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新聞に載らない内緒話

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新聞に載らない内緒話

【 なんでもやってなさい 】


 もう無くなってしまったがその昔、大阪「ミナミ」の中心地・難波に大阪スタヂアム(大阪球場)

という野球場があった。

1950年(昭25)にわずか8ヶ月、突貫工事の末に完成、主に名門南海ホークスの本拠地として

一世を風靡(ふうび)した。

98年に完全閉鎖、解体が決まったが、その直前にこの球場を訪ねたことがある。



 ホームチームの一塁側ベンチ内、ネット寄りに球場を支える大きな柱があり

すでに古色蒼然としていたが、この柱の裏側面上部、つまりグラウンドからは見えない側にちょうど

弁当箱大の「空白」があった。

ここになにか機械が据え付けられていた証拠で、この部分だけが汚れを免れている。



 担当した球団ではないが、この空白、「痕跡」を見上げたとき

「ははぁ、こいつがそうか」と納得がいった。

試合中、相手投手の球種を読み、それを打席の打者に電気信号で情報を流す、

その機械がおそらくここにあったのだろう。勝つためには「なんでもやる」という訳だ。

その後、野球界は外野席からのスパイ行為が発覚するなど、ファンの信頼を裏切る大きな問題が

続出した。

さすがにコミッショナーも放っておくことができず、99年1月18日付の「通達」で

さまざまな規制を行った。

「ベンチ内に情報機器を持ち込んではならない」、

「望遠カメラ(中略)等で相手バッテリーのサインを撮影してはならない」

などの条項が両リーグのアグリーメントに書き込まれた。

まるで小学生への指示のような、野球界の恥ずかしい歴史である。



 ルールはもちろん野球を行うための規則ではあるが、すべての事象を網羅しているわけではない。

大まかなアウトライン(細かい規定はもちろんあるが)を示しているわけで、

その規則の行間はプレーする人間の良識に任されている。

人としてやっていいことと、やってはいけないことは自分で判断しなさい、ということだ。



 1月16日、堀江貴文社長率いる「ライブドア」グループに東京地検による強制捜査が入った。

「合法ならばなんでもやる」堀江錬金術に大きな疑問が投げかけられた。

それにしても勝つために、儲けるために「なんでもやる」のでは野球界も経済界も成り立たない。

そんなことを考えていたら18日、ライブドアなどIT関連銘柄の売り注文が殺到して、

東京証券取引所の全銘柄が取引停止となる事態が発生した。

脱法まがいのホリエモンもひどいが、それに群がった小ばくち亡者もこの国にはごまんといるらしい。



 不動産バブルですこしは懲りたのかと思っていたが、なんとも野暮な「この国のかたち」ではある。





        (日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集局次長)







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新聞に載らない内緒話

近藤貞雄が死んじまった




 新年早々の訃報である。

1月2日午前9時22分、近藤貞雄死去。

享年80歳。中日、大洋、日本ハムで指揮を執った、その人。


 非常識を承知の上で書くならば「オッさん、死ぬ日を間違えたな」ということになる。

本来ならば元日に死んで、世間をアッと言わせたかったろう。

どこまでも大向こう受けを狙う、けったいなオッさんだった。

なにしろ見栄っ張りだ。それは後述する。


 さて、1984年(昭59)暮れ、私は横浜大洋(当時、現横浜)の次期監督に

「近藤貞雄」と原稿を打った。

大当たりの特ダネで、長嶋茂雄就任の噂を一蹴することになった。

記事を掲載した新聞を片手に、意気揚々と自宅を訪ねた。

東京は目黒、細い路地を入った突き当たりに…と見ると自宅前にBMWの新車が。

当の本人はディーラーと買い換え交渉の真っ最中。

確か水色の、塗装も剥げかかったサンダーバードが愛車のはず。

まだ球団の正式監督就任も発表もされないうちに、契約金を見越しての所行である。

「さっそく新車ですか」と冷やかしたら、さすがにばつの悪そうな顔を見せたが、

「東京で監督をやるんだ。このくらいの車に乗らにゃ」とのたまった。

家には絶対上げなかった。

兎小屋も恥ずかしくなる小さな二階建てだったが「女房と二人だ。これでいい」はともかく

「名古屋に大きなマンションを持っている」とまで言わなくてもいいのに。


 真夏にもタートルネックのアンダーシャツを着込んだ。

「人間は首筋に年齢が出る。投手交代でマウンドに上がるとき、テレビに映るだろう。

その時年寄りに見られたくない」と最後まで頑張った。

後ろポケットにはしっかり、シッカロールが入っていた。赤ん坊じゃあるまいし。


 クラブに飲みに連れて行ってもらった。銀座ではない。自由が丘のガード下だった。

はやりのブランデーが好みで高価なシップボトルにマジックインキで「男」と書いてあった。

中身はウヰスキーで、飲み干すと詰め替えていた。

つまみを頼んだら近くの店から餃子が届いた。

「この餃子な、具だけでも10種類以上ある」が自慢だった。

キャビア食わせるって言ったじゃないか。

シーズン23勝をあげた巨人時代、多摩川の合宿所近くで進駐軍のジープにはねられた戦中派。

右手中指の腱を切断し、3本指投法を編み出した苦労人だった。

その指を使って原稿を書いた。

ナゴヤ球場(当時)の記者席で、鉛筆を文字通り舐めながら、ウンウン唸りながら記事を書いた。

お付きの記者への口述筆記で事足れりとする評論家の中で、異色の人だった。

「だって自分の原稿でしょ。自分で書かな」

と胸を張っていたが、原稿の仕上がりが遅くて、締め切り時間の守れない「近藤貞雄」コラムは

時々翌日の紙面に載らなかった。


 だからこそ「男」近藤貞雄は魅力的だった。

中日監督時代の「野武士野球」、足の速い選手を集めた大洋「スーパーカー・トリオ」、

攻撃と守備でメンバーを替えた「アメフト野球」。

すべてが独創的だった。

年末に亡くなった仰木彬とはスタイルは異なるが、野球に対する執念はつながっている。


 座右の銘は「七転び八起き」

9日の通夜に、棺桶からむっくり起きあがってくるのではあるまいか。




    (日刊スポーツ新聞社編集局・石井秀一編集局次長)










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今回はちょっと変わった内緒話です。



がんばろう いいこともあるさ




ジングルベルを聞くと、ちょいと感傷的になる。

昭和52年12月24日、私は夕暮れの銀座を歩いていた。

どうにも絶望的で、周囲の喧噪を妬むような気分だった。

実はほんの1時間前に“就職”を断ったばかりだった。


 オイルショックの余波が漂うご時世で、「氷河期」と呼ばれる今日(こんにち)

ほどではないが就職難は明らかで私もある新聞社を受験したが失敗。

不景気で採用を手控える会社が多く、大手新聞社の数少ない入社試験は終了していた。

「さて、どうするか。就職浪人するしかないか」と腹をくくった時に、

大学の先生が“就職”を世話してくれた。

名のある新聞社だったが、ただしアルバイトで、という話であった。

「こんな時代だからな。とりあえず会社に潜り込んで、それから本採用を目指したらどうだ」

というのが先生の勧めだった。

かつて名物記者として勇名をはせた先生はさすがに顔が利く。

引率され大手町にある新聞社、6階の役員室を訪れた。

重役との話はトントン拍子にまとまり、正月2日から働くことになった。


 「よろしくお願いします」


 私は深々と頭を下げた。傍らの先生も「良かったな。あとは自分次第だ」と声をかけてくれた。

とりあえず就職浪人は避けられた。ほっとした気分で重役室の出口に向かおうとした時だった。


 「それにしても…」。背後から声がかかった。応対してくれた重役だった。


 「それにしても、もしお前がオレの息子だったらこんな“就職”はさせないがなぁ」


 どういう意味だろう。

6階のエレベータが地上に降りてゆく。

不景気ゆえの「こんな“就職”」を哀れんでくれたのだろうか。

それともやはり就職とは、正面からキチンと入社すべし、という示唆だろうか。

1階に着いた。コンコースを歩き正面玄関を出たとき、決断をしなければならない気分になった。

先生に言った。


 「どうもあの言葉が気になります。先生、この話無かったことにしてくれませんか」

何かに突き動かされた感じだった。


 「構わんが、ではどうするつもりだ。年明けに1社だけ、スポーツ新聞の試験があるが、

今の状態では宝くじを引くようなものだしな」先生が顔をのぞき込んだ。

ただ、これが日刊スポーツに入社するきっかけになった。


 12月、師走。私の住む下町の商店街に大きな横断幕がかかった。


 「がんばろう。いいこともあるさ」


 ふと、あの頃を思い出した。

思い通りにならない世の中だけれど、この1年の、区切りの季節が来た。

「がんばろう。いいこともあるさ」来年こそ。


 ちょいと早いけれど、良いお年を。


     日刊スポーツ新聞社 編集局 編集局次長 石井秀一





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新聞に載らない内緒話

1945年11月23日


 11月23日はプロ野球にとって重要な日である。終戦からわずか3ヶ月、
1945年(昭20)のこの日、戦後初のプロ野球、東西対抗が開催された。

 野球筋の商売をしていながら、この日を忘れていたとは我ながら迂闊(うかつ)
としか言いようがない。毎日新聞の11月22日付、「あの日を今に問う」という
特集記事が教えてくれた。「まず生き延びる」ことに振り回された終戦混乱時に、
ともすれば娯楽とも受け取られかねない「野球」を忘れなかった、あまたあったで
あろう復興政策のひとつに「野球」が組み込まれていたことに、「夢」を忘れなか
った日本人を想う。

 集まったのは東西7球団33選手、神宮、桐生新川、西宮で4試合を行い、入場
料6円を払った神宮第1戦の有料入場者は5878人だった、と記事は伝えている。
戦後プロ1号はミスター・タイガース藤村富美男のランニング本塁打だったが、この
4試合でやはり特筆すべきは、その後川上哲治の「赤バット」とともに球趣を盛り上
げた「青バット」大下弘の活躍だった。第1戦が6打数3安打5打点、第3戦は3ラン
を含む4打数3安打6打点。描く放物線こそプロ野球の、未来への架け橋だった。

 豪放磊落、芸者置屋から球場通い、と派手な横顔ばかり伝えられる大下弘に「大下弘日記
 球道徒然草」(1980年11月、ベースボールマガジン社刊)という著書がある。
数年前、神田の古書街で偶然見つけた。もはや絶版と思われるが、都立日比谷図書
館に蔵書として登録されている。野球に対する、チームメイトに対する思いは生半可ではない。
書き手としての新聞、評論家にも辛辣、いやあふれる情熱を認(したた)めている。
いささか長いが一部、引用したい。(原文のまま)

 「吾等は最後の一戦迄全力を尽くし努力する事だけがプレーヤーに課せられた責務なのだ。
机上の空論だけで? オマンマが食へる身分とは違ふんだと腹が立つ。骨身をけづる想いを
して勝利の美酒を汲みとらんとする吾等に対して余りに心なげな独りガテンの批評を書いて
欲しくない。書くのが商売だって? 書かなきゃ食えないって? 解るよその気持ち。悪い
とは云えない。併しもつとプレーヤーの身にもなって書いて欲しい。星の数ほどあるライター
諸氏の中、幾人がほんとにプレーヤーの親身になって記事を書いている者が居るか? …と。
プレーヤーと倶にある評論家。吾等は期待する。真にスポーツを理解する評論家出でよ、と。
プレーヤーの真の味方となる評論家を吾等待望す」

 「たかが野球選手なんだ」と自ら言い放つ一方、日記にしるされた激烈なこの思いが戦後の
日本プロ野球を支えた。11月23日は私にとって、「自戒」の日かもしれない。


            日刊スポーツ新聞社 編集局次長 石井秀一






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内緒話最新版

ホームページで連載している『新聞に載らない内緒話』最新版です。




【もう一度、ロッテ担当】

 「出来の悪かった子供に久しぶりに会ったら、なんとも素晴らしい青年に育っていた。
そんな感じかな」。かつてのロッテ担当記者の感慨である。

 日本シリーズが終わった。ロッテの強さばかりが目立った4連戦だった。テレビの画面
を眺めながら、かつてのロッテ担当記者はつぶやくのである。「それにしても…」と。

 「千葉」というより、一世代前のロッテは「川崎」のイメージだった。JR川崎駅を降
り、国道132号線を下る。雑居する商店街、ビル街を抜けると空が広がる。右に曲がる
と球場のゲートが見えてくるが、通行する人たちのお目当てはさらに直進すると現れる競
馬場、競輪場である。歩を進めれば京浜工業地帯に続く。そんな労働者の街にすっくと立
ち上がった川崎球場だった。周辺は汗水流した労働後の、すべての欲望を満たすワンダー
ランドではあったが、それはやけくその消費にまみれた一帯で、一攫千金にあぶれた男た
ちは不気味な息づかいで徘徊した。プロ野球の開催日、球場は健全な日常を取り戻すが、
照明灯の、やけに細い鉄骨が数本、空に伸びた風景の寂寥感は消しようがなかった。

 後楽園、甲子園とは一風変わった球場ではあった。が、だからこそこの場所は人間の存
在感があり、人が生きてゆくための教訓が転がっていた。

 「観衆5000人」とは発表はされたが、スタンドには記者席から指折り数えると実は
100人ほどしかおらず(すでに売れている年間シート分を観衆に加算していたのだが)、
「公式発表」とは時によって嘘をつくものだと言うことを教えてくれたし、薄暗い、鉄格子
(てつごうし)のはまったネット裏のトイレ(ある時期まで女子用すらなかった)は映画
の監獄ロケに使われ、ガラガラのスタンドは公式戦、インプレー中にもかかわらずドラマ
の撮影に利用された。人気がないとこんな理不尽な振る舞いにも耐えなければならないのか、
と考えさせられた。後に首位打者となるある選手は試合前のベンチに、出前のラーメンを持
ち込んで、それをすすりながら三冠王・落合のバッティング技術を盗んだ。12月24日の
記者会見が終わると、ロッテリアの、クリスマスケーキ半額購入券を配った球団は、忘れか
けていた家族団らんを思い出させてくれた。

 チームは千葉に移ったが、このチームの底に流れるのは、野球だけではない、生きてゆく
上での、社会での経験則であった。

 だから、かつてのロッテ担当はぼんやりつぶやくのである。

 「もう一回、このチームを担当してみてぇなぁ」と。









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