名前のない馬鹿 -A Fool With No Name-

5月3日〜5日の日中、ほぼ外にいた結果、顔にすごい日焼けをしてしまいました。

ただ、つらつらと

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

陸の孤島・福島市

とんでもない雪が降ったものです。
 
先週に引き続き、今週も降るとは聞いていたものの、まさか、「福島ではこんな雪は珍しい!」と地元の人たちを辟易させた先週の大雪よりも、更に大量の雪が一日で降るとは思いませんでした。
しかも我が家は小高い山の中腹に位置しており、平地までの坂を除雪しなければ家に帰り着くことが出来ません。
また、我が家の前にある坂は幅3メートルにも満たない完全な私道で、車一台がようやっと通れる程度です。
そのため、いったんある程度の雪が降ると、その狭い道に接した家の住人が総出で雪かきを行い、ただでさえ狭い道を少しでもなんとかしようと奮闘するのです。
昨日は朝9時から、アパートの駐車場と隣に住む一人暮らしのおじいちゃんの家の前の道までのおよそ30メートルほどの範囲を、隣のご家族と総出(嫁は、次の雪かきのときは私がやるからと言って出てきませんでしたが)で除雪しました。
その間も雪はどかどかと降り続き、午後からもうひと仕事しないといけないというのは明らかでした。
しかも、午後から雪は雨に変わるという予報が出ており、これだけ大量の雪に雨が降ったら、どれだけ重くなってしまうのだろうという恐怖感が背中を押すような状態でした。
そして午後3時、まだ止む気配のない雪の中、また総出で雪かき。
このときは午前中の雪かきで嫁が出てこないことを「風邪をひいている」という設定にしてあげたと言った私に、逆切れして暴力を振るった嫁もさすがに申し訳なく思ったのか、一生懸命雪をかいていました。
そして夕方から少しずつ雪が落ち着いてきたと思ったら…大きな雨粒が屋根を叩き始めました。
雨はほぼ一晩中降り続き、夕方までに駐車場に降り積もった雪もあらかた溶けてしまいました。
 
それなら…ということで、晴れ渡った空の下、せっかくだから昼ごはんを食べに行こうと出かけたのが間違いでした。
 
すっかり路面が乾いた細い坂を下り、その先にある幅5メートルほどの少し広い坂に出る手前で、私は急ブレーキを踏みました。
少し広い坂の沿線に住む人たちが総出で、多量の水を含んだ重い雪を必死で道路脇に片付けていたのです。
積み上げられた雪は想像以上の量で、岩手に長いこと住んでいた私でも、あまりお目にかかったことがないような光景でした。
それでもみなさんの努力でこの坂はなんとか大丈夫だろうと安心しながら2車線の道路まで坂を下りきったところ、そこには絶望的な光景が広がっていたのでした。
 
全く除雪されていない、15センチ以上の湿った雪が積もり、不規則な轍になっている道。
 
正直、この光景は初めて見ました。
岩手でしたら、こうなる前に除雪車が動いて雪をどけてくれます。
しかし福島市は本当に東北の一都市なのかと疑いたくなるほどに雪に対する備えや意識のレベルが低く、除雪車の台数が少ないだけでなく、住民が平気で庭に積もった雪を道路に捨てるのです。
ましてやこれほどの雪が一度に降るなどという経験はほぼ無いに等しいでしょうから、どうしても初動が遅れ、物理的な不足ともあいまってこの結果を生み出すのだろうと思われました。
 
しかし、坂を下りてしまったためにUターンするようなスペースも無いため、そのまま除雪されているであろう国道まで突っ走るしかなく、2WDの車に乗った私は、国道に着くまでに止まったら、スタックして一巻の終わりというギャンブルに挑むしかなくなりました。
そこからはほぼアクセルをベタ踏みで、左右にぐわんぐわん振られる車体を押さえ込むようにして、一気に国道まで出ました。
さすがに国道はある程度除雪されていたのですが…、本当は片側2車線のはずが、完全に1車線は除雪された雪で埋まり、更に途中途中で走行を断念して放置されたままの車やトラックが何台も置かれており、その横を轍に車輪を取られないように恐る恐る通ってゆくというその光景は、ちょっとした地獄絵図のようでした。
 
ここで嫁と、昼ごはんはスーパーにある食堂で済ませて、そのまま買い物をしようという結論に達しました。
私たちが向かったスーパーは、国道を真っ直ぐ進み、福島市の大動脈と言っても過言ではない国道4号線と交わる手前にあります。
なんとか時間をかけながらも目的のスーパーに到着し、とりあえずお昼ごはんを…と食堂に行くと、そこには一枚の張り紙が。
 
『大雪のため、本日は閉店とさせていただきます。 またのご来店を心よりお待ちしています。』
 
どうやら、食材を運ぶ手段がない上に、従業員のうちの何人かが店まで辿り着けないようでした。
想像以上の混乱ぶりに、もしかしてと思って携帯で道路情報を見た私は、そのまま凍りつきました。
東北自動車道は、昨日に引き続き、宮城県の泉ICから南の区間が、全て雪で通行止めになっていました。
と、いうことは…と、店を出て国道4号線まで行ってみると…、そこには南北に続く、終わりの見えない大渋滞がありました。
高速道路が止まる→一般国道が大渋滞という図式が見事に当てはまっていて、少なくとも私が見ていた1分ほどの間に、車はぴくりとも動きませんでした。
また、国道4号線は昨日から渋滞が収まらないために常に車列が続き、そのために幹線道路にも関わらず除雪もままならず、踏み固められた雪が不規則な路面を形成し、ますます走行が困難になって渋滞が悪化するという、負のスパイラルに陥っているようでした。
絶望的な状況を目の当たりにした私はスーパーに戻り、嫁と相談の後に昼食はスーパーの弁当に変更し、嫁と店内を回ってみると、やはりそこにはあちこちに『商品が入荷しないため、品物が用意できません』というお詫びの書かれた紙と、半分ほどが空になった棚が並んでいました。
それでもなんとかありあわせの食材で一生懸命作ってくれたのであろう弁当を、有難いと思いながらふたつ確保し、決して買いすぎることなく、いつも通りに数日分の食材を購入してレジに並びました。
レジに並びながら思ったのですが、先ほどのような大渋滞を目の当たりにしたり、これからあの道を通って、スタックせずにちゃんと家まで辿り着けるだろうかという得体の知れない不安に襲われたとき、人間は、その不安を少しでも払拭するために食料品を多く確保したくなるのだと実感しました。
正直、私も嫁も店内を回っている間、いつもは買わないような物までかごに入れ、後から冷静になってそれを棚に戻すということを何度かしました。
ですが、ただでさえ物流が途絶えて限られたものしか売られていないのに、我欲と不安に負けてみんなが多く買ってしまったら、ワリを食う人間を増やすだけで、誰にもメリットがありません。
そこらへんは、3年前の震災のときにも、略奪という言葉に置き換えて日記を書いた記憶があります。
まあ、そんな考えが頭をよぎる中、私たちは今後の作戦を立てるために車の中で弁当を食べながら話し合いをしました。
 
嫁の意見は、今すぐに家に向かい、とりあえず近くのコンビにあたりまでは行けるはずだから、あとはさっきの危険な道に突っ込んで、もし途中で止まったら車を押せばいいというものでした。
私は、即座に否定すると必ず良くない目に遭うので、あくまでロジカルに丁寧に説明をしました。
まず、コンビにまで戻ることは可能なこと、しかしスタックしてしまったら、誰も押す人がいなく、近所の人を引っ張ってこなければならず、最初からそんな迷惑をかける前提で行動はしたくないことを伝えました。
ロジカルな説明をしたのにも関わらず、当然のように嫁は私の言い方が気に食わないなどという理由で激怒しました。
そこでひとつの打開策となる、私の考えを伝えました。
幸いなことに太陽が出ているため、このままこの駐車場で時間を過ごして、さっきの坂の除雪が終わり、危険な道の雪が少しでも溶けて轍の高さが低くなってから帰ろう。
そう伝えたところ、あなたがおっしゃるんならそれでいいんじゃないですか? と、全く納得のいっていない言葉が返ってきました。
ならば、ということで私は椅子を倒し、2時まで寝ると言ってそのまま寝ました。
そして2時、嫁の「いつまで寝てる気だよ!」という言葉で起こされ、私は道路の雪が少なくなっていることを確認して、これはうまくすれば帰れると嬉しくなりました。
そして恐る恐る駐車場を出て、先ほどの危険な道の轍も低くなっていることを確認して、一気に坂に向かって進みました。
来たときとは違い、雪が車の腹をこする鈍い音もほとんど聞くことなく、坂の下まで車を進めることが出来ました。
除雪は坂のいちばん下の部分が今まさに終わろうとしているところで、私たちは窓を開けて除雪をしている人たちにお礼を言いながらそこを通り過ぎ、無事に家へと戻ってくることが出来ました。
 
わずか2時間ほどの出来事でしたが、私は運転したこともあり心底疲れてしまい、陸の孤島と化した福島市がこれほど悲惨なものだったのだと、3年前のことを痛烈に思い出しました。
とにかく確実に言えることは、不要不急の外出、特に車での外出は絶対にしないほうがいいです。
控えたほうが、ではなく、絶対に、やめたほうがいいです。
また、各所の詳細な状況が知りたい方は、ラジオ福島のツイッターを見れば驚くほど詳しい情報が載っています。
これは、各県のラジオ局でも同じようなツイッターを展開しているようですので、ご参考ください。
 
ちなみに、下の同じ場所から撮った写真の1枚目が先週の雪、2枚目が今週の雪の様子です。
車が抜けた部分と奥の屋根を見ていただければ、今週のほうが雪の量が多いのがお分かりいただけると思います。
 
イメージ 1
 
 
イメージ 2
 
 
 

お悩み相談のお悩み

私は、人と話をするのが好きです。
人の話を聞くのも好きですし、人にアドバイスをするのも好きです。
そういった理由からなのか、私は若い時分からよく知人の相談相手になってきました。
その相手は、ほとんどが女性です。
彼氏がどうだとか、今好きな人がいてだとか、会社での人間関係や仕事の進め方だとか…。
そのほとんどが恋愛がらみの内容だったのですが、そのたびに私は思っていました。
 
なぜ、その対象が冗談でも私ではないのだ、と。
 
そんなこんなで、私は若いながらも少ない人生経験の中からなるべく解決に向かうようなアドバイスをして、時には甘えている人に対して辛辣な言葉で叱咤したりもしました。
その結果、やっぱりウォッチさんに相談して良かったと言ってくれる人が多かったのですが、中には辛辣な言葉だけを記憶してしまい、あいつは私が悩んでいるのに厳しい言葉でこき下ろしてきた、などという悪評が流れてしまうこともありました。
そんな女性の悩み相談につきものなのが、涙です。
いつも強がって無理して、頑張って生きている女の人は、決して弱みに付け込みません、人畜無害ですというのを売りにしていた当時の私に相談をすることで、少しずつ話をしていくうに心がほぐれるのでしょうか、最初はなかなか本心を話さないのですが、徐々に心の扉を開き、そして今まで無理をしていたことを再認識させてあげると、感情が抑えきれなくなって自然と涙があふれてくるようでした。
 
今、私と一緒に働いている派遣社員のKさんという、結婚して1年足らずの女性が、悩みを抱えています。
その主な内容は、同居している義理のお母さんとの関係が上手くいかないというものです。
私は昔と変わらず今でも人畜無害を売りにしていて、何か悩みがあったら話を聞くからねと同じ部署の人たちにも話をしています。
そこでKさんと、ちょっとしたきっかけから互いの家庭の話になり、ここ数カ月ほど同居はめんどくさいんです、などという話をぽつぽつと聞いてあげたりしていましたが、ここ1カ月ほどは特に愚痴をこぼしませんでした。
そして1週間ほど前から、明らかにKさんの様子がおかしくなりました。
いつもにこにこしている人なのに、笑顔が消えて、ふさぎがちになってしまったのです。
もしかして、何かあったのではなかろうかと思っていたら、向こうから昼休みに話しかけてきました。
 
「ここ最近、すごく義母との関係がおかしくて、私が作った料理を食べてもらえないんです…。」
 
なるほど、と思いました。
きっと、今までもずっとそういうことがあったのに、我慢してごまかしてきたんだな、と。
すごく実直な女性で、普段の仕事でも少し無理をして頑張ってしまう人のため、私は家でも無理に笑顔を作って自分をごまかしてしまっていたのだろうと直感しました。
ですので、私はとにかく黙って話を聞いてあげました。
お義母さんは、食事の際にも自分以外の家族しか知らない話題ばかりを家族と話し、自分がその話についていけないのを楽しんでいるみたいだ、とか、自分の実家が農家で、そこから私が貰ってきた野菜には手を着けずに、同じ野菜をスーパーから買ってきて食べている、など。
いかにも陰湿でプライドの高いばあさんがやりそうな手口だと思いながら聞いていました。
Kさんがひととおり話し終えてから、私は話を聞きながら考えていた解決策を話しました。
お義母さんはきっとプライドが高く、自分の大事な一人息子を奪われたと思っていて、全てが意識して嫌がらせをしているわけではなく、無意識でやってしまっている嫌がらせもあるのではないか、それにいちいち腹を立ててしまっていたのでは、マザコンの気がある旦那さんまでもを敵に回してしまいかねないよ。
そして、旦那さんを味方につける=お義母さんを敵に回すという構図になってしまうので、旦那さんをあからさまに味方につけるのではなく、旦那さんと二人だけの秘密を共有するなどして、連帯感を持って知らないうちに自分に協力してしまっているように仕向けるのもひとつの手段だよ。
などなど、親身になってアドバイスをしました。
そして、
 
「本当に今までよく頑張ったよね、えらいね、でも、その頑張りは絶対に無駄なんかじゃないからね。」
 
と言った瞬間でした。
 
Kさんの大きな瞳からぽろりと涙がこぼれ落ち、そしてそれは留まる事を知らずいくつもの軌跡となって頬を伝っていきました。
どうやらKさんは今まで自分が強がっていたことや、誰にも頑張りを認めてもらえなかったことに気付いたのでしょう、感情に抑制がきかなくなり、大粒の涙と共に体の中から想いを言葉に乗せて大きな声で吐き出していました。
その言葉は嗚咽にところどころ遮られ、細切れになりながら、必死で私に意味を伝えるのがやっとでした。
 
「私っ、今っ! 家、家の中でっ! 全然、居場所がなくて! ずっと寂しくて! つ、辛くてっ! うわあああ!」
 
それは嗚咽を超えて、感情の渦に飲み込まれたかのような大声でKさんは泣きながら言葉を紡いでいました。
私はこういう場面を何度も見て来ていたので、全く動じずに、静かにただ感情が収まるのを待ちました。
そして、その泣き声に気付いた何人かのおばちゃん達が隣の部屋から集まってきました。
 
「Kちゃん、どうしたの!」
 
泣きじゃくり、ほとんど何も喋れない様子のKさんを見て、おばちゃん達は
 
「ウォッチさん! アンタ、何やったの!」
「!! いや、俺は何もやっ」
「ちょっと、Kちゃん、ウォッチさんに何されたの!」
 
それに対してKさんは必至で
 
ウォッチさんがっ!(悪いんじゃないの)  ウォッチさんがぁっ!(悪いんじゃないの)」
 
と、後半部分を言葉にできないまま、口に手を当てつつ私を軽く指差してぶんぶんと首を振りながら連呼するものだから、20代の女性に何かセクハラまがいなことをしておいて、自分は悪くないと平気でのたまう37歳のおっさんという構図が即座に完成。
騒然となるおばちゃん達に対して必死で無実を主張するものの、何か汚いものを見るような視線が刺さりました。
結果、しばらくして落ち着いてちゃんと喋れるようになったKさんが事情を説明するまで、私は若妻に手を出したセクハラ野郎と思われ続け、ひどく肩身の狭い思いをし続けたのでした。
 
 
 
●ウォッチタワーさんのお悩みです
 
良かれと思ってやったことが裏目に出るのが私の人生なら、
最初から誰かの嬉しさために何かをしてあげようとは思わない方がよいのですか?
続きです。
 
 
その後も、合っているのかいないのか、とりあえず解らない・思い出せそうな問題は全て飛ばして後から書くことにして進め、全く自信のないまま答えを書いていくのですが、ようやく半分に差し掛かろうというころに残り4分、あと半分ですの声。
 
ここで私は初めて自分の手が細かく震えていることに気付きました。
どうやら想定していなかった問題のレベルの高さに対する驚きと、あちこち抜けたままになっている回答欄への恐怖、そして刻々と過ぎていく時間への焦りとで、自律神経に変調をきたしているらしいのです。
私の書く字は普段からあまり褒められたものではないのですが、その時の私の字は、小刻みに震えて驚くほどに小さくて自信なさげな字になっていました。
そして、焦れば焦るほど、頭の中では完全に解っている、知っている答えが全く出てこなくなっていました。
 
よく、テレビの前でクイズ番組を見ながら、なんであんな簡単な問題が解らないのかねえ、あんなのは俺だって知ってるよ…などというのは簡単だけど、実際にその場に出てみると緊張で答えが出てこなくなるなんていう話は都市伝説のマユツバものの話だと吹聴されていますね。
 
ガチの話ですよ、本当に。
 
例えるなら、いきものがかり、とか、琵琶湖、といったレベルの単語すら、いつも使っている正常な回路が遮断されていて、脳の中のあちこちを迂回して、時間がかかってようやく捻りだすのがやっと、といった感じなのです。
とにかく、普段の慣れた道があちこち工事で通行止めになってしまった街を車で走るような感覚なんです。
もどかしいという単語がこれほど切実に感じられたことはないほど、その問題たちは私を苦しめました。
 
とにかく解る問題を確実に埋め、それから先ほど保留にしていた思い出せない問題を、頭の中の回路をたどり、何とか何問かは思い出して書くことができました。
そして、あっという間の8分間が終了しました。
ディレクターさんの、やめて下さい! の言葉と同時に、会場から一斉に溜め息が漏れました。
そんな私たちの目の前で、難しかったでしょ? と言わんばかりの笑顔でディレクターさんが立っていました。
後ろの方から口々に、何だよあの問題は、とか、全然解んなかったよ、などとつぶやかれる呪詛の中、問題用紙は回収され、15分間の採点時間という名の休憩時間に入りました。
 
私はこの時初めて左隣にいた、4番の受験番号の男性と話をしました。
男性は私と同じ福島市からの参加で、大雪の中、同じように家を早く出発してきたそうです。
そして話を聞くと、会場は全部で62席が用意されており、そのうちの40数席が埋まっていたとのことでした。
残りの人はどうしたんでしょうねと何とはなしに聞くと、どうやら猛吹雪のせいで磐越道の猪苗代〜磐梯熱海の間が通行止めになり、おそらく会津方面から参加される予定だった人は来れなくなってしまったのではないかとのことでした。
そう考えると、大雪ながらも会場に足を運べた私たちはまだ幸せだったのかな、などと考えていると、お待たせしました、という声とともに、ディレクターさんが戻ってきました。
その手には、回収した時よりもだいぶ枚数の減ったプロフィール記入用紙が握られており、通過者の少なさを伺わせました。
 
「では、これから通過者の発表を行います。 呼ばれた方は手を上げ、他の皆さんは拍手をお願いします。」
 
はっきり言って全く自信のなかった私は、それでも自分は出来る限りのことをした、だから大丈夫だと自分に言い聞かせました。
そして会場が固唾を飲む中、最初の合格者が発表されました。
私は、5番とコールしろ、5番とコールしろと念じ続けました。
 
「10番。」
 
はい、この時点で終了!
 
さすがに過度の期待はしていなかったものの、あっさりと自分の番号をスルーされてしまったことには正直言って落胆しました。
それは隣の方も一緒だったようで、軽く肩を落としていました。
 
「それでは続けて、17番。」
 
私は悔しさの混じった拍手を送りました。
なんだか、疲れちゃったな。
昼ごはん、何食べようかな。
 
「続きまして、4番。」
 
左隣の男性が、うおお! と言って腰を浮かせました。
私も思わず、すげえ! と言って、実に複雑な心境で拍手を送りました。
この男性が通過したことは、確かに喜ばしいことだ、と同時に、悔しくもある。
でも、番号が戻ってきたということは、私にもまだチャンスがあるんじゃないか? 
もし、私の番号が、『5番』がコールされるなら、次だ、次しかない。
ここでコールされなかったら、きっと私は落選だ、頼む、『5番』とコールしてくれ!
 
「5番。」
 
 
うおおおおおおおおおお!
 
 
私も思わず思い切り腰を浮かせてしまいました。
4番の男性も、やりましたね! と言って拍手してくれています。
正直その後の発表は、安堵感と、信じられないという思いで呆けたように聞いていました。
結局、一次予選を突破したのは私を含めて7人と、ペア参加の方が3組でした。
何とか、ペーパーテストは突破しました!
 
その後は、残念ながら選考に漏れた方々が退室し、通過者のみが部屋に残った状態で改めて席を前から順番に詰めて座り、個人写真の撮影を行いました。
二人ひと組で撮るため、私は先ほどの4番の男性と並んで写真を撮ってもらい、カメラを構えた女性の方から、もっとくっつけと言われて、おっさん二人が肩を寄せ合って写真に写るという、気恥ずかしい思いをしました。
 
そしてそれから一人30秒ほどで自己アピールをして、ディレクターさんからプロフィール用紙に書かれた内容についていくつか質問をされました。
私を含めた最前列5人の面接が終わると、その5人はそこでこの日は終了となり、私は他の4人の方と一緒にエレベーターに乗り、緊張感から解放されてどっと疲れが出た体を押すようにして、嫁の待つ車へと戻りました。
嫁は一次予選を通過したことを素直に喜んでくれ、私もそこでようやく一息つけました。
 
さて、ここからの流れなんですが、面接の結果、この人を本戦に出す候補にしようという話になったら、その人たちに2週間〜3週間以内に『アタック25 1年間出場権』というはがきが送られてくるそうです。
そして、届いてから1年以内に本戦出場が決まった人には直接連絡が来るそうです。
権利の有効期間は1年間ですので、それが過ぎたら権利は消滅してしまうのだそうです。
ですから、今はまずその権利の付いたはがきが2週間〜3週間以内に届くのを待つのみなのです。
 
何だか、面白いことになってきましたので、はがきが届いたら、ここで報告させていただきますね。
陰から面接通過・本戦出場を祈っていて下さると、嬉しいです♪
先週のはじめ、郵便受けを見に玄関に行った嫁が、「ひゃあ!」と、奇妙な叫び声を上げました。
何事かと思っていると、玄関から大急ぎでリビングに戻ってきた嫁はなんだか興奮しているようで
 
「来た! はがき!」
 
見るとその手には私への宛名が書かれたはがきが一枚握られており、裏を見ると『アタック25 予選会のご案内』と書かれていました。
私は以前よりクイズの予選会に出たいと考えており、嫁にもそんな話を幾度かした覚えがあります。
どうやら嫁はそれを覚えてくれていて、アタック25の福島県予選が行われるというCMを見て私の名前で応募したところ、それが見事当選したらしいのです。
私は素直に喜び、嫁にただただ感謝の言葉を贈りました。
これで今まで溜めこんだムダ知識がいかほどのものか、実力を試すことができる! 私の心は躍っていました。
 
そして今日、大雪の降る中福島市を出発し、郡山にある福島テレビ本社にて予選会に出場してきました。
 
最寄りの駐車場に車を停め、車は任せたと嫁に言い残して私は定刻12時の30分ほど前に福島テレビの門をくぐりました。
会場は社屋3階にある会議室のような場所で、エレベーターを降りてすぐの廊下に、『アタック25 予選会場』という看板が置かれていたのですぐにそれと解りました。
落ち着いた淡いグレーの壁面で統一された会場に入ると、3人掛けの会議テーブルが横2列または3列に並び、その他に窓際に2人掛けのテーブルが数脚並べられており、その総数はざっと60〜70人ほどと思われました。
あらかじめ嫁が調べてくれていた情報によると、この会場で行われるのは筆記式のペーパーテストで、その中の成績上位の何人かが面接へと進み、それ以外の参加者はそこで帰らせられるのだとか。
この70人という人数の中で、上位数名に入るのはどれだけの難易度だろうと考えないようにしても不安は次々と心に生まれ、私はすでに到着して思い思いの席に座っている何名かの参加者たちを横目で見ながら、壁際の目立たない席に腰を落ち着けました。
どうやら全ての席には福島放送さんからのちょっとしたプレゼントが袋に入れられて置かれているようで、私が気になってその袋を覗き込もうとした時でした、担当の方が部屋に入ってこられ、都合上、いちばん前の席から順番に詰めて座って下さいとの指示が出ました。
私は結果として、壁際の目立たない席から一転、いちばん前の列の、しかもほぼ真ん中という、これが学校なら絶対にうたた寝すらできない場所へと移動しました。
席の前の方に張り付けられている紙には『5』と書かれており、どうやらこれが私の受験番号のようでした。
 
11時45分を過ぎた頃でした、アタック25のディレクターという方がいちばん前に立ち、番組の裏話を面白おかしく話してくれました。
さすが関西の人は話が上手だななどと感心して聞いていましたが、どうやらその目的は参加者が発する独特の緊張感で会場がピリピリしていたため、それを和らげるためのようでした。
事実、私を含め他の参加者の皆さんもケラケラと楽しそうに話を聞いており、それから会場の雰囲気はだいぶんと和やかなものになりました。
その間も私の後ろでは参加者が続々と部屋に入ってくる様子が背中越しに伺え、下手に後ろを振り向けない分、見えない重圧が人の増加とともに少しずつ私にのしかかってきました。
 
そして定刻12時、ディレクターさんの、では、という声とともに、会場の雰囲気はいくぶんまた緊張感を孕み始めました。
まずはディレクターさんから今日の予選会の流れが説明されました。
最初にプロフィールを書くということ以外はほぼ嫁に聞いていた内容でしたので、私は特段驚くことなく話を聞いていましたが、話を聞き進めるにつけ、ここで上位に入らなければ1時間後には私はこの会場から敗者として出ていかなければならないという現実がまざまざと付きつけられているような気持ちになりました。
 
ここで頑張らないと、本戦出場の夢は潰えてしまう、だから、集中しろ、私。
 
私はこういう時、以前でしたらネガティブな方向に思考を偏らせて、悪い結果が出ても仕方がないことだと諦めて悦に入るようなことをしていましたが、最近は極力ポジティブに考えを偏らせるようにしています。
合格したい、とか、こうなりたい、ではなく、俺なら大丈夫だ、問題ない、予選通過できる、という感じにです。
そして心を落ち着かせて考えを良い方向にもっていく準備が整った私に、こんな言葉が聞こえてきました。
 
「予選の問題は難易度が高いですし、みなさんもそうおっしゃいますので、心を折らないようにして下さいね。」
 
私は、アタック25が好きで、よく見ています。
そして、そこで出される問題のほぼ6割程度は答えることができると自負しています。
そのぐらいの問題レベルで少し難易度が上がったところで、きっと持っている知識をフル活用すれば一次予選は突破できる、大丈夫だ、私!
全ての説明が終わり、全員の目の前に裏返しにされた問題用紙が配られ、ディレクターさんが時計を見ました。
ここからが大一番、8分間で30問のクイズとの闘いの幕開けです。
そしてディレクターさんがひときわ通る声で言いました。
 
始めてください!
 
一斉に紙がめくられる音が室内に幾重にも響き、ほぼ同時に昔よく聞いた、ペンが紙の上を走る音が聞こえはじめました。
私は受験番号と氏名、職業を大急ぎで書き、いざ第一問目! と問題用紙を睨みました。
 
 
問題1. ジュール・ヴェルヌの著書、海底二万里で…
 
 
何だよこれ! わかんねえよぉ!(心の叫び)
 
 
実際にはジュール・ヴェルヌの問題は出ていませんが、問題のレベルとしてはおおよそがこんな感じでした。
あまりのことに中途半端にひきつった笑顔のまま絶句していると、おそらく私と同じ心境であろう幾多の人が漏らす溜め息が、唸り声のように部屋を包みました。
すでに私の脳みそのどこかで火花が散っています。
先ほどまでのレッツ・ポジティブという心は一問目で巨大なハンマーでぶっ叩かれたかのごとく、粉々に崩れ落ちてしまいそうでした。
とりあえず落ち着こう、な、自分、解る問題から解いていけばいいんだ。
そして解る問題を探して答えを書いたのはようやく4問目でした。
 
まずい!
 
私の緊張と焦りは、ここ数年来感じたことがないほどまでに高まっていました。
 
 
その2へ続きます。
ホール・ボディー・カウンターという単語を、初めて聞いた方も多いと思います。
穴? 体? 数える? 何だそりゃ?
私も、最初聞いたときはいったいそれがどんなものなのかは想像もつきませんでしたが、後から知った英語表記はHole Body Counter(体の穴数え)ではなく、Whole Body(全身)を Counter(数値化する)ものです。
じゃあ一体何を数値化するものなのかというと…
 
体内の被曝線量です。
 
福島県に住んでいる人は、県からの指示により全員がこの検査を受けることになっています。
これは、言ってみれば福島県が背負った業のようなものなのでしょうか?
それにしても、ずいぶんと深い業を背負ってしまったものです。
自分たちが直接的にそのエネルギーを使うことなくただただ場所を貸し与えて、その結果がこれなのですから。
などと愚痴っても全く意味がないことも知っていますし、正直に言って福島に住んでいる人は多かれ少なかれ、あの後のほぼ2年の間に心の中で呪詛のように繰り返してきていることなのですから。
 
で、そのホール・ボディー・カウンターによる検査の順番が、私たち夫婦のもとに回ってきました。
それが、今日でした。
 
今日は午後からお互いに会社を休み、指定された医療機関に足を運ぶことにしました。
久しぶりに見る、平日午後の福島市はとても良く晴れていました。
そんな中、おそらく福島市に来てから初めて、平日二人での昼食を食べ、指定された病院へと向かいました。
 
車を停め、届いた封書に記載されていた受付場所に行くと、あらかじめ記載してあった問診表から書き写された身長・体重の書かれた名刺ほどの大きさの紙を渡され、そこに名前と読み仮名を書かされました。
そしてそれと引き換えに渡された番号は27番でしたので、今日は午前中から数えてこの人数が検査を受けたのだと思います。
次は受付のすぐ後ろの一角で皆さんも震災後しばらくの間テレビで見たであろう、あの服に付いた放射線量を測定するガイガーカウンターで全身を服の上からくまなく計測されました。
その場で数値は言われることなく、次はこちらですと案内された入口の前には何脚かの椅子が置かれており、名前が呼ばれるまでしばらく座っていてほしいとのことでした。
しばらく待っていると最初に嫁が呼ばれて中に入り、、それから間もなく中から一人検査を終えた方が出てきて、そのすぐ後に私の名前が呼ばれ、入口手前の下駄箱に靴を入れ、薄青色のスリッパに履き替えて、いかにも病院といった風情の、まるで病室の前にしつらえられたような無機質な引き戸を開けるとそこは縦に細長い作りの、縦6メートル、横3メートルほどの長方形をした部屋でした。
入口をはいってすぐの右手に検査時に着る浴衣のような服とスリッパ、そしてスリッパと同じような色のおそらく材質は紙であろうメッシュのキャップが置かれており、左手手前から時計まわりに5・4・3…と書かれた扉が並び、私から見て部屋の突き当たりが2、右手の奥が1と書かれた扉になっていました。
そして1の扉のこちらから見て手前側、1の部屋と検査着置き場との間に、検査室と書かれた、ここに入る時と同じ扉がありました。
部屋は全体的に淡いクリーム色で統一されており、番号の書かれた扉の奥は個室になっているようで、天井から伸びた細い支柱に高さ2メートルほどのパーテーションや扉がはめられており、そこから天井までは吹き抜けになっているせいで天井部分は部屋全体が見渡せました。
扉にせよパーテーションにせよ作りつけの設備ではなかったため、おそらく以前は別の用途で使われていたであろう比較的広い部屋を、複数の個室に区切ったらしいことがうかがえました。
 
私は係の女性に促され、2と書かれた扉の中へと入りました。
中は1.5メートル四方ほどの狭い個室で、左側の奥まった角には入口から見て右側を向いた状態で置かれた椅子が1脚とその後ろに20×15センチほどの鏡、そして椅子の左側には高さ60センチほどの棚に置かれた脱衣かごがありました。
係の女性から先ほど目にした薄緑色の検査服とメッシュキャップを渡され、服を脱いで下着だけになり、検査服とキャップを着けた状態で名前が呼ばれるまで椅子に座って待っていて下さいと言われ、扉が閉まりました。
そして2分ほどで検査室から誰かが出てきたようで、お世話様でしたと言う声が聞き慣れたものだったのでそれは嫁であることがわかりました。
嫁は私の隣、3と書かれた扉の部屋へと入り、直後、私の名前が呼ばれました。
係員は私が出たのを確認すると今まで私がいた4番の部屋のかぎを閉め、続いて検査室の扉を開きました。
そこには私の正面に横並びで机が2脚手前から奥へと並んでいて、手前の机には白衣を着た医師のような初老の男性が、奥にはオペレーターと思われる40代前半ぐらいの女性が座っていました。
そして彼らの机の正面から2メートルほど間をあけて、見たことのない機械が鎮座していました。
その機械の外観はこんな感じでした。
 
イメージ 1
 
私は医師の指示どおりに機械の狭い隙間に体をどうにか滑り込ませ、最終的にFASTSCANと書かれた柱の後ろにすっぽりと収まる形になりました。
頭上には緑と赤のランプが付いており、見上げるとCONTER OFFと書かれた赤いランプが灯っていました。
すると医師が2分間だけ我慢していて下さいねと言った次の瞬間に赤いランプが消え、COUNTER ONという緑色のランプが点灯しました。
 
2分間我慢しろ。
 
これはつまり、私のような巨漢の人間にはその狭い空間は息苦しいだろうが、ちょっとの間我慢してほしいという言葉の簡略系だと思われました。
事実、のちに嫁に聞いたところ、嫁はそのようなことは全く言われなかったそうでした。
そして本当に2分経ったのかと思うほどに短い2分間が過ぎ、頭上の赤いランプがまたCOUNTER OFFという文字を浮かび上がらせて検査は終了しました。
結果は後日郵送してもらえるとのことで、お礼を言ってから検査室を出た私はまた4番の部屋に戻り、元の服を着て、嫁の待つ部屋の外へと向かいました。
なんだか、あっという間の出来事でした。
時間にして20分ほど過ぎていたようですが、ついさっき車から降りたような感じで、本当に検査してもらったんだろうかと疑いたくなるというのが素直な感想でした。
 
その後、嫁と二人で近くの大型スーパーへ行き、平日なのにずいぶん人が多いね、沿岸からこっちに来ている、仮設住宅に住んでいる被災者の人たちとかの来店が多いのかねえ、などと話しながら夕食の買い物を済ませ、すっかりと日の暮れた道を家へと急ぎました。
 
特に何のオチも無いですが、おそらく一生に一度しか経験しないであろう出来事でしたので、自分の記憶の保持の意味も含めて日記にしてみました。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
ウォッチタワー
ウォッチタワー
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事