月26日。 アマチュア野球の総本山、日本野球連盟の会長を長年務めた山本英一郎が逝った。 さほどつきあいがあったわけではないが、一瞬の接点にもこの手の大物は何かしらの印象を残す。 小柄な老人(会った頃は、おそらく80歳前後であったと思う)だったが、 その背筋はいつもピンと伸び、矍鑠(かくしゃく)そのものだった。 「いい姿勢ですね」と声をかけたら、我が意を得たりとばかり元気の良い返事が戻ってきた。 「君、僕は海軍出身だよ」 昔、明治政府が軍隊を作った時、大ざっぱに言えば陸軍はドイツ(プロシア)型、 海軍はイギリスを手本とした。 紳士の国とはイギリスの代名詞だが、たとえ軍隊といえども「紳士」を尊ぶ空気がここにはあった。 終戦から時は久しいが、山本の言う「海軍」はピンと伸びた背筋となってその後の人生を 支えてきたのだろう。 毀誉褒貶はともかく、会長時代には世界のアマチュア球界と積極的に交流し、 IBAF(国際野球連盟)第一副会長に就任、野球の五輪採用に貢献し、 強豪キューバには何度も足を運び日本球界とのパイプ役を果たした。 一方、国内のプロアマ問題解決にも尽力した。 島国根性丸出しの日本プロ野球機構幹部とは大違いの仕事ぶりは、決して軍国主義的な解釈ではなく、 ただ公のために自己犠牲を払ったという意味で、山本の言う海軍ならずとも「海ゆかば」 の精神に満ちあふれている。 訃報を伝える紙面を読むと、王貞治のコメントが目を引く。 「(早実時代の)春の甲子園で優勝したときに審判を務められ『王君、王君』と言って かわいがってもらった」。 山本が高校野球、都市対抗の審判員であったことは不覚にも知らなかった。 詩人・寺山修司のこんな記述を、ふと思い出した。 「野球は、大の男たちがホーム(家庭)へ駆けこむのを競うゲームだが、 サードはいつも、ホームへ駆けこんでゆく男のうしろ姿を見送っているのだ」 審判生活の長かった山本は三塁塁審を務めたこともあったろう。 三塁手同様ホームに駆けこんでゆく男の背中を眺めたに違いない。 そして自らの、ホームへ駆けこむ時がきた。 享年87歳。自宅のテレビをつけたまま、椅子に腰掛けて眠るように息を引き取った、 と日刊スポーツには書いてある。(敬称略) |
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