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≪日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集局次長のコラムです。≫ 高校野球が終わった。例年になく盛り上がった大会だった。 敗者は「甲子園の土」を持ち帰る。試合後恒例のシーンだが、さてこの行為は一体、 誰が始めたものなのだろう。 いくつか資料に当たってみると概ね2つの説に収斂(しゅうれん)されるようである。 ひとつは1937年(昭12)、第23回大会。 中京商に敗れた熊本工・川上哲治投手(ご存じ巨人のV9監督)とある。 例えば95年8月16日付の朝日新聞にその記述があり、「(土を)小さな袋に入れ、 ズボンのポケットにそっと入れた」とある。 もうひとつは戦後の話になる。いくつかの新聞に同様の記事がみとめられ、 産経新聞(94年8月13日付)は「昭和22年の29回大会で優勝した小倉中学のエース、 福島一雄投手とされている。 小倉は決勝戦で岐阜商に6−3で勝ち、5試合をひとりで投げ抜いた福島は『記念に…』 と土をユニホームの後ろポケットに入れ、持ち帰った」と記述した。 実は同じ福島投手ではあるが朝日新聞98年8月4日付によると、土を持ち帰ったのは 「1949年(昭24、第31回大会)、3連覇を目指す小倉北の福島一雄投手が 準々決勝で敗れ」た時、とある。 おやおや、である。ただし年度の違いは、何しろ古い話だけに、例えば取材を受けた側の記憶違い などが考えられる。 いずれにしても、伝説? の「甲子園の土」は川上氏か福島氏によって持ち帰られたようである。 さて、その川上氏はこの夏、別荘で静養中だった。 直接お会いして事実確認をしようと思ったが、せっかくの休暇中だし、 私の単なる思いつきで手を煩わすのも失礼かと、川上氏のご長男、貴光さんに問い合わせることにした。 貴光さんは「私の知るかぎり、土を持ち帰ったのは父が最初ではないようです。 何度か同じ質問を受け、父がそうこたえているのをきいたことがあります。 そういう習慣に従っただけ、のようです。いつしか、父が最初、 ということになってしまったらしいのです」。 つまり、「甲子園の土」は川上氏が高校球児だった37年より以前から行われていたようで、 最初に持ち帰った選手も、どうやら前述のご両人ではなさそうなのである。 では一体だれが? 詮索はもうやめよう。実はこんな原稿を読んだからだ。 だれが先駆者であったかなど、どうでも良くなった。 03年6月21日付、朝日新聞地方版に掲載された記事を抜粋する。福島氏についての後日談である。 「連覇した翌1949年夏、小倉は準々決勝で敗退。帰郷した福島さんの元に一通の手紙が届く。 <学校で教わらないことを君は学んだ。しりのポケットにある記念の品、後生大事にしたまえ> 差出人は甲子園の審判員。ポケットをまさぐると、ひと握りの砂が出てきた。 あるいは無意識のうちに…。見逃さなかった審判員は、そこに一遍の詩をみたのであろう」 延長再試合の末に行われた駒大苫小牧−早稲田実決勝戦。 勝者も敗者も「甲子園の土」を持ち帰ったことだろう。 学校では教わらない「何か」を掴んで。 それはこの大会に臨んだ、無心に白球を追いかけたすべての球児にも与えられるべき「土」 であるかも知れない。 |
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2006年08月22日
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