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写真1: カトリック初台教会内
写真2: 松戸
イエス・キリスト「このチャプレットを祈るならば、誰であろうと、臨終の時に大きないつくしみを体験するであろう。司祭たちはこのいつくしみの祈りを救いの最後の綱として罪びとたちに差し出すだろう。最もかたくなな罪びとであろうと、この祈りをただ一度でも祈るなら、その人に、私の限りないいつくしみの恵みが与えられるであろう。私は、全世界が私のいつくしみを知ることを望んでいる」(687)
第九日目(2009年4月18日の祈り)
「今日、なまぬるい霊魂をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみの深淵に浸しなさい。彼らはわたしに最も苦しい傷を負わせている。ゲッセマネの園で、なまぬるい霊魂のために、わたしは最も大きな嫌気を感じた。『父よ、みこころなら、この杯をわたしから取りのけてください』と言ったのは、彼らのためであった。彼らにとって、わたしのいつくしみによりすがる以外に、救いの希望はない」
あわれみ深いイエスよ、あなたはあわれみそのものです。あなたのあわれみ深いみ心に、なまぬるい人々を導きいれます。死体に等しいもので、あなたに嫌気を感じさせるこの凍っている霊魂が、あなたの純粋な愛の火の中で熱くなりますように。あわれみ深いイエスよ、あなたのいつくしみの全能によって、彼らをあなたの愛の火のなかに引き寄せ、聖なる愛で満たしてください。あなたは、なんでもおできになるからです。
永遠の父よ、イエスのあわれみ深いみ心に留まる、なまぬるい人々をいつくしみ深いまなざしで顧みてください。いつくしみの父よ、あなたのおん子の辛い受難によって、また十字架上の三時間のはげしい苦痛によって、お願いいたします。彼らがあなたのいつくしみの深淵をほめたたえることができますように。
アーメン
(神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)
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