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今日の授業は,エルヴィス・プレスリー
・肉厚
・歌に芯がある
・色気
でも、最近は色気ばっかりが先行しちゃって、やたら声が高くなっている。
なんか頭くるんだよね。
で、この3つの要素を完璧に満たしているのが、
“キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリー
【ゴスペルに心惹かれた少年時代】
エルヴィスは1935年アメリカ南部ミシシッピー州にうまれています。
そして1977年に死んでいます。
とにかくスゴイ人。発表したシングル133枚、アルバム129枚。活動は20歳ぐらいからだから約20年、うち10年ぐらい活動していなかった時期があるから差し引き10年ちょっとの間でそれだけのヒットを出したことになる。もっとスゴイのは売れたレコードの枚数。
おそらく彼が世界一でしょう、20億枚!100万枚のミリオンセラー・ヒットがザッと2000回あったという計算になる。
印税がどれだけ入ったことか。
さて、そんなエルヴィスは1935年、ミシシッピー州の貧しい家庭の双子の弟として生まれている。
双子の兄の方は残念ながら死産だった。その後ミシシッピーからテネシー州メイフィスに移住するんだけど、両親は南部の土地を持たない小作農。家もいわゆるショットガン・ハウス(shotgun house)だった。ショットガン・ハウスというのは、ショットガン、つまり散弾銃は撃つと弾が広がって飛んでいくのに、その家に向けて散弾銃を撃っても弾が広がる前に貫通してしまうだろうと、つまりそれぐらい小さな家ということなんだね。
当時、それほど貧しい小作農といえば黒人ばかりかと想像してしまうでしょ。
でも白人にも貧しい人がいたんです。そんな貧しい家庭だったけれど、エルヴィスは両親から溺愛される。双子のお兄さんの方を亡くしていたからね。10歳の誕生日には母親から12ドル98セントのギターを贈られたり・・・。当時の家の事情を考えれば、12ドルだって結構キツかったんじゃないかな。そうやって結果的にはひとりっ子のように育てられたエルヴィスは、ちょっと内気でシャイな少年へと成長していきます。
そんなエルヴィス少年にも大好きなことがひとつだけあった。
教会へ行くことです。
教会といっても、当時はまだ白人と黒人は生活の分野が離れていたよね。
“separate but equal”という有名な言葉があるけど、separateは「分ける」、equalは「等しい」という意味。
つまり「分離すれども平等である」ということです。ボブ・ディランのところでもやったけれど、
黒人は白人と同じバスに乗ってはいけないとか、同じ食堂でご飯をたべてはいけないとかあったよね。
そんな白人と黒人の差別制度がアメリカで否定されたのは、1954年。つい最近んのことだね。
だから約40年前までは、白人と黒人が同じことをしてても同じ場所にいてはいけなかったんだ。
だから教会ももちろん別。白人教会と黒人教会に別れていました。
特にテネシー州などといった南部ではね。
ところが、教会へ行くことが好きだったエルヴィスは生まれつき音楽の才能があったのかもしれない。
というのも、白人教会へ出入りするうち黒人教会も好きになってしまったからなんだ。
では、その黒人教会にはエルヴィスを喜ばせる何かがあったのか?
ゴスペル*1 です。黒人が歌う宗教歌、黒人霊歌のこと。教会の中で歌う神を讃える歌だね。
日本でもよく耳にするようになった「アメイジング・グレイス」は有名なゴスペルだ。
あと興味がある人は「ミシシッピー・バーニング」*2 という映画を観るのもいいでしょう。
ゴスペルがたっぷり聴けるから。でもね、もともとのゴスペルの基礎は白人が作ったんだよ。
ゴスペルというと黒人というイメージがあるでしょう?
実は違う。
アメリカの教会活動の中で最初白人教会が作ったんです。それが徐々に黒人教会に取り入れられられていって、そしてあのパワフルな歌になっていった。
それがゴスペルの成り立ちなんです。
で、エルヴィスはそのゴスペルが好きで好きで仕方がない。
聴きたくて聴きたくて仕方がない。
そこで親に隠れて黒人ラジオ局のゴスペルを聴くようになってしまう。
さらに親に怒られながらも黒人の街へ行ったり、黒人の教会をのぞいたりもしていたんだ。いつか自分も音楽で飯を食うようになるだろうとは思いつつも、内気な少年だったから、なかなかそれを表現できない。
学校でよくやっていた「お楽しみ会」みたいもので、たまにギターを弾いて歌う程度だったんだ。
でも、そのエルヴィスの歌にみんなシビれてしまって「お前。将来歌手になるんじゃないか」とか言われてはいた。
*1 正規のキリスト教賛美歌に対し、大衆の間で生まれた福音唱歌。もとは19世紀後半に各地で起こった信仰復興運動で歌われた歌を意味したが、今日では民俗音楽の範疇に入るようなキリスト教音楽、特に黒人のリズム感や叫ぶような歌唱法を特徴とする歌をゴスペル・ソングという。世界的に有名なゴスペル・シンガーにマヘリア・ジャクソン(1911-72)などがいる。なお、本文ではゴスペル=ゴスペル・ソングとする。
*2 「ミッドナイト・エクスプレス」などで知られるアラン・パーカー監督の問題作 (88年米)。
64年、黒人に対する差別感情の激しいミシシッピー州で発生した公民権運動失踪事件を追う2人のFBI捜査官の苦悩と活躍を描く。ジンー・ハックマン、ウィレム・デフォーが対照的なFBI捜査官を好演。
作品賞、主演男優賞、助演女優賞などでオスカー候補に。
【 「母へのプレゼント」 ですべてが始まった・・・ 】
やがて高校を卒業すると、歌手になりたいという思いがムクムクと頭をもたげてきます。
でも、両親がお金がなくて苦悩しているのを目の当たりにしているので、やはりまともな仕事につかなくてはいけない。
ということで、工事現場ではたらいたり、トラックの運転手をしたりしながら、生計を立てていく。
しかし、やっぱりどうしても歌が歌いたくなってしまうんだ。
そこで1954年、18歳のときに母へのプレゼントということでレコードを自主制作するんです。
今、カラオケ屋でも簡単にCDつくれるでしょ、あれと同じように当時のアメリカでも簡単にレコードが作れたんだね。ギターをプレゼントしてくれた母へのお返しということもあったのかもしれない。
自らでレコードを作るんだけれど、実はどうもそれ以外にもうひとつ目的があったようなんだな。
というのも、エルヴィスがそのときレコードを作ろうと訪れたスタジオは、使用料が4ドルもかかるちょっと豪華なもの。
そこらの街中の「レコード作りまっせん」的なスタジオだったら50セントぐらいで作られたのにだよ。エルヴィスが、ないお金を出してちょっと高級なスタジオを選んだのは、母にプレゼントすると同時に、自分もある程度プロっぽいところで録音して認められたいという気持ちがあったからだと思うんだ。ちなみにそのときレコーディングした曲は「My Happiness」と「心のうずくとき」という曲です。
さて、エルヴィスがなけなしの4ドルをはたいて行ったレコーディングが実を結びます。
このスタジオの経営者のサム・フィリップスという人は、ことあるごとに「黒人のように歌える白人がいたら100万ドルなんてすぐ儲かるさ」なんて言っていた。そのうち「WithoutYou」という曲を歌う歌手がいなかったもんだから、たまたまエルヴィスに白羽の矢がたった。
でも、歌わせるとこれがさんざんな出来。
そこでフィリップスが仕方なく「何か歌えるんだい?」て尋ねると、エルヴィスは「リズム&ブルース、カントリー&ウェスタン、ゴスペルとディーン・マーチン」。
これを聞いたフィリップスは「これはイケルかも」と、エルヴィスにレコーディングさせることにしたんだ。
そのレコーディングの休憩中、エルヴィスがギターで「That’s All Right」を弾き始めた。するとバンドの面々が加わり、即興のジュムセッションが始まってしまった。
フィリップスはあわててテープを回したんだ。「これこそが俺が求めていた黒人の曲と白人の歌手の組み合わせから生まれた新しい音楽だ」てね。
2日後、その「That’s All Right」があるラジオ局で流された。
途端に電話が殺到ですよ。
「この歌声はナンダ!」と街中が大騒ぎになってね。
素人の何げない即興が、小さな街中に火をつけてしまったんだ。
なんと初めてかけた夜にリクエストが25回、それに応えて一晩で「That's All Right」を25回もかけてしまった。
もちろん電話は鳴り止まない状態。
「あの曲はなんだ?」「あれは誰が歌っているんだ?」・・・。
黒人の歌だし、声も黒人のようなパワフルだし、誰もが黒人が歌っていると思っていた。
それでエルヴィスの曲を初めてかけたDJが本人をスタジオに呼んだんだね。
ところがエルヴィスは生来の内気。おまけに映画館で「真昼の決闘」を観ていたところを突然スタジオに呼ばれてしまった。
「すみません、僕、本番ではしゃべれません」というのも当然だよね。でも「そうかい。でも、今は本番じゃなくて打ち合わせだけだから」といってDJは2人の会話を放送してしまったんだ。
で、そのとき初めてDJが「君はどこのハイスクールを卒業したの?」と聞いたんです。すると、エルヴィスは「ヒュームズ高です」と答えた。
それを聴いていたラジオの前の人々はびっくりしてしまったんだ。みんな黒人が歌っていると思っていたのに、エルヴィスの口から出てきた学校名は白人学校だったから。一夜にしてスター誕生ですよ。
55年、エルヴィスはトム・パーカー大佐という人と出会います。
後々までエルヴィスのマネージャーをやる人です。大佐といっても軍人ではありませんよ。南部では普通のおじさんに「大佐」を敬称のようにつける習慣があるんだ。例えば、ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースのカーネルが「大佐」という意味。
さて、このパーカー大佐、興業の世界で生きてきた海千山千の人なんだけれど、あまり素性がはっきりしない。
エルヴィスと出会うまでに何をやっていたかというと、お祭りとかでよく見かける怪しげなショーをやっていた。
どういうショーかというと、焼けたトタン板の上にオガクズをまいてその上にニワトリを放す、するとニワトリは熱いから飛び跳ねるよね、それで「踊るニワトリショー」と。
それからレモン1個に大量の黄色い絵の具を入れてレモネードです、と売りまくったり・・・。
【 “キング・オブ・ロックンロール”の栄光と挫折 】
そんなパーカー大佐と出会い、56年ぐらいからアメリカ全土に知られるようになって次々とレコードが売れていく。
「ハート・ブレイク・ホテル」とか、「ジェイル・ハウス・ロック(監獄ロック)」とか、
そして「ハウンド・ドッグ」とか、みなさんも知っている曲がいっぱいあると思います。
ところで、この56年、エルヴィスがレコーディングのために乗った飛行機がエンジントラブルを起こしてしまい、砂漠に緊急着陸するという事件が発生した。
エルヴィスが飛行機嫌いになるきっかけとなった一件で、その飛行機嫌いのせいでイギリスや日本に来なかったといわれていた。
ところが、どうやらそれはウソで来日しなかったのもパーカー大佐に原因があったようなんだ。
というのも、パーカー大佐は実はアメリカの市民権を持たないオランダ人で、一度出国してしまうと二度とアメリカに戻ってこられなくなる。それでエルヴィスをアメリカ大陸に縛り付けたんだろう、といわれている。
『続きえ』
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