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阪神大震災の約180倍という、記録が残る中で国内最大級の規模、マグネチュード8・8の大地震が起きた。
被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を望むばかりです。
地震が発生した時刻、ボクは電車に乗っていて、帰宅の行列に加わったので、その一部始終を報告します。
2011年3月11日14 時46分、地震が起きたとき、ボクはJR山の手線の目黒駅近くの電車内にいました。
車内は多少混んでいて、ボクはつり革につかまっていた状態。
駅に入ったくらいで、電車が止まり、ゆさゆさ横揺れが激しくなり、それが止まらない。
「なんだ、なんだ」と乗客が騒ぐうちに、さらにそれが激しくなり、一瞬みな無言になった。
閉所恐怖症のボクは、ここで終わりかとパニくりました。
かなり長くその揺れが続き、しばらくして「地震がありました」のアナウンス。
走行中、脱線などしなくて良かった!
さらにしばらくして、ドアが開きました。
ボクは動物的本能か、狭い中にいるのが嫌なのもあって、すぐに電車を出て、改札を抜け、外へ。
余震があった場合、頑丈な建物の中にいた方がいいという話なので、広さを求めてすぐに外へ出た判断は正しいかどうか分かりません。
外へ出たら、目の前にタクシーが来て、女性が降りてきました。
すかさず、ボクはタクシーに乗ってしまいました。
「いいですか?」
地震の直後なので、一応聞くと、運転手さんは
「ええ、どうぞ」
「じゃ、テレビ朝日までお願いします」
仕事の習性とは恐ろしいもので、かなり大きい地震があったと思ったのに、とりあえず「ドラえもん」の会議に向かってしまいました。
地震直後なので道路も逆にすいていて、テレ朝へは難なく到着。
すると、テレビ朝日のエレベーターが止まっています。
ボクは非常階段を使い五階の編成の会議室まで行きました。
そこにいるドラえもんのスタッフたちは、すでに会議を中断し、テレビの地震情報に見入っておりました。
ボクも合流して、いろいろ話しながら、テレビを見ているうちに、事の重大さを知ったという次第です。
地震直後のタクシーで六本木まで来てしまったのはいいが、ここから自宅へ帰宅できないという事態になりました。
目黒の時点で帰っていれば、ほんのちょっとの距離なのに、しかしまぁ、みんなにも会えたし……。
他のライターさんや、プロデューサー、監督さんたちは、テレビ朝日に泊まる覚悟をしています。
テレビでは帰宅難民の情報が流れ、徐々に道のラッシュ度合いも高まっています。
テレビ朝日の総務部からも「無理して帰ると二次災害に巻き込まれる可能性がありますので、職場に残ってください」とアナウンスが流れています。
その時、直感的に「帰るなら今だ」と思ったボクは、スタッフに別れを告げ、6時15分すぎにテレビ朝日を出ました。
すでに、道は人の行列。
車は渋滞……見たこともない光景でした。
ボクは六本木交差点を抜けて、麻布十番へ出て、一の橋からまっすぐ五反田へ、五反田から大崎〜自宅というコースで歩きました。
ずっと行列で、にぎやかです。
会社で支給されたヘルメットをかぶった人も目立ちました。
途中、ラーメン屋さんや、居酒屋も結構にぎわっていました。
こうなったらもう飲んで帰ろうという、開き直ったオジサンたちも多かったようです。
パチンコ屋がやっていて、やっている人がいるのには驚きました。
コンビニは、どこも営業していましたが、レジは行列でした。
飲料水は品薄になっていました。
ボクも水を買って歩きました。
歩きながら、電話やメールで家族や友人と連絡を取ったのですが、携帯の電話はまるで使えませんでした。
ドコモのメールは使えました。
auのメールは使えなかったらしいです。
スカイプの電話は使えたらしいです。
Twitterはすぐにつながり、沢山の情報を得ることが出来たらしいです。
スマートフォンでインターネットから情報を得ようとしましたが、ヤフーなどの地震情報は遅かったです。
やはり、情報が一番早いのは、ラジオです。
ボクもアンドロイドの「radiko」で地震情報を聴きながら歩きました。
途中自転車屋さんが開いていました。
自転車を買って、自宅まで帰った人も案外多かったようです!
駅は電車が止まっているのにトイレなどを開放していました。
バスの発着場所など、交通情報が張り出されていて、役立ちました。
某宗教団体が、団体社屋の前で、「本堂を開放してお茶をお出ししています!」「トイレをご自由にお使いください!」
と人助けに乗り出していました。
個人でも椅子に座り「行き先案内」という紙を持ち、座っている善意のお年寄りの姿が印象に残っています。
自分の身を守り、他人を助ける余力がある。すばらしいことです!
約2時間で帰宅しました!
画像は道々撮った写真です。
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