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リトル・モンスターの部屋
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『続き』【“キング・オブ・ロックンロール”の栄光と挫折 】

それはともかく、エルヴィスは世界的なスターへと成長した。
つまりラジオで初めてエルヴィスの曲を聴いた人々が「なんだ、この曲は」 「誰だ、歌っているヤツは」 と驚いた。
そしてエルヴィスの存在を知った人たちが「黒人だと思っていたら白人だったのか」 と思った瞬間、そのときこそが今で言うところの「ロックンロールの誕生」だったんです。
だから、エルヴィスは“キング・オブ・ロックンロール”なんだ。
レコードの枚数もそうだけど、オリジナルを作ったという点でその功績は大きいと思う。
ロックンロールに近いもの、例えばリズム&ブルースとかいろいろあるけれど、いわゆる「ロックンロールの概念」を作り上げた張本人、それが ELVIS PRESLEY だった。
でも、いろいろな意味でエルヴィスはアメリカの良識層からは嫌われてしまいます。
というのも、歌が下品過ぎる(ロックを知らなかったから)、腰を動かしながら歌う、そしてもっと非難されたのが黒人の歌を白人が歌っていたから。
その当時の常識から外れていたからね。
若者たちからは情熱的な支持を受けていたけれど、テレビやラジオ、新聞などのマスコミは良識層の非難を受けて、エルヴィスを出してみた。
するとなんと、視聴率が70%を越えてしまうという大事件に発展してしまった。
こうなると口ではエルヴィスを非難するけれども、テレビ局は彼を欲しくなる。例えば、その当時アメリカのもっとも保守的な人気番組に「エド・サリバン・ショー」*3 というのがあった。
エド・サリバンというのは堅苦しい保守的なオヤジでアメリカの道徳なんかを説いたりしていた。
このエド・サリバンはテレビではっきり言ってます、「オレの番組にエルヴィスは出さない」と。
ところが、そのエド・サリバンでさえエルヴィスが欲しくなってしまい、前言を撤回。
ついに「エド・サリバン・ショー」にエルヴィスは出演するんです。
視聴率はなんと82.6%。ほぼすべてのアメリカ人が見たといってもいいでしょう。
そして、数々のヒット曲を飛ばした後の60年、エルヴィスは兵士としてドイツへ行きます。
当時のアメリカには徴兵制度があったからね。
で、2年間の従軍を終えて帰国すると、エルヴィスはまた歌いたくなるんだけれど、パーカー大佐がそれに待ったをかけるんだ。
「歌いたい気持ちはよくわかる。でもエルヴィス、これからは映画の時代だ。映画をやろう!」。
それで映画*4 をやり始めたエルヴィス。
とてもシンプルな構図の作品が多いですね。
だいたい恋敵がいて冒険の未に女性を獲得して、最後にウクレレかなんか抱えて歌っちゃうという。
日本の「若大将シリーズ」みたいな感じだね。
まぁいずれにしてもビデオになっていると思うんで、エルヴィスの映画は一度見ておくといいとおもう。ストーリー的にはドつまらないのですが・・・。
さて、エルヴィスはもちろん映画の中でも歌い、サントラ盤をだす。
すると映画で儲かり、レコードで儲かり、と一粒で二度おいしくなるんだね。
でもその一方で、純粋なシンガーとしての活動からは離れていってしまう。
そして、エルヴィスはそうやって映画に出ている間に、どんどんどんどん音楽の趨勢から離れていってしまった。
例えば、60年代にはビートルズだってアメリカで大活躍していたし、イギリスのバンドも暴れ始めた。
すると、なんか古くなっちゃったんだね、エルヴィスは。
で、どんどん忘れられていく、でもパーカー大佐の指示でステージには立てない。
その間にもベトナム戦争とかヒッピーとか、アメリカの文化が熱していった時代のに「『ブルーハワイ』なんて映画はないだろう」、となってしまうんだね。
そしてだんだん「ダサイ人」というイメージがついてしまう。
67年ごろにはラジオ局の興味はシェープリームス、ドアーズ、サイモン&ガーファンクルなどのアーティストに移ってしまい、エルヴィスの新曲には見向きもしなくなっちゃうんだ。

*3 1941年から71年にかけて放送されたアメリカのお化け番組。「テレビ・バラエティー」という言葉もこの番組が生み出したと言われている。音楽、映画、コメディ、舞台などのその時代の第一線のスターをゲストに招き、喜劇から教養まで幅広い趣向で視聴者の心をつかむ。出演したゲスト数はのべ1万人。

*4 「ヤング・ヤング・パレード」(‘63) / 「ラスベガス万才」(‘63) /「青春カーニバル」 (‘64) /「いかすぜ!この恋」(‘65) / 「ハレム万才」(‘65) / 「ハワイアン・パラダイス」(‘65) / 「ブルーマイアミ」(‘67) / 「スピードウェイ」(‘68) / 「エルヴィス・オン・ステージ」(‘70) / 「エルヴィス・オン・ツアー」(‘72) / 「ジス・イズ・エルヴィス (THIS IS ELVIS)」(‘81)


【 復活。それは最後の輝きだった・・・ 】

ところが68年、エルヴィスはカムバックします。そして、このときからがエルヴィスの最後の黄金時代です。テレビのショーで歌ったんだけれど、60年に兵隊にとられているからなんと8年ぶりの純粋なショーだったわけだ。
カムバック以降については映画「エルヴィス・オン・ステージ」とかラスベガスのショーのもようを収めたビデオがあるんですが、本当に中年期に入った肉厚の色気のある声で歌っている。
そんな声で聴かせる「ラブ・ミー・テンダー」なんて最高だよ。
こうやってみごとに復活したエルヴィス。
だけど、このころから太り始めてしまう。
太りやすい体質だったんだろうね。
そして肥満とともに抱えてしまった病気が、緑内障、腸ねん転、腎不全、心臓肥大、進行性低血糖症、動脈硬化、膠原病疾患、高血圧、それからドラックの副作用。
その結果、彼は1977年に亡くなりました。
その当時はドーナッの食べ過ぎが原因だったってまことしやかに言われていたんだ。
でも実は、彼が死んでからエルヴィスで儲けようとした人がエルヴィスの身内から出てきた。
例えばボディガードをしていた人、コックをしていた人、そういった人が次々とあることないこと言いまくって、それが暴露本となって世の中に出る。
出るとそれが200万部、300万部と売れてしまう、お金にはなるわ、昔の根みははらせるわで、変態だとかムチャクチャ言われたんだよ、エルヴィスは。
じゃあ本当のエルヴィスがどういう人間だったかというと、ステージこそ激しかったけれど非常に内気でシャイな人間だったから自分のことはほんとんど語らなかった。
だから、本当にドーナツの食い過ぎで死んだどうかはわからないし、他にもいろいろあったんです。
「実はプレスリーは生きていた」なんて記事まで出ているんだ。
例えば、CIAのスパイになって死んだことにして調査をしているとか。
何もこんなに目立つ人をスパイにする必要はないと思うんだけれど。
あとプレスリー宇宙人説なんていうのもあったな。
今はUFOに乗ってるとか言って。
まぁ、彼はプリシラと結婚してリサ・マリーという娘をもうけたんだけれど、アーティストとしての神秘性を出したいというパーカー大佐の指示で「なるべく友だちはつくるな」とか、「映画以外はテレビに出るな」とかさせられていました。
つまり、普通の人間関係を遮断させられていたんだね。
周りはものものしいよ、取り巻きがいっぱいいたから。
友だちと呼べる人は誰もいない。やがて、そんなエルヴィスに愛想をつかしてリサ・マリーを連れてプリシラも出ていってしまう、そしてその寂しさを紛らわすためにどんどん食べて太ってしまったんだ。だから晩年を考えると、とても孤独な人だったんじゃないかと思うね。
さらに死んだ後でさえ、宇宙人だったとか、スパイだったとかいろいろ言われてしまう。人間はだれしも孤独です。
その孤独を支えてくれる人が、家族だったり、友達だったり、恋人なんだと思う。エルビスはスターですから、周りにはいつもたくさんの人がいたけれど、それだけ、強い孤独を感じていたんじゃないかな。
スターという職業は常に孤独と闘わなくてはならない。
厳しい職業です。

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今日の授業は,エルヴィス・プレスリー

・肉厚

・歌に芯がある

・色気

でも、最近は色気ばっかりが先行しちゃって、やたら声が高くなっている。
なんか頭くるんだよね。
で、この3つの要素を完璧に満たしているのが、
“キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリー

【ゴスペルに心惹かれた少年時代】

エルヴィスは1935年アメリカ南部ミシシッピー州にうまれています。
そして1977年に死んでいます。
とにかくスゴイ人。発表したシングル133枚、アルバム129枚。活動は20歳ぐらいからだから約20年、うち10年ぐらい活動していなかった時期があるから差し引き10年ちょっとの間でそれだけのヒットを出したことになる。もっとスゴイのは売れたレコードの枚数。
おそらく彼が世界一でしょう、20億枚!100万枚のミリオンセラー・ヒットがザッと2000回あったという計算になる。
印税がどれだけ入ったことか。
さて、そんなエルヴィスは1935年、ミシシッピー州の貧しい家庭の双子の弟として生まれている。
双子の兄の方は残念ながら死産だった。その後ミシシッピーからテネシー州メイフィスに移住するんだけど、両親は南部の土地を持たない小作農。家もいわゆるショットガン・ハウス(shotgun house)だった。ショットガン・ハウスというのは、ショットガン、つまり散弾銃は撃つと弾が広がって飛んでいくのに、その家に向けて散弾銃を撃っても弾が広がる前に貫通してしまうだろうと、つまりそれぐらい小さな家ということなんだね。
当時、それほど貧しい小作農といえば黒人ばかりかと想像してしまうでしょ。
でも白人にも貧しい人がいたんです。そんな貧しい家庭だったけれど、エルヴィスは両親から溺愛される。双子のお兄さんの方を亡くしていたからね。10歳の誕生日には母親から12ドル98セントのギターを贈られたり・・・。当時の家の事情を考えれば、12ドルだって結構キツかったんじゃないかな。そうやって結果的にはひとりっ子のように育てられたエルヴィスは、ちょっと内気でシャイな少年へと成長していきます。
そんなエルヴィス少年にも大好きなことがひとつだけあった。
教会へ行くことです。
教会といっても、当時はまだ白人と黒人は生活の分野が離れていたよね。
“separate but equal”という有名な言葉があるけど、separateは「分ける」、equalは「等しい」という意味。
つまり「分離すれども平等である」ということです。ボブ・ディランのところでもやったけれど、
黒人は白人と同じバスに乗ってはいけないとか、同じ食堂でご飯をたべてはいけないとかあったよね。
そんな白人と黒人の差別制度がアメリカで否定されたのは、1954年。つい最近んのことだね。
だから約40年前までは、白人と黒人が同じことをしてても同じ場所にいてはいけなかったんだ。
だから教会ももちろん別。白人教会と黒人教会に別れていました。
特にテネシー州などといった南部ではね。
ところが、教会へ行くことが好きだったエルヴィスは生まれつき音楽の才能があったのかもしれない。
というのも、白人教会へ出入りするうち黒人教会も好きになってしまったからなんだ。
では、その黒人教会にはエルヴィスを喜ばせる何かがあったのか?
ゴスペル*1 です。黒人が歌う宗教歌、黒人霊歌のこと。教会の中で歌う神を讃える歌だね。
日本でもよく耳にするようになった「アメイジング・グレイス」は有名なゴスペルだ。
あと興味がある人は「ミシシッピー・バーニング」*2  という映画を観るのもいいでしょう。
ゴスペルがたっぷり聴けるから。でもね、もともとのゴスペルの基礎は白人が作ったんだよ。
ゴスペルというと黒人というイメージがあるでしょう?
実は違う。
アメリカの教会活動の中で最初白人教会が作ったんです。それが徐々に黒人教会に取り入れられられていって、そしてあのパワフルな歌になっていった。
それがゴスペルの成り立ちなんです。
で、エルヴィスはそのゴスペルが好きで好きで仕方がない。
聴きたくて聴きたくて仕方がない。
そこで親に隠れて黒人ラジオ局のゴスペルを聴くようになってしまう。
さらに親に怒られながらも黒人の街へ行ったり、黒人の教会をのぞいたりもしていたんだ。いつか自分も音楽で飯を食うようになるだろうとは思いつつも、内気な少年だったから、なかなかそれを表現できない。
学校でよくやっていた「お楽しみ会」みたいもので、たまにギターを弾いて歌う程度だったんだ。
でも、そのエルヴィスの歌にみんなシビれてしまって「お前。将来歌手になるんじゃないか」とか言われてはいた。


*1 正規のキリスト教賛美歌に対し、大衆の間で生まれた福音唱歌。もとは19世紀後半に各地で起こった信仰復興運動で歌われた歌を意味したが、今日では民俗音楽の範疇に入るようなキリスト教音楽、特に黒人のリズム感や叫ぶような歌唱法を特徴とする歌をゴスペル・ソングという。世界的に有名なゴスペル・シンガーにマヘリア・ジャクソン(1911-72)などがいる。なお、本文ではゴスペル=ゴスペル・ソングとする。

*2 「ミッドナイト・エクスプレス」などで知られるアラン・パーカー監督の問題作 (88年米)。
64年、黒人に対する差別感情の激しいミシシッピー州で発生した公民権運動失踪事件を追う2人のFBI捜査官の苦悩と活躍を描く。ジンー・ハックマン、ウィレム・デフォーが対照的なFBI捜査官を好演。
作品賞、主演男優賞、助演女優賞などでオスカー候補に。


【 「母へのプレゼント」 ですべてが始まった・・・ 】

やがて高校を卒業すると、歌手になりたいという思いがムクムクと頭をもたげてきます。
でも、両親がお金がなくて苦悩しているのを目の当たりにしているので、やはりまともな仕事につかなくてはいけない。
ということで、工事現場ではたらいたり、トラックの運転手をしたりしながら、生計を立てていく。
しかし、やっぱりどうしても歌が歌いたくなってしまうんだ。
そこで1954年、18歳のときに母へのプレゼントということでレコードを自主制作するんです。
今、カラオケ屋でも簡単にCDつくれるでしょ、あれと同じように当時のアメリカでも簡単にレコードが作れたんだね。ギターをプレゼントしてくれた母へのお返しということもあったのかもしれない。
自らでレコードを作るんだけれど、実はどうもそれ以外にもうひとつ目的があったようなんだな。
というのも、エルヴィスがそのときレコードを作ろうと訪れたスタジオは、使用料が4ドルもかかるちょっと豪華なもの。
そこらの街中の「レコード作りまっせん」的なスタジオだったら50セントぐらいで作られたのにだよ。エルヴィスが、ないお金を出してちょっと高級なスタジオを選んだのは、母にプレゼントすると同時に、自分もある程度プロっぽいところで録音して認められたいという気持ちがあったからだと思うんだ。ちなみにそのときレコーディングした曲は「My Happiness」と「心のうずくとき」という曲です。
さて、エルヴィスがなけなしの4ドルをはたいて行ったレコーディングが実を結びます。
このスタジオの経営者のサム・フィリップスという人は、ことあるごとに「黒人のように歌える白人がいたら100万ドルなんてすぐ儲かるさ」なんて言っていた。そのうち「WithoutYou」という曲を歌う歌手がいなかったもんだから、たまたまエルヴィスに白羽の矢がたった。
でも、歌わせるとこれがさんざんな出来。
そこでフィリップスが仕方なく「何か歌えるんだい?」て尋ねると、エルヴィスは「リズム&ブルース、カントリー&ウェスタン、ゴスペルとディーン・マーチン」。
これを聞いたフィリップスは「これはイケルかも」と、エルヴィスにレコーディングさせることにしたんだ。
そのレコーディングの休憩中、エルヴィスがギターで「That’s All Right」を弾き始めた。するとバンドの面々が加わり、即興のジュムセッションが始まってしまった。
フィリップスはあわててテープを回したんだ。「これこそが俺が求めていた黒人の曲と白人の歌手の組み合わせから生まれた新しい音楽だ」てね。
2日後、その「That’s All Right」があるラジオ局で流された。
途端に電話が殺到ですよ。
「この歌声はナンダ!」と街中が大騒ぎになってね。
素人の何げない即興が、小さな街中に火をつけてしまったんだ。
なんと初めてかけた夜にリクエストが25回、それに応えて一晩で「That's All Right」を25回もかけてしまった。
もちろん電話は鳴り止まない状態。
「あの曲はなんだ?」「あれは誰が歌っているんだ?」・・・。
黒人の歌だし、声も黒人のようなパワフルだし、誰もが黒人が歌っていると思っていた。
それでエルヴィスの曲を初めてかけたDJが本人をスタジオに呼んだんだね。
ところがエルヴィスは生来の内気。おまけに映画館で「真昼の決闘」を観ていたところを突然スタジオに呼ばれてしまった。
「すみません、僕、本番ではしゃべれません」というのも当然だよね。でも「そうかい。でも、今は本番じゃなくて打ち合わせだけだから」といってDJは2人の会話を放送してしまったんだ。
で、そのとき初めてDJが「君はどこのハイスクールを卒業したの?」と聞いたんです。すると、エルヴィスは「ヒュームズ高です」と答えた。
それを聴いていたラジオの前の人々はびっくりしてしまったんだ。みんな黒人が歌っていると思っていたのに、エルヴィスの口から出てきた学校名は白人学校だったから。一夜にしてスター誕生ですよ。
55年、エルヴィスはトム・パーカー大佐という人と出会います。
後々までエルヴィスのマネージャーをやる人です。大佐といっても軍人ではありませんよ。南部では普通のおじさんに「大佐」を敬称のようにつける習慣があるんだ。例えば、ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースのカーネルが「大佐」という意味。
さて、このパーカー大佐、興業の世界で生きてきた海千山千の人なんだけれど、あまり素性がはっきりしない。
エルヴィスと出会うまでに何をやっていたかというと、お祭りとかでよく見かける怪しげなショーをやっていた。
どういうショーかというと、焼けたトタン板の上にオガクズをまいてその上にニワトリを放す、するとニワトリは熱いから飛び跳ねるよね、それで「踊るニワトリショー」と。
それからレモン1個に大量の黄色い絵の具を入れてレモネードです、と売りまくったり・・・。

【 “キング・オブ・ロックンロール”の栄光と挫折 】

そんなパーカー大佐と出会い、56年ぐらいからアメリカ全土に知られるようになって次々とレコードが売れていく。
「ハート・ブレイク・ホテル」とか、「ジェイル・ハウス・ロック(監獄ロック)」とか、
そして「ハウンド・ドッグ」とか、みなさんも知っている曲がいっぱいあると思います。
ところで、この56年、エルヴィスがレコーディングのために乗った飛行機がエンジントラブルを起こしてしまい、砂漠に緊急着陸するという事件が発生した。
エルヴィスが飛行機嫌いになるきっかけとなった一件で、その飛行機嫌いのせいでイギリスや日本に来なかったといわれていた。
ところが、どうやらそれはウソで来日しなかったのもパーカー大佐に原因があったようなんだ。
というのも、パーカー大佐は実はアメリカの市民権を持たないオランダ人で、一度出国してしまうと二度とアメリカに戻ってこられなくなる。それでエルヴィスをアメリカ大陸に縛り付けたんだろう、といわれている。
『続きえ』

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コートニー・ラヴ 

グラストン フェスティバル 1999

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