ここから本文です
リトル・モンスターの部屋
☆感謝☆ (☆_★)

書庫金髪先生!!

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

シド・ヴィシャス

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

今日の授業は,シド・ヴィシャス

カッコイイね〜♪
けど
歌がどへたで〜♪
ベースろくに弾けないは〜♪
だけどあそこにステージに立っただけではながあるよね〜♪
あれだけ技術がともあわなくってあれだけカッコイイ人は珍しいよ〜♪
技術がともあまわないことすらカッコイイと思えてしまう
そのシド・ヴィシャスなんだけども

21歳でヘロイン中毒で死んでます。

かんぺきにドラックで死んでいます

21歳よ!

21歳・・・

21歳で死んでる

Sid Vicious

シド・ヴィシャス

(1957〜1979)

 

もともとセックス・ピストルズのメンバーではなかったです。
ピストルズと言うと〜♪
アナーキー・イン・ザ・UK
とか超有名ですね〜♪
その〜アナーキー・イン・ザ・UK
デビュウ曲を出した時も
メンバーではなかった。

ただ
ピストルズの中で
なかたがいがあって
ベースのグレン・マドロックが脱退してしまって
グレン・マドロックが脱退した後に
ベーシストさがさなきゃ
ようわね
ボーカルのジョニー・ロットンの
かつての友達で
ピストルズの親衛隊
ピストルズのおっかけ
その中に一人カッコイイのがいるぞ
なおかつそぼうな性格してるぞ〜
あいつを入れると凄くピストルズじたいが
カッコよくなるんじゃないか
で、1977年にセックス・ピストルズ加入
この時は
加入とはいっても
ベースが弾けないです。
いちよね〜
イギリス中をさわがしてるプロノバンドなのに
いきなりベース弾かないベーシストが入って
なんで問題がおきなかったのか〜?

セックス・ピストルズそのものが
音楽てきにはべつに評価されてなかった

ようするにベースを下げてるんだけど
時々バン〜♪と叩くぐらいで
後は暴れてるんですよ
暴れてるんだけどカッコイイの
とにかく
なによりも彼が入ったことで
ピストルズはあらたなシンボルをえた

それまでは
楽曲先行の音楽先行の言葉先行の
さ〜革命だ〜♪とかか
アナ〜キすとだとか
そう言う事をいてるですよ
けどシド・ヴィシャスが入ったしゅんかんに
存在そのものがメセージ


シド・&ナンシー
1978年

Nancy Spungen

ナンシー・スパンゲン

(1958〜1978)


この頃
ナンシー・スパンゲンという
アメリカの女の子
この女の人とくらすようになります。
二人はこの頃からドラックズ漬けです。
でこの頃ある音楽雑誌のインタビューで

俺は後せいぜい2年くらいしか生きられない

でもそれでじゅうぶんさ


言ってるんですね
だからドラックで体が蝕んでた事
命さえ蝕んでた事は彼本人も自覚してた事です。

1978年、ジョニー・ロットンがピストルズ脱退を表明。

シドはソロに。


いよいよソロコンサートのため
ナンシーとニューヨークへ

そして
10月12日
ナンシーがホテルの部屋の中で
刃物でメッタヅキにされて死んでいた

そして
刃物を持ってたのは
シド・ヴィシャス

で憶えてないんです。
自分が刺したかどうかも
そこまできてたんだね
自分が刺したかどうかもまったく憶えてない

だから
ナンシ殺したのはだれだって話になってますけども
ま〜
その部屋には二人しかいなかったんだし
二人ともドラックにそうとうはまってましてたから
ま〜シドが殺ったんだろと言われてますけどね
まだシドがやったとは言いきれませんけど・・・

で10月12日にナンシーが死んで
警察に捕まる
で〜ここでね
マルコムがね5万ドルの保釈金をはらってだしちゃんです。

マルコム・マクラレン

セックス・ピストルズの仕掛け人、マネージャー


出てですね
こんどはまたクラブで
パティ・スミスの弟をボコボコにしちゃって
また警察に入っちゃう

警察に入って
また出てきます。
2月1日に釈放
釈放されたもんで
母親や友人をまねいてパーティ
そのまんまヘロインをやっちゃんですね

で2月2日に
ヘロインで死亡


ジャンキーの話
めいんきがどんどん下がってしまうから
病気しやすくなっちゃうし
皮膚が化膿しちゃう死
ロンドンとかニューヨークで
出会うジャンキーとは
顔がブツブツ穴開いちゃってうんじゃって
全然カッコイイものではないよ
まだでもいいよ
そこまでも自分で責任もって
そうなっちゃったけど
私は好きでやってるんだからて言ってるんだから
いいけれど
最後にさ
唯一の理解者である
ナンシまで
刺しちゃって、殺しちゃって
それすら解らない
いうとこまで人格が破壊されていくんですよ

元覚せい剤をやってた人からの手紙から
ここで実際覚せい剤をやりだすとどうなるのかを
そのひとたちのからいただいた手紙を元に

みんなが想像してるのは
やせていくこととかねこととかだときがするけど
まず
時間の感覚が亡くなってしまう
それから
光をまぶしく感じる
シド&ナンシーの映画にもありましたね
テレビの光が強すぎる消して
日中なんかとてもサングラス無しでは歩けなくなっちゃう
そういうじょうきょうに・・・
これ以上すすんで行くと
ようするに
幻想、幻覚、幻聴
その結果
われわれは
人間対人間として話しますね
それが
相手が人間に見えなくなってしまう
全員が自分を食べにきた猛獣に観いてしまう
全員が自分を殺しに来た悪魔にみえてしまう
つまり
完全に人格を破壊してしまうんだよ
コカインヘロインとか。


シドはですね
ナンシーに対して
ラヴレターをたくさん書いているんです
その一通読みたいと思います。

ナンシーおまえは僕の可愛い人だ

僕はおまえの恐怖を全て分け合った

おまえを腕で抱く時どんなに幸福だったか

おまえの涙をキスでぬぐう時も

でもおまえのいない今は苦しむしかない

僕はなにもできない

おまえのために生きられないならもうこの世に生きて行きたくない

僕の可愛い人よ

僕らの愛は永遠だ

ここまでの気持ちがあるわけですよ
ここまでの気持ちがちゃんとナンシーにあったんですよ
でも
ドラックのやりすぎの中でそれすらもわかんなく刺してしまった。

ジミ・ヘンドリックス

にしても

ジャニス・ジョップリン

にしても

ジム・モリソン

にしても
それからドラックさえやんなければ

カート・コバーン

もあんなに
なんなかったかもしれない
みんな
もちろん
勝手にやって
勝手に死んで行ったけど

シドの場合 は

自分の恋人まで殺してるわけですよね

こういうことになった時に
はたして
いいじゃんロッカーだから
ドラックぐらいって
ことが言えるのか・・・

(金)僕はやっぱり
法に違反する違反しない
と言うより

NOドラック

あの
ドラックがあったから
シドは、かっこよかったとは思いたくないです

ベースを弾けないのにステージに上がったシドがカッコイイですよ

あくまでも
そっちなんですよ
カッコイイのは


=== 今日の課題曲 ===

My Way

この曲を歌ってた人は
フランク・シナトラ
で、作った人はだれ〜?
実は
=== ポール・アンカが ===
フランク・シナトラにプレゼントした歌
自分では歌ってないですね
フランク・シナトラにさしあげた歌
だけど
シド・ヴィシャスが音痴に歌って
テプアップをして
パンクくにはいってくシーンは
も〜めちゃくちゃかっこいいね
これは
シドがせっかく歌いましたから
シドりゅ〜で訳していきたいとおもいます。

And now the end is near

今!終わりが近い


なにのおわりですか?
自分の人生のことですよ

And so l face final curtain

最後の幕引きだ


My friend l' ll say it clear

I' llstate my case of which l'm certain

はっきり言ってやる

自信を持って俺の人生を話そう


I've lived a lifc that's full

I've travelled each and every highway

俺は懸命に生きてきた

俺はあらゆる道を歩んできた


And more, much more than this

I did it my way

そして何よりも

俺は俺なりのやり方で生きてきたのさ


終わりが近いぜ〜♪
最後の幕引きだ〜♪
はっきり言ってやるぜ〜♪
自信をもって
俺の人生
俺のやり方を言うよ〜♪
一生懸命生きてきたんだ〜♪
あらゆる道を歩んできたんだ〜♪
俺は俺なりのやり方で生きてきたのさ〜♪
他人がどうこう言う生きかたじゃない〜♪
俺は俺なりのやり方で生きてきたんだ〜♪
て歌ってるわけですね〜♪
べつに結婚式で歌う歌じゃないんです
も〜これは本当に
じーさんに絶叫して歌ってもらいたい歌ですね〜♪
ばーさんでもいいです。(笑)


あまり思いたくないのは
ま〜謝礼とかいろんなものとかあって
シド・ヴィシャスがこれを歌った
ま〜マルコムに歌わされたかもしれないけど
けしてその
ドラックにはまって死んでしまうこと
人まで殺してしまうことが

俺のやりかたではないと思う


Boyus, Be Sid Vicious!


なんでBoyus, Be Sid Vicious!かというと
滅んでったシドじゃなくって
ベースも弾けないのにステージに上っていってそれで〜
あれだけのアーティストでパワーを持った
あの無鉄砲さ
あの大胆さ
あの勇気
あのバかさ加減
あれが好きなんだよね
凄く好きなんだよね
もちろん
彼の後半の人生
最後の1年2年
一年はとても認められないけども
あの大胆さが

Boyus, Be Sid Vicious!

なんだよね。


開くトラックバック(12)

イメージ 1

『続き』【“キング・オブ・ロックンロール”の栄光と挫折 】

それはともかく、エルヴィスは世界的なスターへと成長した。
つまりラジオで初めてエルヴィスの曲を聴いた人々が「なんだ、この曲は」 「誰だ、歌っているヤツは」 と驚いた。
そしてエルヴィスの存在を知った人たちが「黒人だと思っていたら白人だったのか」 と思った瞬間、そのときこそが今で言うところの「ロックンロールの誕生」だったんです。
だから、エルヴィスは“キング・オブ・ロックンロール”なんだ。
レコードの枚数もそうだけど、オリジナルを作ったという点でその功績は大きいと思う。
ロックンロールに近いもの、例えばリズム&ブルースとかいろいろあるけれど、いわゆる「ロックンロールの概念」を作り上げた張本人、それが ELVIS PRESLEY だった。
でも、いろいろな意味でエルヴィスはアメリカの良識層からは嫌われてしまいます。
というのも、歌が下品過ぎる(ロックを知らなかったから)、腰を動かしながら歌う、そしてもっと非難されたのが黒人の歌を白人が歌っていたから。
その当時の常識から外れていたからね。
若者たちからは情熱的な支持を受けていたけれど、テレビやラジオ、新聞などのマスコミは良識層の非難を受けて、エルヴィスを出してみた。
するとなんと、視聴率が70%を越えてしまうという大事件に発展してしまった。
こうなると口ではエルヴィスを非難するけれども、テレビ局は彼を欲しくなる。例えば、その当時アメリカのもっとも保守的な人気番組に「エド・サリバン・ショー」*3 というのがあった。
エド・サリバンというのは堅苦しい保守的なオヤジでアメリカの道徳なんかを説いたりしていた。
このエド・サリバンはテレビではっきり言ってます、「オレの番組にエルヴィスは出さない」と。
ところが、そのエド・サリバンでさえエルヴィスが欲しくなってしまい、前言を撤回。
ついに「エド・サリバン・ショー」にエルヴィスは出演するんです。
視聴率はなんと82.6%。ほぼすべてのアメリカ人が見たといってもいいでしょう。
そして、数々のヒット曲を飛ばした後の60年、エルヴィスは兵士としてドイツへ行きます。
当時のアメリカには徴兵制度があったからね。
で、2年間の従軍を終えて帰国すると、エルヴィスはまた歌いたくなるんだけれど、パーカー大佐がそれに待ったをかけるんだ。
「歌いたい気持ちはよくわかる。でもエルヴィス、これからは映画の時代だ。映画をやろう!」。
それで映画*4 をやり始めたエルヴィス。
とてもシンプルな構図の作品が多いですね。
だいたい恋敵がいて冒険の未に女性を獲得して、最後にウクレレかなんか抱えて歌っちゃうという。
日本の「若大将シリーズ」みたいな感じだね。
まぁいずれにしてもビデオになっていると思うんで、エルヴィスの映画は一度見ておくといいとおもう。ストーリー的にはドつまらないのですが・・・。
さて、エルヴィスはもちろん映画の中でも歌い、サントラ盤をだす。
すると映画で儲かり、レコードで儲かり、と一粒で二度おいしくなるんだね。
でもその一方で、純粋なシンガーとしての活動からは離れていってしまう。
そして、エルヴィスはそうやって映画に出ている間に、どんどんどんどん音楽の趨勢から離れていってしまった。
例えば、60年代にはビートルズだってアメリカで大活躍していたし、イギリスのバンドも暴れ始めた。
すると、なんか古くなっちゃったんだね、エルヴィスは。
で、どんどん忘れられていく、でもパーカー大佐の指示でステージには立てない。
その間にもベトナム戦争とかヒッピーとか、アメリカの文化が熱していった時代のに「『ブルーハワイ』なんて映画はないだろう」、となってしまうんだね。
そしてだんだん「ダサイ人」というイメージがついてしまう。
67年ごろにはラジオ局の興味はシェープリームス、ドアーズ、サイモン&ガーファンクルなどのアーティストに移ってしまい、エルヴィスの新曲には見向きもしなくなっちゃうんだ。

*3 1941年から71年にかけて放送されたアメリカのお化け番組。「テレビ・バラエティー」という言葉もこの番組が生み出したと言われている。音楽、映画、コメディ、舞台などのその時代の第一線のスターをゲストに招き、喜劇から教養まで幅広い趣向で視聴者の心をつかむ。出演したゲスト数はのべ1万人。

*4 「ヤング・ヤング・パレード」(‘63) / 「ラスベガス万才」(‘63) /「青春カーニバル」 (‘64) /「いかすぜ!この恋」(‘65) / 「ハレム万才」(‘65) / 「ハワイアン・パラダイス」(‘65) / 「ブルーマイアミ」(‘67) / 「スピードウェイ」(‘68) / 「エルヴィス・オン・ステージ」(‘70) / 「エルヴィス・オン・ツアー」(‘72) / 「ジス・イズ・エルヴィス (THIS IS ELVIS)」(‘81)


【 復活。それは最後の輝きだった・・・ 】

ところが68年、エルヴィスはカムバックします。そして、このときからがエルヴィスの最後の黄金時代です。テレビのショーで歌ったんだけれど、60年に兵隊にとられているからなんと8年ぶりの純粋なショーだったわけだ。
カムバック以降については映画「エルヴィス・オン・ステージ」とかラスベガスのショーのもようを収めたビデオがあるんですが、本当に中年期に入った肉厚の色気のある声で歌っている。
そんな声で聴かせる「ラブ・ミー・テンダー」なんて最高だよ。
こうやってみごとに復活したエルヴィス。
だけど、このころから太り始めてしまう。
太りやすい体質だったんだろうね。
そして肥満とともに抱えてしまった病気が、緑内障、腸ねん転、腎不全、心臓肥大、進行性低血糖症、動脈硬化、膠原病疾患、高血圧、それからドラックの副作用。
その結果、彼は1977年に亡くなりました。
その当時はドーナッの食べ過ぎが原因だったってまことしやかに言われていたんだ。
でも実は、彼が死んでからエルヴィスで儲けようとした人がエルヴィスの身内から出てきた。
例えばボディガードをしていた人、コックをしていた人、そういった人が次々とあることないこと言いまくって、それが暴露本となって世の中に出る。
出るとそれが200万部、300万部と売れてしまう、お金にはなるわ、昔の根みははらせるわで、変態だとかムチャクチャ言われたんだよ、エルヴィスは。
じゃあ本当のエルヴィスがどういう人間だったかというと、ステージこそ激しかったけれど非常に内気でシャイな人間だったから自分のことはほんとんど語らなかった。
だから、本当にドーナツの食い過ぎで死んだどうかはわからないし、他にもいろいろあったんです。
「実はプレスリーは生きていた」なんて記事まで出ているんだ。
例えば、CIAのスパイになって死んだことにして調査をしているとか。
何もこんなに目立つ人をスパイにする必要はないと思うんだけれど。
あとプレスリー宇宙人説なんていうのもあったな。
今はUFOに乗ってるとか言って。
まぁ、彼はプリシラと結婚してリサ・マリーという娘をもうけたんだけれど、アーティストとしての神秘性を出したいというパーカー大佐の指示で「なるべく友だちはつくるな」とか、「映画以外はテレビに出るな」とかさせられていました。
つまり、普通の人間関係を遮断させられていたんだね。
周りはものものしいよ、取り巻きがいっぱいいたから。
友だちと呼べる人は誰もいない。やがて、そんなエルヴィスに愛想をつかしてリサ・マリーを連れてプリシラも出ていってしまう、そしてその寂しさを紛らわすためにどんどん食べて太ってしまったんだ。だから晩年を考えると、とても孤独な人だったんじゃないかと思うね。
さらに死んだ後でさえ、宇宙人だったとか、スパイだったとかいろいろ言われてしまう。人間はだれしも孤独です。
その孤独を支えてくれる人が、家族だったり、友達だったり、恋人なんだと思う。エルビスはスターですから、周りにはいつもたくさんの人がいたけれど、それだけ、強い孤独を感じていたんじゃないかな。
スターという職業は常に孤独と闘わなくてはならない。
厳しい職業です。

開くトラックバック(5)

イメージ 1

今日の授業は,エルヴィス・プレスリー

・肉厚

・歌に芯がある

・色気

でも、最近は色気ばっかりが先行しちゃって、やたら声が高くなっている。
なんか頭くるんだよね。
で、この3つの要素を完璧に満たしているのが、
“キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリー

【ゴスペルに心惹かれた少年時代】

エルヴィスは1935年アメリカ南部ミシシッピー州にうまれています。
そして1977年に死んでいます。
とにかくスゴイ人。発表したシングル133枚、アルバム129枚。活動は20歳ぐらいからだから約20年、うち10年ぐらい活動していなかった時期があるから差し引き10年ちょっとの間でそれだけのヒットを出したことになる。もっとスゴイのは売れたレコードの枚数。
おそらく彼が世界一でしょう、20億枚!100万枚のミリオンセラー・ヒットがザッと2000回あったという計算になる。
印税がどれだけ入ったことか。
さて、そんなエルヴィスは1935年、ミシシッピー州の貧しい家庭の双子の弟として生まれている。
双子の兄の方は残念ながら死産だった。その後ミシシッピーからテネシー州メイフィスに移住するんだけど、両親は南部の土地を持たない小作農。家もいわゆるショットガン・ハウス(shotgun house)だった。ショットガン・ハウスというのは、ショットガン、つまり散弾銃は撃つと弾が広がって飛んでいくのに、その家に向けて散弾銃を撃っても弾が広がる前に貫通してしまうだろうと、つまりそれぐらい小さな家ということなんだね。
当時、それほど貧しい小作農といえば黒人ばかりかと想像してしまうでしょ。
でも白人にも貧しい人がいたんです。そんな貧しい家庭だったけれど、エルヴィスは両親から溺愛される。双子のお兄さんの方を亡くしていたからね。10歳の誕生日には母親から12ドル98セントのギターを贈られたり・・・。当時の家の事情を考えれば、12ドルだって結構キツかったんじゃないかな。そうやって結果的にはひとりっ子のように育てられたエルヴィスは、ちょっと内気でシャイな少年へと成長していきます。
そんなエルヴィス少年にも大好きなことがひとつだけあった。
教会へ行くことです。
教会といっても、当時はまだ白人と黒人は生活の分野が離れていたよね。
“separate but equal”という有名な言葉があるけど、separateは「分ける」、equalは「等しい」という意味。
つまり「分離すれども平等である」ということです。ボブ・ディランのところでもやったけれど、
黒人は白人と同じバスに乗ってはいけないとか、同じ食堂でご飯をたべてはいけないとかあったよね。
そんな白人と黒人の差別制度がアメリカで否定されたのは、1954年。つい最近んのことだね。
だから約40年前までは、白人と黒人が同じことをしてても同じ場所にいてはいけなかったんだ。
だから教会ももちろん別。白人教会と黒人教会に別れていました。
特にテネシー州などといった南部ではね。
ところが、教会へ行くことが好きだったエルヴィスは生まれつき音楽の才能があったのかもしれない。
というのも、白人教会へ出入りするうち黒人教会も好きになってしまったからなんだ。
では、その黒人教会にはエルヴィスを喜ばせる何かがあったのか?
ゴスペル*1 です。黒人が歌う宗教歌、黒人霊歌のこと。教会の中で歌う神を讃える歌だね。
日本でもよく耳にするようになった「アメイジング・グレイス」は有名なゴスペルだ。
あと興味がある人は「ミシシッピー・バーニング」*2  という映画を観るのもいいでしょう。
ゴスペルがたっぷり聴けるから。でもね、もともとのゴスペルの基礎は白人が作ったんだよ。
ゴスペルというと黒人というイメージがあるでしょう?
実は違う。
アメリカの教会活動の中で最初白人教会が作ったんです。それが徐々に黒人教会に取り入れられられていって、そしてあのパワフルな歌になっていった。
それがゴスペルの成り立ちなんです。
で、エルヴィスはそのゴスペルが好きで好きで仕方がない。
聴きたくて聴きたくて仕方がない。
そこで親に隠れて黒人ラジオ局のゴスペルを聴くようになってしまう。
さらに親に怒られながらも黒人の街へ行ったり、黒人の教会をのぞいたりもしていたんだ。いつか自分も音楽で飯を食うようになるだろうとは思いつつも、内気な少年だったから、なかなかそれを表現できない。
学校でよくやっていた「お楽しみ会」みたいもので、たまにギターを弾いて歌う程度だったんだ。
でも、そのエルヴィスの歌にみんなシビれてしまって「お前。将来歌手になるんじゃないか」とか言われてはいた。


*1 正規のキリスト教賛美歌に対し、大衆の間で生まれた福音唱歌。もとは19世紀後半に各地で起こった信仰復興運動で歌われた歌を意味したが、今日では民俗音楽の範疇に入るようなキリスト教音楽、特に黒人のリズム感や叫ぶような歌唱法を特徴とする歌をゴスペル・ソングという。世界的に有名なゴスペル・シンガーにマヘリア・ジャクソン(1911-72)などがいる。なお、本文ではゴスペル=ゴスペル・ソングとする。

*2 「ミッドナイト・エクスプレス」などで知られるアラン・パーカー監督の問題作 (88年米)。
64年、黒人に対する差別感情の激しいミシシッピー州で発生した公民権運動失踪事件を追う2人のFBI捜査官の苦悩と活躍を描く。ジンー・ハックマン、ウィレム・デフォーが対照的なFBI捜査官を好演。
作品賞、主演男優賞、助演女優賞などでオスカー候補に。


【 「母へのプレゼント」 ですべてが始まった・・・ 】

やがて高校を卒業すると、歌手になりたいという思いがムクムクと頭をもたげてきます。
でも、両親がお金がなくて苦悩しているのを目の当たりにしているので、やはりまともな仕事につかなくてはいけない。
ということで、工事現場ではたらいたり、トラックの運転手をしたりしながら、生計を立てていく。
しかし、やっぱりどうしても歌が歌いたくなってしまうんだ。
そこで1954年、18歳のときに母へのプレゼントということでレコードを自主制作するんです。
今、カラオケ屋でも簡単にCDつくれるでしょ、あれと同じように当時のアメリカでも簡単にレコードが作れたんだね。ギターをプレゼントしてくれた母へのお返しということもあったのかもしれない。
自らでレコードを作るんだけれど、実はどうもそれ以外にもうひとつ目的があったようなんだな。
というのも、エルヴィスがそのときレコードを作ろうと訪れたスタジオは、使用料が4ドルもかかるちょっと豪華なもの。
そこらの街中の「レコード作りまっせん」的なスタジオだったら50セントぐらいで作られたのにだよ。エルヴィスが、ないお金を出してちょっと高級なスタジオを選んだのは、母にプレゼントすると同時に、自分もある程度プロっぽいところで録音して認められたいという気持ちがあったからだと思うんだ。ちなみにそのときレコーディングした曲は「My Happiness」と「心のうずくとき」という曲です。
さて、エルヴィスがなけなしの4ドルをはたいて行ったレコーディングが実を結びます。
このスタジオの経営者のサム・フィリップスという人は、ことあるごとに「黒人のように歌える白人がいたら100万ドルなんてすぐ儲かるさ」なんて言っていた。そのうち「WithoutYou」という曲を歌う歌手がいなかったもんだから、たまたまエルヴィスに白羽の矢がたった。
でも、歌わせるとこれがさんざんな出来。
そこでフィリップスが仕方なく「何か歌えるんだい?」て尋ねると、エルヴィスは「リズム&ブルース、カントリー&ウェスタン、ゴスペルとディーン・マーチン」。
これを聞いたフィリップスは「これはイケルかも」と、エルヴィスにレコーディングさせることにしたんだ。
そのレコーディングの休憩中、エルヴィスがギターで「That’s All Right」を弾き始めた。するとバンドの面々が加わり、即興のジュムセッションが始まってしまった。
フィリップスはあわててテープを回したんだ。「これこそが俺が求めていた黒人の曲と白人の歌手の組み合わせから生まれた新しい音楽だ」てね。
2日後、その「That’s All Right」があるラジオ局で流された。
途端に電話が殺到ですよ。
「この歌声はナンダ!」と街中が大騒ぎになってね。
素人の何げない即興が、小さな街中に火をつけてしまったんだ。
なんと初めてかけた夜にリクエストが25回、それに応えて一晩で「That's All Right」を25回もかけてしまった。
もちろん電話は鳴り止まない状態。
「あの曲はなんだ?」「あれは誰が歌っているんだ?」・・・。
黒人の歌だし、声も黒人のようなパワフルだし、誰もが黒人が歌っていると思っていた。
それでエルヴィスの曲を初めてかけたDJが本人をスタジオに呼んだんだね。
ところがエルヴィスは生来の内気。おまけに映画館で「真昼の決闘」を観ていたところを突然スタジオに呼ばれてしまった。
「すみません、僕、本番ではしゃべれません」というのも当然だよね。でも「そうかい。でも、今は本番じゃなくて打ち合わせだけだから」といってDJは2人の会話を放送してしまったんだ。
で、そのとき初めてDJが「君はどこのハイスクールを卒業したの?」と聞いたんです。すると、エルヴィスは「ヒュームズ高です」と答えた。
それを聴いていたラジオの前の人々はびっくりしてしまったんだ。みんな黒人が歌っていると思っていたのに、エルヴィスの口から出てきた学校名は白人学校だったから。一夜にしてスター誕生ですよ。
55年、エルヴィスはトム・パーカー大佐という人と出会います。
後々までエルヴィスのマネージャーをやる人です。大佐といっても軍人ではありませんよ。南部では普通のおじさんに「大佐」を敬称のようにつける習慣があるんだ。例えば、ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースのカーネルが「大佐」という意味。
さて、このパーカー大佐、興業の世界で生きてきた海千山千の人なんだけれど、あまり素性がはっきりしない。
エルヴィスと出会うまでに何をやっていたかというと、お祭りとかでよく見かける怪しげなショーをやっていた。
どういうショーかというと、焼けたトタン板の上にオガクズをまいてその上にニワトリを放す、するとニワトリは熱いから飛び跳ねるよね、それで「踊るニワトリショー」と。
それからレモン1個に大量の黄色い絵の具を入れてレモネードです、と売りまくったり・・・。

【 “キング・オブ・ロックンロール”の栄光と挫折 】

そんなパーカー大佐と出会い、56年ぐらいからアメリカ全土に知られるようになって次々とレコードが売れていく。
「ハート・ブレイク・ホテル」とか、「ジェイル・ハウス・ロック(監獄ロック)」とか、
そして「ハウンド・ドッグ」とか、みなさんも知っている曲がいっぱいあると思います。
ところで、この56年、エルヴィスがレコーディングのために乗った飛行機がエンジントラブルを起こしてしまい、砂漠に緊急着陸するという事件が発生した。
エルヴィスが飛行機嫌いになるきっかけとなった一件で、その飛行機嫌いのせいでイギリスや日本に来なかったといわれていた。
ところが、どうやらそれはウソで来日しなかったのもパーカー大佐に原因があったようなんだ。
というのも、パーカー大佐は実はアメリカの市民権を持たないオランダ人で、一度出国してしまうと二度とアメリカに戻ってこられなくなる。それでエルヴィスをアメリカ大陸に縛り付けたんだろう、といわれている。
『続きえ』

番組リスト

昔テレビ朝日でやってた、金髪先生の番組のリストを、発見!でもって、うつしてきました。

放送日   アーティスト
  第 1回 96.10.1  ザ・ローリングストーンズ
  第 2回 96.10.8  ジャニス・ジョプリン
  第 3回 96.10.15  キッス
  第 4回 96.10.22  セックス・ピストルズ
  第 5回 96.10.29  クィーン
  第 6回 96.11.5   エアロスミス
  第 7回 96.11.12  チャック・ベリー
  第 8回 96.11.19  レッド・ホット・チリペッパーズ
  第 9回 96.11.26  ザ・フー
  第10回 96.12.3  バディ・ホリー
  第11回 96.12.10  パティ・スミス
  第12回 96.12.17  ジミ・ヘンドリックス
  第13回 97.1.7  ザ・キンクス
  第14回 97.1.1   黒豹
  第15回 97.1.21  ポール・マッカートニー
  第16回 97.1.28  イギー・ポップ
  第17回 97.2.4  クラッシュ
  第18回 97.2.11  クリーム
  第19回 97.2.18  U2
  第20回 97.2.25  ボブ・ディラン
  第21回 97.3.4  エルヴィス・プレスリー
  第22回 97.3.11  ビージーズ
  第23回 97.3.18  ジョン・レノン
  第24回 97.3.25  ボン・ジョヴィ
  第25回 97.4.1  スティング
  第26回 97.4.8  ニルヴァーナ
  第27回 97.4.15  スコーピオンズ
  第28回 97.4.22  ディープ・パープル
  第29回 97.4.29  ラモーンズ
  第30回 97.5.6  ドアーズ
  第31回 97.5.13  デヴィッド・ボウイ
  第32回 97.5.20  エンヤ
  第33回 97.5.27  レッド・ツェッペリン
  第34回 97.6.3  フィッシュ・ボーン
  第35回 97.6.10  レニー・クラヴィッツ
  第36回 97.6.17  ビリー・ジョエル
  第37回 97.7.1  ボーイ・ジョージ
  第38回 97.7.8  パール・ジャム
  第39回 97.7.1   グリーン・デイ
  第40回 97.7.22  ピーター・ガブリエル
  第41回 97.7.29  ビーチ・ボーイズ
  第42回 97.8.5  ルー・リード
  第43回 97.8.12  カーペンターズ
  第44回 97.8.19  イーグルス
  第45回 97.8.26  メタリカ
  第46回 97.9.2  ベッド・ミドラー
  第47回 97.9.9  ロリンズ・バンド
  第48回 97.9.16  T.REX
  第49回 97.9.23  トム・ウェイツ
  第50回 97.9.30  サイモン&ガーファンクル
  第51回 97.10.7   マイケル・ジャクソン
  第52回 97.10.14  エルヴィス・コステロ
  第53回 97.10.21  プラターズ
  第54回 97.10.28  フランク・ザッパ
  第55回 97.11.3  ガンズ’N ローゼズ
  第56回 97.11.10  マドンナ
  第57回 97.11.17  エルトン・ジョン
  第58回 97.11.24  ジョニ・ミッチェル
  第59回 97.12.1  ピンク・フロイド
  第60回 97.12.7  シド・ヴィシャス
  第61回 97.12.15  ポール・ウェラー
  第62回 98.1.6  ニール・セダカ
  第63回 98.1.13   ビョーク
  第64回 98.1.20  オアシス
  第65回 98.1.27  ニール・ヤング
  第66回 98.2.3  ブルース・スプリングスティーン
  第67回 98.2.10  スティーヴィー・ワンダー
  第68回 98.2.17  チーフタンズ
  第69回 98.2.24  トーキング・ヘッズ
  第70回 98.3.3  ユッスー・ンドゥール
  第71回 98.3.10  ヴィレッジ・ピープル
  第72回 98.3.17  チープ・トリック
  第73回 98.3.24  リンダ・ロンシュタット
  第74回 98.3.31  ロッド・スチュワート
  第75回 98.4.7  アリス・クーパー 東海林のり子
  第76回 98.4.14  ロイ・オービソン 世良公則
  第77回 98.4.21  ジョン・フォガティ 柳ジョージ
  第78回 98.4.28  アバ 大槻ケンヂ       
  第79回 98.5.5  ザ・モンキーズ 斉藤和義
  第80回 98.5.12  シカゴ 寺田恵子
  第81回 98.5.19  ラットルズ ローリー寺西
  第82回 98.5.26   デフ・レパード SHONO
  第83回 98.6.2  ベイ・シティ・ローラーズ NOB
  第84回 98.6.16  プリンス 白井良明
  第85回 98.6.23  ママス&パパス サンプラザ中野
  第86回 98.6.30  シニード・オコナー 水戸華之介
  第87回 98.7.7  ホール&オーツ 鈴木けいすけ
  第88回 98.7.14  シンディ・ローパー 木暮武彦
  第89回 98.7.21  Prodigy 電撃ネットワーク
  第90回 98.7.28  ナット・キング・コール 高木ブー
  第91回 98.8.4  ソフィー・セルマーニ 中山加奈子 
  第92回 98.8.11  レニングラード・カウボーイズ ANCHANG
  第93回 98.8.18  マイク・オールドフィールド カルメン・マキ
  第94回 98.8.25  ショーン・レノン フーリューズ
  第95回 98.9.1  ブロンディ 細川ふみえ
  第96回 98.9.8  バーブラ・ストライサンド  山咲 千里
  第97回 98.9.15  ボブ・マーリィ 関口 和之
  第98回 98.9.22  ザ・ビートルズ 第1期〜第3期卒業生

あ〜懐かしいな〜
肝心のニルヴァーナ見過ごしてるしな〜・・・
最期の方は
バイトが忙しかったから
見れてないんだよな〜
またやらないかな〜
再放送でもいいから、
つうか、DVDで出してほしいな〜

開くトラックバック(8)

JOHN LENNON

イメージ 1

イメージ 2

今日の授業は   ジョン・レノン

「人生は出会いと別れの繰り返し」とよく言われるけれど、
実際のところ人生で出会いと別れの数はどっちが多いんだろう。
実はいっしょなんだ。
つまり出会った数だけ別れもあるということ。
ジョン・レノンもいろいろなものと出会い
いろいろなものにさよならし
そして本人自身がこの世を去るとき
先生を男泣きさせてしまったアーティストなんだ。
みなさんも知っているとおり
ジョン・レノンは1980年に熱狂的なファンによって射殺されました。
忘れもしない12月8日。
この日は太平洋戦争が始まった日でもありますね。
ジョンが死んだ80年というと
「金髪」先生はまだ高3でした。
学校をさぼってて、ボーッとしながらラジオをつけたら「ジョン・レノンが撃たれました」というニュースをやっていてすごいショックを受けたのを覚えている。
ついでに言うと、「12月8日」という曲があるんだけど
(叫ぶ詩人の会のファースト・アルバムの中に)
それもジョンのことをテーマにした歌です。
まぁそれだけ先生が受けたショックも大きいかったということです。

45〜46歳のロックが好きなおじさんなんかは、お酒を飲んだときに「俺もジョンの歳を越えてしまった」なんてよく言っている。
ジョンは40歳で亡くなっているでしょう。
でも自分は40歳を超えて生きているのにジョンのようにはなれなかった
ということなんだよ。
どんな人でも夢があるけれども
ジョンのようにはなれなかったと団塊の世代の人はよく言っています。
それだけジョンがミュージシャンの枠を超えてしまっているともいえるだろうね。


【孤独な少年時代からビートルズへ】

では、そのジョンの歴史をひもをといていこう。
1940年にイギリスのリバプールに生まれています。
お父さんは船乗りだったからあまり家に帰ってこない。
だから、主にお母さんと家でいっしょに過ごしていたんですが
そのお母さんはジョンが幼いころに交通事故で死んでしまう。
で、結局ミリーおばさんという人に育てられるんだけど
形式的には幼いころに両親ともに失ってしまったような生活ですね。
孤独な少年時代ですよ。
やがて音楽が自分の人生に入り込んでくるようになります。
そのきっかけがエルヴィス・プレスリー。
エルヴィスを聴いて影響を受けてしまったんだね。
そして
ポール・マッカートニーと出会い
ビートルズの原形を作っていくわけなんですが
ジョンはね
やたらお母さんのことを歌った曲が多いでしょう。
やっぱり小さいときに死んでしまったお母さんに対する思い入れというのがすごくあったんだと思う。
ビートルズ時代が
いわいるビートルズが売れて世に知られるようになってからをスタートとすると1962〜1970年ということになる。
そのビートルズのアメリカでの最大のヒット曲に「Hey Jude」というのがあります。
この曲はジョンの前妻シンシアとの間に出来た息子ジュリアン・レノンを歌ったものなんだね。
実はジョンとシンシアの結婚生活はあまりうまくいってなくて
それでしょんぼりしていたジュリアンを元気づけてやろうとポールが作った曲ということは有名な話です。
さて
ジョンとシンシアなんだけれど、
ジュリアンという子供をもうけながらもうまくいっていなかった。
理由まではわからないけれど
おそらくフィーリングがあわなかったんでしょう。
そんな1966年
ジョンはオノ・ヨーコと出会い
恋に落ちてしまうんです。

【センセーショナルだったヨーコとの恋】

このオノ・ヨーコという人
ミュージシャンでもなんでもない
抽象芸術家だった。
抽象芸術家というのは
ホラ
よく若手のアーティストの展示会なんか見に行くと丸太に釘1000本ぐらい打って「現代」とかタイトルつけてあるヤツ、あるでしょ。
「なんでこれが“現代”なんだ」というような作品を作る人
そういう人のこと。
オノ・ヨーコはヨーロッパを中心に活動していたんですが
彼女の個展にジョンが出掛けるんだ。
ここで諸説紛々あるんだけれど
先生が聞いた話では
その個展ではしごを昇っていく作品が出展されていた。
そのはしごを昇っていって上をのぞくと「YES」という文字が見える。
つまり「YES」とは「すべてのものを肯定しなさい
どんなに汚いものであろうと自分の存在を肯定しなさい」
とそんなふうにジョンは解釈したわけだ。
そこでジョンは
今まで出会ったこともない大きな愛に触れたような気になってしまうんです。
そしてジョンとオノ・ヨーコは急速にちかづいていき
恋仲になるんだね。
1968年
ジョンはシンシアと離婚。
翌69年ヨーコと再婚するわけです。
ジョンはおそらくいろいろなところで傷ついてシニカルになってしまった人間だったから
すべてのことにおいて「YES」と言ってくれるヨーコみたいな人に初めて出会いったじゃないか
とおもう。
ビートルズの中でもいろいろな神経戦があったしね
大きな愛に触れたような気がしたんだろうね。
いずれにせよ68年にシシアンと離婚
69年ヨーコと結婚
そして1970年にビートルズは解散します。
それにしてもジョンとヨーコの結婚は
当時としてはすごいセンセーショナルな出来事だった。
というもの
2人はベトナム戦争に反対してアムステルダムのホテルで1週間裸のまま抱きあって過ごしたんだよ。
あの「レット・イット・ビー」という映画を見てもらうとわかるけど。
「ベッド・イン」という運動だったんです。
まわりは記者とカメラがいっぱいいるんだよ。
そんな中でナニはするし・・・。
でも
それこそが人間の本当の姿じゃないかと
鉄砲を持てって殺し合いするよりはずっとましだと言ったかったんだ。
似たような運動で「ライ・ライ」とか
「ダイ・イン」とかっていうのもある。
lieは「横たわる」
dieは「死ぬ」というともに動詞だね。
反戦運動とかでプラカード持ってデモ隊を組んで警官隊とやり合うのもひとつの運動だけども
そうじゃなくて例えば国会議事堂の前へ行って1万人ぐらいが一斉に死んだように横たわる
それも運動のひとつだと。
今でもよく広島や長崎の反核運動で「ダイ・イン」とか「ライ・イン」をやったりしているよね。
それと似た運動のひとつとして彼らは「ベッド・イン」をやったわけです。
ここからですね
「Love and Peace」という言葉が市民権を得たのは。
ところでこれは余談なんだけれど
ジョンが撃たれ亡くなったとき
ヨーコはシシアンとジュリアンのもとに電話を入れている。
撃たれて殺されたから葬式に来てくださいってね。
でも
そう言われてもジュリアンにはちょっと坻抗があった。
ただ
自分の本当の父親だということで結局葬式に出席するんです。
その葬式の夜のこと。
シンシアが離婚したときにジョンから慰謝料としてもらった自宅
そのときもジュリアンと住んでいたんですが
そこが嵐にあって煙突が倒れてしまった。
で、その煙突がどこに落ちたか。なんとジュリアンの部屋だったんだね。
単なる偶然の話かもしれないよ、ただ、
もしヨーコが「葬式にきなさい」という電話を入れなかったら
おそらくジュリアンは死んでいたでしょう。
話をもどしましょう。
70年
ニューヨークにヨーコと移り住んで「イマジン」という曲を発表します。
このころからジョンは政治の世界に首を突っ込むようになります。
あのU2のときに出てきたIRA(アイルランド共和国軍)を支持したり
薬の乱用が原因でアメリカから一時国外退去を命ぜられたりもしているんだね。
そのころちょっとヨーコと仲たがいがあったりして
また孤独になったりもしている。
そんなことを繰り返しながら1975年をむかえます。

【パパは昔ビートルズだったの?】

その75年、ヨーコとジョンの間にショーンという男の子が生まれます。
日本にもよく来ているよね、
プラスチック・オノ・バンドのギターでもあるし。
昔リンスかなんかのCMにも出ていた。
さて、ヨーコとの間に子供ができたジョンは長い休業期間に入ってしまう。
ビートルズ時代は忙しかった
離婚も再婚も乗り換えた
そして「ベッド・イン」などの反戦運度もやり
ソロになって「イマジン」というヒット曲も出した・・・。
そんな目まぐるしい日々が続いたせいかどうかはわからないけれど
自宅でショーンの面倒をみるという生活に入ってしまいます。
いわゆるハウスハンズバンド(house husband)という
外に働きにでない夫、「主夫」になってしまうんだ。
「これがほんとの平和しゃないか」と思いながら。
それがショーンが生まれてから79年までの約5年間続きます。
ところが、そのショーンがものごころつくぐらいに成長したとき、
ジョンはショーからこんなことを言われる。
「パパって、昔ビートルズだったの?」
そのとき父親のジョンは思うんだね。
「そうか、ショーンは自分が歌っているところを見たことがない。それならもう一度ミュージシャンに戻ろう」と。
そして1980年から活動を再開することになる。
が、その年12月8日、マーク・チャップマンという「オレこそがジョン・レノンだ」と思い込むような熱狂的ファンが、ニューヨークのダコタハウスの前でジョンに向かって引き金を弾くんだ。

開くトラックバック(65)

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

リトル・モンスター
リトル・モンスター
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事