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☆ 今にいたるまでの、病気の経過記録です。 ☆
2003年 12月 以前より、日光過敏症、疲れやすさ、寝起きのこわばり、
脱毛などが気になっていた。
血液検査によってSLE発覚。 抗核抗体 640倍。薬は飲まず。
2004年 3月 韓国に引っ越す
2004年 7月 溶血性貧血のため、韓国の病院で、1週間入院。
原因として考えられる要因、前日の炎天下でのテニス、
少し前に、バザーのためにガトーショコラを4日連続で大量に、試作、試食。
(甘いもの食べ過ぎると、今でも、体がこわばります。)
韓国に来て、慣れない生活で、たまっていた疲れ・・・など。
入院してから、ステロイドパルス療法 500mg/日、3日間。
ヘモグロビン4.8まで下がって、また上がり始める。
骨髄検査、他いろんな検査をされる。
退院時、プレドニン8錠、アザチオプリン、他胃薬など。2週間おきに
1錠ずつ減量(日本より早いペース)
2004年 11月 プレ2錠。薬が減るにつれ、だんだん疲れやすく、脱毛が増えてくる。
2005年 2月 再度、溶血性貧血。韓国の病院で意識を失う。
2週間入院。パルス前回の倍量。
ヘモグロビン、3.8まで下がり、輸血の許可を求められる。
結局、4日目に数値が上がってきて、輸血はしないですむ。
退院時、プレドニン10錠、アザチオプリン、他。
一気にムーンフェイス。体重5kg増加。
2005年 6月 日本と韓国との、薬の減量の仕方に、大きな違いがあり、
副作用等、先の事に不安を抱いたのと、通訳がいないと病院に
行けない事にストレスを感じ、子供と3人で帰国する事に。
今後の入院の可能性を考え、実家のそばに引っ越す。
2005年12月19日当時、プレ3錠。
数日前から寝起きにめまいと、吐き気を感じる。
起き上がると、意識を失う状態になり、病院が都内だったため(家は千葉)
午前中、救急車で首都高をかっ飛ばして運ばれる。
窓の外、すっごく見たかったなあ・・・。
「救急車が通ります、道を空けてください。」って1時間流れっぱなしでした。
病室の空きがなくて、系列の病院に夕方、またもや救急車で移動。
ほとんど意識がなくて、よく覚えてない。
熱38度8分。かなりの黄疸。ヘモグロビン入院初日4.0。
骨髄液摂取。
12月22日3日後、病室に空きができ、午前中に救急車でもとの病院へ移動。
そこからパルス療法が始まる。
が、3日たってもヘモグロビンが上がってこない。
12月25日自分では楽になったつもりだったが、ヘモグロビン3.1まで下がる。
先生達、実はかなり焦ってたらしい。
12月26日ヘモグロビン3.8。27日は4.6。
12月29日〜31と3日間、血漿交換療法を行う。
31日 病室で1人で紅白を見る。。さみしかった〜〜ToT
その後、なんとかへモグロビンもあがり、不眠に悩まされながらも、
だんだんと、車椅子から離れて歩く事ができるようになり、
元気を取り戻していく。
パルス後のステロイドは、80mg(1日18錠)
2006年 3月 白血球の数値が上がらない、顔のふくらみが少ない、などの理由で、
プレドニンからリンデロンへ。
4月 や〜っと退院!長かった。リンデロン7.5錠(3.75mg
プレでいうと37.5mgです)に、なったところで退院許可。
当時飲んでいた薬 リンデロン、イムラン(免疫抑制剤)、
フォサマック、バクタ(抗生物質)、オメプラール、酸化マグネシウム
バファリンなどなど。。。でした。
2006年 5月 鼻血が4時間とまらず、夜中、救急車で近くの病院へ。
病院で、止血剤を使ってもなかなかとまらず。
1週間、鼻の奥の奥まで、綿をつめたまま過ごす。おそらくバファリンの
影響だろうと、薬を飲むのをやめる。
8月 副作用のせいか、脱毛がひどくなる。髪がだんだんくせっ毛になってくる。
どんどん太る太る太る・・・・。
2007年 11月何とか今現在は、順調に元気に過ごせています。
現在はリンデロンが1.8錠、他イムランなど。
副作用も、少しずつ治まりつつあります・・・。
今でも、たくさん日に当たった翌日など、ひどくだるく、眠いです。
でも、少しずつ、付き合い方がわかってきて、そんな時は
ひたすら寝る、いやな事があったら、ひたすら他の事を考える、
などで、違うかなーと思っています。
☆ 私もまだ、新人ですが、どなたかの参考になれば、嬉しいです。 ☆
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