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とりあえず、「新聞に載らない内緒話」をコピペ更新・・・(ー_ーゞ 初心に返り・・・というか、ホントに初心に「戻っちゃってる」(/ω・\) まだまだ頑張りますゼ( ̄∇+ ̄)v
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2007年06月15日
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≪日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集委員のコラムです≫ 不景気ということもあって、比較的近場の出張は、新幹線など特急料金のかかる列車に 乗らなくなった。 先日、高崎から信越線に乗り換え、取材に出かけてきた。 高崎まで新幹線なら1時間程度だが、在来線の旅は2時間、乗り継ぎもあって思いの外、 時間がかかる。 もともと電車が好きだし、景色を眺めながらの旅は悪くない。車窓から学ぶことは多い。 ただ、長い時間座り続けるのはさすがに歳のせいか、辛くなっている。 それでも時折立ち上がって腰を回せば何とかしのげるものである。 取材を終え、高崎まで着いて普通電車に乗り換えた。出発時間まではまだ少々ある。 朝が早かったから、最終車両の座席でうつらうつらしていたら車内アナウンスが聞こえてきた。 女性の声である。 今時、女性車掌など珍しくも無くなったが、妙にすがすがしい声で目が覚めた。 グレーの帽子にベスト、スラックス。シャツは薄墨のそれで「なかなかJRもセンスがいいわい」 と感心した。 見ていると、まだ車掌になり立てなのだろうか、動きがきびきびして好感が持てた。 定刻で電車は出発、順調に上野へ向かって走る。 鴻巣駅に着いたときだった。 発車ベルが鳴り響く中、最終車両の最終ドアに、大人に手を引かれた少女が乗り込んできた。 白い杖を持っている。傍らの大人は制服、制帽。腕章に「警察」という文字と、「JR」の グリーンが見えたから鉄道公安員だろうか。 「…駅まで御願いね」。 よく聞き取れなかったが、公安員から女性車掌へ伝言があったようだ。 少女を座席に座らせると、公安員は電車を降りた。 がっちりした体格の、日焼けした顔はいかにも善人風で、見ていてこころが和む。 「いい男だなぁ」。 電車が走り始めると、車掌がガラス越しに少女を観察している風だった。 少女は背筋をピンと伸ばして座っており、杖を垂直に立てる。 列車が左右に揺れるたびに、コトコトと床に杖のあたる音が響いた。 電車が北上尾駅に着くと、やはりドアの前にワイシャツ姿の駅員が待っていた。 少女はドア付近で手を取ってもらい、降りていった。 通学鞄を肩にかけていたから、授業のある日は毎日、こんな風景が繰り返されているのだろう。 発車のベルが鳴り、電車が動き出す。少女と駅員の背中を追うように速度を上げてゆく。 |
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≪日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集委員のコラムです≫ 夕方、仕事を終えて飲みに出る。 さすがに寄る年波で、馬鹿な飲み方はしなくなったが、それでも毎日、どこかの町で一杯、やる。 5月は神田祭、三社祭と大きな祭りが続く。縁あって今年も神輿を担ぎにいってきた。 昔は担いでいるのか、飲んでいるのかわからなくなるほど、神輿と酒は付き物だった。 長い道中、休憩を挟めば、その場が酒盛り会場で、飲み過ぎて神輿が上がらなくなる失態も ずいぶん経験した。 もっとも、この手の馬鹿騒ぎは近年、御法度で、路上での煙草、酒はすっかり見られなくなった。 まぁ、これも時代の流れで致し方ないが、かつてを知る者としては少々、寂しい。 それでも、神輿を収めれば天下御免で、居酒屋へ繰り込み酒を飲む。 その昔、「あの札付き」と形容された連中も還暦を迎えて、「孫が可愛くてね」と相好を崩す。 それでもひとたび神輿の担ぎ棒を見ると、年甲斐もなく突撃し、7歳ほど年下の私はハラハラしなが ら眺めている。 がっしりした体格は往年を想像させるし、荒っぽい人生を送ってきたのであろうが、そんな風雲の 時期を経たからか、みんないい「おやじ」になっている。 先日、山谷へ久しぶりに出かけ、地元の飲み屋で一杯、やってきた。 山谷という地名はすでになく、台東区と荒川区にまたがるこの辺りは「山谷地区」と呼ばれる。 泪橋(なみだばし)という、日比谷線・南千住駅から近いここが、山谷地区の中心で、60年代に マンモス交番を中心に荒れた場所である。 懐かしくて、お目当ての店の暖簾をくぐると、意外や閑散としている。 がらんとした店内に数人、労働者たちが酒をあおっていたが、大声を上げることもなく (もっともこの店は昔から大声は禁止だったような気がする)、なんだか別の世界へやってきた ような風情である。 「まぁ、今時こんなものでしょう。景気もよくないしね」。 連れが、この男もかつてのお祭り男だが、「ここも三社祭に神輿が出ているんだよな」とぽつり。 なるほど一部は台東区に引っかかっているから、さぞ立派な神輿があることだろう。 それにしても、夜更けの町並みに往年の輝き(というべきか)はない。 道沿いに、コインロッカー屋があり、以前取材をしたものの、事情があって原稿化出来なかった。 兄弟で店を経営しているのだが、「最近は荷物を取りに来ない人も多くなりました。 木賃宿に泊まっても周囲が信用できないから、仕事の道具だけ預けて、消えてしまう人もいます」 とのことだった。 酔っぱらって、三ノ輪まで夜の町をあるいた。15分ほどの距離だが、道中、誰とも会わなかった。 |
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≪日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集委員のコラムです≫ 4月27日、故植木等さんの「植木等さん、夢をありがとう。さよならの会」へ行ってきた。 3月27日に亡くなって1ヶ月、テレビの画面を介してだが、 子供のころから親しんだコメディアンの死。 個人的な感傷だけでなく、大げさに言えば日本人にある種、大きな影響を与えた人だけに、 どんな「お別れ会」になるか、興味があった。 とりわけ期待したのは「弔辞」である。 さぞ、感動的なそれを聞くことができるだろう、と期待した。 徳光和夫が司会というので、まずゲンナリ。誰にもこびを売りそうな、あの風情が嫌いである。 弔辞のトップバッターが元首相、森喜朗と知らされ「何でまた?」と首をかしげる。 案の定、「私以外に植木さんとは親しい人はたくさんいるはずですが」と断った上で、 「公務があり」時間がないから最初、だという。 弔辞の内容も、ゴルフ場での話題に触れただけで、何の感動もない。 「どうも来る場所を間違えたな」と思ったが、それでも9人の弔辞が予定 (そのうちなぜか沢田研二は、リストにありながら弔辞はなかった)しているのだから、 と気を取り直して、なおも報道控え室で、録音機のテープを回した。 すぎやまこういちは、「あぁ、歳をとっちゃったね」という感じ。 中山秀征は、やはり荷が重かった。 内田裕也は植木等の持ち歌を披露したが、歌詞を憶えておらず、それはそれで受けていたが、 いわゆる弔辞とはほど遠い。「まぁ、芸能界ってこんな会でもおちゃらけるんだ」という印象。 松任谷由実は、弔辞の棒読み。 聞いていて、植木等とはさほど近しくはなかったのが、よくわかった。 加藤茶も「こんなものかな」。 渡辺貞夫のアルトサックスは、タダで聞けてラッキー、って感じ。 トリの小松政夫が一縷の望みだったが、ありきたりだった。 まぁ、弔辞というのは難しい、ということなのだろう。 会が始まる前、植木等のヒット曲が次々と流された。 「ごまをすりましょ、陽気にごまをネ」、 「こつこつやるヤツぁ、ごくろうさん」、 「おれはこの世で一番、無責任と言われた男」、 「ひとこと文句を言う前に、ホレ言う前に、あなたの息子を信じなさい」、 「アンタの知らないあすがある」、 「しびれちゃった、しびれちゃった、しびれちゃったよ」。 往年のヒット曲のフレーズのほうが、よっぽど感動的で、教訓になった。 「はい、それまーでぇよ。泣けてくる」。 |

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