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4月11日は、地元【茨城大学】の入学式でした。 仕事柄、学生さんにも新聞を読んでもらいたいのはヤマヤマなんですが、 「活字離れ」が社会問題となりつつあるこのご時世、中々うまくいきません。 『今まで読んだことが無い』 ほとんどの学生さんは言います。 『とりあえず契約してみたが、ほとんど読まなかった』 こういう例も少なくありません。
『本当に必要なのかどうかを見極めるために【試し読み】をしていただこう。』 という事になりました。 試しに読んでみて、それから購読の可否を考えていただこうという試みです。 大学前の商店街のスペースを借りて、試読申込み受付けのブースを設置してみました。 今までのような押し売りではない、新聞販売としては異色な方法ですが、 良い結果が出ることを期待してます・・・。
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2006年04月13日
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【桜の由来】 まだ巨人の練習場が多摩川にあった頃、Yさんというグラウンドキーパーがいた。 いつも地下足袋、カーキ色の汚れた作業服上下で、帽子のツバはよれよれだったが、 正面のYGマークの橙(だいだい)は妙に鮮やかだった。 無精ひげと赤ら顔の働き者で、 例えば長嶋さんが早朝に堤をランニングするときはすでにグラウンドにいたし、 台風の直撃で河川敷のグラウンドが水没したときは、駆けつけた藤田監督が呆然と立ちつくす中、 「大丈夫でさぁ。ちょいと時間をくれれば元通りにしてみせますよ」と胸を張って見せた。 不届き者が夜間、グラウンドに忍び込みマウンド周辺に汚物をまき散らしたときは本気で泣いて 怒って見せたし、外野を彩る雑草はまるで芝生のようで、 春先に顔を出したタンポポは踏まれてはかわいそうとシャベルでフェンス脇に除けた。 練習のない日は川縁の流木や、枯れ木などを拾って歩き、まとまると荒縄でまとめ薪とし、 ダッグアウト裏に雨風が当たらないよう積み上げた。 ある時、この薪を盗もうとした人間がおり、 これを目撃したYさんはまるで獲物を見つけた猟犬のごとく飛び出して取り戻した。 あまりの敏捷さに驚いた長嶋さんが金一封を出したという「伝説」が残った。 1月の自主トレ、2月1日のキャンプイン当日など巨人はこの多摩川で調整練習を行った。 河川の、文字通り寒風吹きすさぶ環境で、唯一の暖房といえばドラム缶におこした焚き火で、 Yさんが集めた薪が燃料だった。 練習が終わり選手達が引き上げるとYさんはドラム缶の底に残った灰を丁寧に集めた。 さて、桜の季節になった。3月は雑用に追われ、花見に行くことが出来なかった。 グラウンド脇の多摩堤もまた桜の名所である。 4月始め、やっと時間がとれてサイクリングがてらここを訪れた。 夜来の雨で桃色はやや薄れてはいたが、桜は青葉を彩りに陽光の中にあった。 「Yさん、焚き火の灰を集めてね、肥料にしてたんですよ。アルカリ性だって。 桜の木の下に撒いてましたね。今年もきれいに咲きました」 そう教えてくれたのはグラウンド脇のおでん屋のご主人だった。 店先の日だまり、猫がニャーとないた。 Yさんは独身のまま、若くして亡くなっている。 恋知らぬ 猫のふり也 球あそび (正岡子規「筆まかせ」) |
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久しぶりなので、内緒話も一気に2本アップします。 【白球の背景】 その小さな記事を読んで思わず首をひねった。18日付の日刊スポーツ。再録してみたい。 「韓国政府は、WBC準決勝に進んだ韓国代表選手11人の兵役免除を決定した。 崔煕渉内野手(ドジャース)金善宇投手(ロッキーズ)呉昇桓投手(サムスン) 金泰均内野手(ハンファ)らが、特例措置の対象になった」 韓国に2度惜敗した日本は、米国がメキシコに敗れ僅か0・01差という失点率で準決勝に 駒を進めた。これが17日、韓国と3度目の対決が決まった日で、韓国政府が前述の特例、 「兵役免除」を決めた日でもある。 兵役免除はベスト4進出を決めたから、というのがその理由だろうが、 注目の日本戦を前にこの決定はいささか早急であったような気がする。 本紙・趙海衍通信員は「兵役特例とは、軍隊基礎訓練4週間をもって、 現役服務2年を代替する制度である。 もともと法律上の兵役特例対象は、五輪3位およびアジア大会1位以上の者であり、 今回の措置は文字通り『特例』である」と原稿を寄せている。 結果的に韓国は準決勝で日本に敗れた。 国の期待を背負ってプレーをする。 これが「建前」とすれば、プレーをした結果の兵役免除はいかにも個人的な「本音」のような気がする。 建前と本音がうまくバランスを取って韓国代表の快進撃があった、とみる。 兵役免除という安堵感が選手達のプレーに対する矛先をいささか鈍らせはしなかったか。 特例決定は韓国が世界一を達成してからでも遅くはなかったような気がする。 「平和慣れしている日本と違い、国土と民族が分断されていて、 いつ戦争が起きてもおかしくないような厳しい情勢が、今の若者の祖父の時代より 半世紀以上も続いている」と趙通信員の文章は続く。 日本も韓国も同じ白球を追う若者達ではあるが、グラウンドに登場するまでの経過、環境は全く異なる。 日韓以外の国でも同様だ。 スポーツライター、鉄矢多美子さんは 「例えばキューバ、ドミニカ共和国などの国は兵役(徴兵ではない)はありません。 失業者があふれるドミニカなど、むしろそうした制度があれば給料、 食事などが与えられるのでむしろラッキーに思うのではないでしょうか? ただし、スポーツを政治に利用するということは、多かれ少なかれどこにでもありますね。 キューバにはスポーツの育成システムが確立されていますが、ドミニカは、そうしたものはおろか、 ごく一部のお金持ちの特権階級による支配が顕著な国ですので、 下部のものは学校にも行けないというが現状で、育成システムどころではありません。 それにかわるものとしてはMLB30球団の野球アカデミーがあるくらいです」と教えてくれた。 世界一は結果だが、勝った負けただけではないWBCの背景も心に刻んでおかなければならない。 |
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久しぶりの更新です。 世界遺産シリーズと内緒話シリーズをまとめてアップします。 ★シリーズ第2回★ 日刊スポーツ新聞社販売局流通開発部・赤坂厚主事の世界遺産旅行記です。 (ラパヌイアキビ) (ラパヌイララク) 【〈チリ・ラパ・ヌイ(イースター島)下〉】 モアイはなぜつくられ、どうやってつくり、どうやって運んだのだろう。 そもそも、島民はどこからきたのだろう。 この島は多くのなぞに包まれている。 伝説によると昔、ヒバの国の賢者が夢の中でラパ・ヌイに旅をし、目覚めてからホツマツア王に伝えた。 王は7人の使者(息子)を送り、島を見つけた。 使者が帰り着き、王は移住を決意してマナケナビーチに上陸した、という。 息子たちとされるモアイは故郷の西を向いている。 「コンチキ号漂流記」。 ハイエンダール博士は南米からイースター島はじめポリネシアに文化が伝わったことを 証明するためにいかだで航海した。 こちらは東からやってきたことになる。 博士がモアイを立てる実験を行った場所が島北部マナケナビーチ。 使ったのは小高い丘にポツンと立つホツマツア王とされるモアイだった。 徐々に分かっていることもある。 「ラノ・ララク」に行くと、モアイの製造過程を想像できる。 モアイの切り出した山で、登山口から緩やかな斜面を上り始めて、 最初に「正座するモアイ」と遭遇する。 正座の形に彫られた足、丸顔の顔立ちは日本人か?斜面を進むと、 モアイがそこら中に放置されている製造工場に着く。 ちゃんと立っているやつ(体は埋まっているが)前に倒れそうなやつ、寝ているやつ、 まだ岩に刻まれて完成途中のやつ…など、300〜400体があるという。 「亡くなるのを見込んで生産していたと考えられます」とガイド。 斜面を登りきると、内側はカルデラ湖になっている火口。 その内側斜面にも製造途中のモアイがたくさんある。 モアイはすべてこの山の凝灰岩製。 現在想像されている作り方は、まず硬い石で体の前面を彫る。 その足下に大きな穴を掘り、背中を切り離してその穴に落とすようにして立てる。 体の背中部分を仕上げたという説だ。 作りかけのモアイを見ると、その手順が容易に想像できるほど、 さまざまな製造途中のモアイが放置されている。 今すぐにでも製作を再開できそうな感じだ。 まげを表しているという頭に載せるプカオは「プナ・パウ」というところから切り出される 赤色凝灰岩を加工している。 そこにも、さっきまで作っていたかのように、無造作に作りかけのプカオの残骸が散らばっている。 移動方法にはまだ定説がない。 丸太の上に寝かせて注文があったアフまで運ぶというのが一般的だが 「モアイは歩いた」という言い伝えもあるといい、立てたまま運んだ可能性もあり、 これまでに「歩行実験」も行われている。 山の斜面から海岸に向けてモアイを運んだ跡が残る「モアイの道」が謎に包まれたまま残っている。 カギを握るのは「ロンゴ・ロンゴ」。 モアイを生み出した人々が使っていた文字だ。 18世紀にやってきた欧州人が、キリスト教布教のため、ロンゴ・ロンゴで書かれたものを焼却し、 ペルーが奴隷として島民を連れ去るなどしたため、読める人がいなくなり、 歴史が分からなくなったという。 ハンガロア村のみやげ店で、トトラ(葦の一種)で作った紙にロンゴ・ロンゴが書かれた 「絵」を買った。 今はデザインとしてしか使い道ががなくなった文字が、いつか解読されたら、 この絵にはなんと書かれているのだろうか。 |
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