名前のない馬鹿 -A Fool With No Name-

5月3日〜5日の日中、ほぼ外にいた結果、顔にすごい日焼けをしてしまいました。

どっか行こうよ

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福島市には、花見山という花の名所があります。
私の家は、そこから歩いて15分ほどの場所にあり、それが立地条件に関する、唯一の自慢です(笑)。
そんなこんなで往く春をただ眺めて仕事に忙殺されていたのですが、福島市内でも桜が散り始めたため、今日の休みを利用して嫁と二人で散歩がてら朝8時ごろに家を出て、花見山に行って来ました。
 
てくてくとアップダウンのある道を進むこと10分ほどで花見山へと続く遊歩道に着きましたが、そこにはもうかなりの数の人がカメラを片手に歩いていました。
花の写真を撮る人たちは、あまり観光客の多くない朝の時間帯を狙ってくることが多いのですが、この時間帯で既にこれだけの人が歩いているとなると、本格的なカメラマンはさぞかし苦労なさったんだと思います。
 
それから更にゆっくりと写真を撮りながら進み、花見山公園の入り口に着いたときには時刻は8時半になろうとしていました。
この花見山というのは、年間何10万人もの人が花を愛でに訪れるのですが、実は個人で花卉栽培をなさっている方の敷地なのです。
ですから、花見山公園入り口というのは、つまりは普通の民家の門であり、座って休んでいるベンチは民家の軒先、散策路のすべては庭園の道というわけなのです。
ここを訪れるたびに思うのですが、個人の敷地を無料で解放して、たくさんのどこの人とも知れぬ観光客を迎え入れるなど、とても並大抵の度量の持ち主ではできないことです。
もちろんその運営には市内のボランティアが必要不可欠であり、案内板やトイレの設置からごみ拾い、ガイドまでを引き受け、花見山を訪れる人たちの手助けをしてくれているのです。
今日もあちこちでそのボランティアさんたちが揃いのジャンパーを着て笑顔で来客をもてなしていて、地域一体となって観光に力を注いでいるのが手に取るように分かりました。
本当にありがとうございます。
 
さて、入り口を過ぎるとそこからは花見『山』というだけあって、ずっと登り道になります。
しかし勾配が急ではない上に、登りと降りの道が完全に分離されているためにとても歩きやすいのです。
そして途中にはショートカットとなる道が用意されていて、30分・45分・60分という目安で歩くことができるコース設定がなされているために、体力に自信がない方でも楽しむことができるようになっています。
道中は語りつくせないほどたくさんの花の色で溢れ、ソメイヨシノをはじめとしたこの時期の色とりどりの花たちが目を飽きさせることなく頂上へと導いてくれます。
そんな花見山の風景が、こちらです。
それなりの枚数ですので、ゆっくりご覧ください。
 
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と、私のつたない写真でもこれだけの色彩が見れるほど、花見山というのは素晴らしい場所なんです。
おそらく、来週末が最後の春シーズンの見ごろとなりますので、もしご予定が合えば、春の福島市にどうぞ、いらっしゃってください。
沢山の花々と、吾妻連峰に浮かぶ雪うさぎが皆さんをお迎えいたします。
宇奈月を出た私たちは、北陸道を金沢方面へと向かいました。
黒部から金沢までは100キロあるかないかぐらいで、道中も渋滞もなくスムーズに進み、私たちは3時には金沢の街に着いていました。
 
金沢という街は実に現代と古来の雰囲気がうまく調和したところだなあというのが最初の感想でした。
インターを降りるとそこは小京都という言葉が似つかわしくないほどに整備された4車線の道路で、路肩には全国チェーンの飲食店が立ち並ぶ、いわゆる地方都市の様相を呈していました。
しかしその景色は金沢を代表する場所でもある兼六園に近づくにつれて少しずつ変貌を遂げていきます。
道の脇には和風な作りの建物が目立つようになり、大きな暖簾もちらほらと見受けられるようになってきます。
そして街の中心部を流れる浅野川にかかる浅野川大橋に差し掛かるとそこは、いつかガイドブックで、あるいはテレビの一場面で見た、あの川岸に並ぶ茶屋と川の風景になるのです。
私は橋を渡る際に思わず、あー!ここだー! と叫んでしまい、嫁を驚かせてしまいました。
その直前に、おそらく昔好きだった人の実家であろう看板が見えたことによる気まずさもあり、声は余計にでかくなったものと思われます。
 
さて、私たちは茶屋町近くの駐車場を見つけて車を停め、とりあえずあたりをぶらぶらと散策してみました。
大通りは少し寂れた感じの商店街といった佇まいでしたが、一本通りを入って川の方に向かうと、そこは小京都と言うにふさわしい、実に情緒ある雰囲気の通りになりました。
さすが城下町だけあって通りは狭く(※城下町通りは敵の侵入を遅らせるため細くて複雑な作りになっている)、立ち並ぶお店のほとんどが木造でモダンな佇まいで、普段はほぼ小物屋さんなどには目もくれない私が、ある店ある店の戸をくぐり、ちょこまかと買い物をしてしまうほどでした。
私は手彫りのふくろう細工にあすなろの葉を入れて作られたストラップと、蒔絵に使われる金細工を戦国武将のかぶとの形に加工したシールを購入し、シールに関しては余分に買って、GW後半に会う横浜の武将大好きな甥っ子たちへのお土産としました。
 
そこから更に川の方角へ向かうと、そこはほの暗い狭い路地と純和風な建物たちが織りなす、まるで映画のワンシーンのような光景でした。
ちょうど古本市が開催されていたために通りには沢山の古本が並び、そしてその周りにはお客さんの人垣が出来上がり、ただでさえ狭い路地が、通るのもやっとという状態になっていました。
ですが、本を売る人、それを買い求める人、そしてその風景を見る人すべてが、楽しそうに穏やかな笑顔を浮かべていました。
 
古本市の通りを抜けるとそこは『くらがり坂』と呼ばれる一角で、言われてみれば確かにその一帯は他の路地に比べて蒼色が濃く、全体が少し落ち着いた湿り気を孕んでいるようでした。
くらがり坂をかすめてそのまま歩を進めると、道はつづら織りとなり、その先にはこの心ときめく迷宮の出口が見えてきました。
茶屋と小物屋の間から川沿いに出ると視界は一気に開け、今までうす暗さに慣らされていた網膜が明順応するまでのわずかな間、それはまるで夢の狭間から現実へと放り出されたような感覚に陥りました。
そこは主計町(かずえまち)茶屋街、浅野川のほとりに続く並木とともに立ち並ぶ小京都を代表する光景でした。
私たちは立ち並ぶ落ち着いた建物と流れる川の作る風景の美しさに息をのみながら、なんて素敵なところだと口々に言いつつ、ゆっくりとゆっくりと、川沿いの道を散策しました。
 
そして気がつけば時刻は4時半、ホテルのチェックインが6時ということもあり、私たちは後ろ髪をひかれながら金沢の街を後にしたのでした。
また絶対に来よう、今度は、せめて兼六園を見られるぐらいの時間的余裕をもって、と誓いながら。
 
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金沢を出た私たちは、一路富山県は魚津市へと向かい、本日の宿泊先である <金太郎温泉 http://www.kintarouonsen.co.jp/>に着いたのは6時まであと少しというところでした。
部屋へと案内され、ふすまを開けた瞬間に飛び込んできたのは強烈なオレンジ色の光でした。
見ると、オーシャンビューの窓には日本海に沈まんとしている夕陽と、それに照らされて輝いている魚津の街が広がっていました。
部屋まで案内してくれた女中さんも、いい時にいらっしゃいましたねとおっしゃってくれ、写真を撮るなら今ですよと付け加えてくれました。
それではお言葉に甘えてということで、私たちは夢中で少しずつ水平線へと近づいていく太陽と、徐々に色を変えながら滲んでいく空を写真に収め続けました。
女中さんはその間中ずっとにこにこと見守ってくれ、私たちが夕焼けの写真を満足のゆくまで撮り終わるのを待ってから館内の説明をして下さいました。
そんな気遣いがすごく嬉しかったです。
 
説明を終えた女中さんが部屋を出た後、私も部屋を出てホテルの裏側の窓へ行き、残照に照らされた立山連峰の写真を何枚か撮り、それから7時の夕食まで時間があったのでゆっくりと温泉に浸かりました。
ちょうど宿泊客のほとんどが夕食の時間だったようで広大なお風呂場はほぼ貸し切り状態で、たいへん贅沢な時間を過ごさせてもらいました。
なお温泉は強めの硫黄泉で、浴室に入った瞬間は思わず顔をしかめてしまうほどの硫黄のにおいを感じますがすぐに慣れ、ぬるめのお湯にいつまでも浸かっていたくなるような素晴らしい温泉でした。
 
さて、その後はお楽しみの夕食なのですが、ここのお料理も木の芽坂さんに負けず劣らずの美味しさでした。
高級感のせいか品数が多めで量は少なめになっていて、量より質で勝負しているのがはっきりと解りました。
特に美味しかったのが富山名物の白エビを使った炊き込みご飯で、エビの香ばしさと甘みがこれでもかというほど凝縮された一品で、本気でもうひと釜おかわりさせてもらえないかとお願いしたくなりました。
 
私たちは金沢の街を結構な距離歩いていたのでそれなりに疲れており、日付けが変わる前にはぐっすりと眠ってしまいました。
そして朝は少しゆっくり7時半に置き、美味しい朝ごはんを食べて帰り支度を整え、ホテルを後にした時には9時半を少し回っていました。
 
旅行最終日の計画は、福島へ戻る途中で喜多方に立ち寄り、遅めのお昼と満開の桜を背景にしてSLばんえつ物語号を撮ることでした。
この楽しかった旅もあと少しで終わってしまうのかと思うと、ちょっとだけさびしく感じました。
ホテルの玄関を出ると、快晴の空と真っ青な日本海が、また来いよと言ってくれているようでした。
 
きっとまた来ると思います。
富山、大好きになりました。
 
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話は少しさかのぼり、4月27日午後10時過ぎ、場所は南魚沼のほてる木の芽坂の一室。
私はひとりスマホをいじり、地図アプリを使って明日の旅程を立てていました。
 
明日の予定は宇奈月駅10時43分発の黒部峡谷鉄道に乗り、折り返し運転で戻ってきて12時半ごろに宇奈月駅を出発、その後は高岡のドラえもんの像がある公園に行って…
 
ある程度の旅程はすでに頭の中に入れていましたので、後はどうやって時間通りに行動するかだけでした。
ただ、一度も行ったことのない場所に行くのならば多少の時間的余裕を持って出かけたいというのが本音であり、ホテルにチェックインした際にフロントの方にここから宇奈月までの所要時間を聞いたりもしました。
しかし帰ってきた答えは解りかねます…というもの。
けっこう近いのに、あまりここら辺の人は黒部には行かないのかなどと考えていましたが、その理由はその数時間後に地図アプリに出発地点と目的地を入力したときに解りました。
 
距離・230キロメートル
 
!?
 
私の頭の中では、100キロにも満たない行程のはずでした。
それもそのはず、私が頭の中に思い描いていた地図は関越道ではなく、上信越道だったのです。
改めて地図を見てみると、今いる場所は関越道を新潟県に入ってちょっと進んだだけで、日本海側を走る北陸道に至るまでに60キロほど走らなければいけない山中にいたのでした。
どうりでフロントの方も宇奈月までの時間を知らなかったはずです、なにせ、遠いのですから。
スマホの画面を睨みつける私の頭の中で、余裕を持って立てていた旅程がガラガラと崩れ、代わりに10時43分宇奈月発という言葉が重くのしかかってきました。
そして翌日、私たちは予定を大幅に早め、朝食開始時間とほぼ同時に朝食会場に滑り込み、ばくばくと朝食を平らげ、大急ぎで出発の準備を整えて8時にはフロントでチェックアウトの手続きをしたのでした。
 
さて、時間にうるさい嫁が30分前に着くのが常識だと騒ぐので少しだけスピードを上げて走り続けること30分ほど、車は長岡ジャンクションから北陸道へと入りました。
そして今まで自走した中では最も西にあたる上越ジャンクションを過ぎ、いよいよ運転史上最西端の記録更新が始まりました。
そして間もなく糸魚川というあたりでふと気付きました。
2月に静岡に行っているので、これはフォッサマグナの北端と南端を制覇したことになるな、と。
で、嬉しくなって嫁にそのことを伝えると、嫁はフォッサマグナという単語そのものを知りませんでした。
あっさりと話題をスルーされた私と、自分が馬鹿だと暗喩されてぶんむくれたまま窓の外を睨みつける嫁という、実に中睦まじい夫婦が無言でそこにいました。
 
途中の親不知(おやしらず)インターから臨む日本海の絶景を見ながらもまだふたりとも無言、ここで親不知・子不知にまつわる話をしてみましたが、全く興味がなさそうでしたので途中で話を切り上げさせていただきました。
そしてそれからしばらくして目的のインターチェンジ、黒部インターチェンジを降りたのが10時15分でした。
そこからはまあとにかく嫁が時間がない時間がないと焦りまくり、こっちとしてはまだ30分の余裕があり、目的地の宇奈月駅までは10キロにも満たないというナビの案内がさらにそれを補強してくれているので、全くもって余裕で車を進めました。
 
結局宇奈月駅に着いたのが10時30分で、あらかじめ予約していた切符を引きかえても十分に時間が余り、それみたことかと嫁にいうと、嫁はそれが当たり前だと言わんばかりに私を一瞥しました。
 
ここまでの距離計算とスピード調整での時間配分は私がやったんだぞ!
 
…言えないですけどね。
 
 
さてさて、宇奈月駅のホームへ向かうと、そこにはふだん私たちが目にする電車と比べてふたまわりほど小さい列車が停まっていました。
窓なしで吹きっさらしの、写真を撮るには最高なトロッコ車両のほかに、窓付きで防寒措置が取れるリラックス車両とがあり、私たちは時期的にまだまだ雪が残っているとの情報を事前に得ていたのでトロッコ列車ではなく、窓付きの車両を予約していました。
切符に書かれた車両に乗り込むとそこは通路を挟んで1列と2列という実に狭い作りになっていて、早い者勝ちのためにすでに2列の座席は家族連れで埋まってしまっていました。
仕方なしに私たちは1列席に前後になる形で座り、発車の時間を待ちました。
しばらくすると車内に、どこかで聞いたことのある声でアナウンスが流れてきました。
私は聞いた瞬間に室井滋だ! と気づきました。
なぜなら、富山出身であることをラジオで聞いて知っていたからです。
一方嫁はどこかで聞いた声だということは解るものの、どうしても思い出せずにやきもきしているようでしたので、耳元で小さく「室井滋。」と教えてやると、でかい声で「ああ!」と納得していたので周りが注目していました。
 
アナウンスが終わると列車が動き出し、私たちは窓を開けてシャッターチャンスを待ちました。
そしてしばらくして、重大な選択ミスをしたことに気付くのです。
写真を撮るのに窓枠が邪魔で撮りにくいのと、1列席は山沿いのために山々と川が全く写せない。
更に隣で笑っている関西から来たであろう4人家族は、こちら側に撮影ポイントが来た時には私が身をかがめて家族が写真を撮りやすいようにしているにも拘わらず、家族側に撮影ポイントが来た際には小学校高学年ぐらいの男の子が立ち上がり、窓を占拠したままカメラを構えるので全く景色が見えないというありさまでした。
結局、嫁も私もろくな写真が撮れずに折り返し駅の猫又駅へ到着、帰りは逆側になるのかと思いきやそのまま列車が後戻りするために結果は変わらずという、惨憺たる列車の旅になってしまいました。
戻りの列車の中、頭文字を決めてからせっせのせで親指を立てて、立った親指の文字数だけ頭文字で始まる人物名を言い合うゲームをしている家族がもう頭に来て頭に来て、頼むから写真を撮らせてくれないかという気持ちでいっぱいでした。
後から聞いたところ、嫁も同様の気持ちだったようです。そりゃそうだ。
まあ、そんな過酷な条件の中でも何枚かは写真を撮ることができましたが、出来にはかなりの不満が残ります。
しかしファインダーを通さずとも目に飛び込んでくる景色はどれも息をのむような美しさで、特に立山連峰が屹立する姿はここの自然の厳しさを目の当たりにしたような感じになり、峡谷美と相まって自然の雄大さにどっぷりと浸ることができました。
 
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最後の写真の冬季歩道ですが、これは高さ2メートルにも満たないトンネルが宇奈月駅から上流にある発電所まで続いているんだそうです。
そして、冬の間は片道10数キロの道のりを、職員が6時間以上かけて通勤するんだそうです。
施設の維持って、本当に大変なんだなと感じました。
 
宇奈月駅まで戻ってきた私たちは、駅にある立ち食いそばで空腹を満たし、次の目的地である高岡へと向かおうとしましたが…、予想以上に時間が早かったため、ちょっと足を延ばして加賀百万石の国、北陸の小京都・金沢へと向かうことにしました。
もう20年近く前から、一度は訪れてみたかった街・金沢。
その理由が以前好きだった方が金沢の人で、ネットを始めた当時、一時期私のハンドルネームが『ゆうぜん』であったことを嫁に言うと、怒られるので言えないです。
いまさらなんですが、GW前半の3連休に富山・金沢方面へ旅行に行ってきました。
福島ではなかなかお目にかかれない、厳然とそびえる絵に描いたような雄大な山々、そして海に沈む夕日。
今回の旅は、そんな素晴らしい日本の自然と美味しい海の幸・山の幸を満喫した旅でした。
 
 
4月27日、私たちは雨の東北道を南へ向かっていました。
天気は晴れの予報でしたが、雨雲レーダーを見てみると栃木県の一部に強めの雨雲がかかっており、東北道はちょうどその雲の真っただ中を縦に走っていました。
しばらくして雨が切れ、私たちは最初の目的地、佐野プレミアムアウトレットへと到着しました。
そこで嫁が買い物をし、ふたりで昼食を済ませて、昼過ぎにはアウトレットをあとにして次の目的地、足利市にある <COCO FARM&WINERY http://www.cocowine.com/> へと向かいました。
 
佐野からは車で30分も走ったでしょうか、関東平野の北限、少しだけ山に入った場所にそこはありました。
車を停め、ワイナリーまでの下り坂を歩いていると、晴天の空の下、木製のテーブルの上にワインとおつまみを並べた女性たちが実におしゃれに時を過ごしていました。
見ると、あちこちで同じようなグループがそれぞれに優雅な時を過ごしているのが見受けられました。
こちらは思いのほか上がった気温と折からの強い日差しですでに汗をかき始めており、とてもではないですがその方たちと同列には見えなかったことと思います。
ワイナリーの前には急斜面を三角形に切り取ったようにブドウ畑が広がっており、おそらく夏から秋にかけては一面の緑に覆われるんだろうなと思いました。
ワイナリーの中に入ってみると、そこはレストランと売店のみのシンプルな作りになっていました。
さすがワイナリーだけあって赤・白それぞれ数多くのワインが並んでいて、ワイン好きにはたまらないところなんだと思いました。
また、お酒以外にもお土産品が充実していて、私はエコバッグ(300円)をお土産に購入しました。
 
もう少し坂を下り、さきほどの売店のちょうど下にあたる場所はワインの飲み比べができるスペースになっていて、こちらでもほんのりと顔を上気させた方たちが、チーズなどを片手に楽しく語らっていました。
車で来なければ、少しぐらい飲みたかったのにというのが本音でしたが、まあこれから新潟までどうやって移動するんだという現実問題がありましたので、しぶしぶ白ぶどうジュースを飲んで出発しました。
 
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さて、この時点で時刻は3時。
本当は高崎か安中でSL碓井を撮ろうと計画していましたが、時間も時間ですし、これから新潟の南魚沼まで移動し、予定通り5時にチェックインしなければならないことを考えると別に撮らなくてもいいかなと考え、足利インターから北関東道に乗り、とっとと新潟へと向かいました。
途中、休憩のために赤城高原SAへ立ち寄りましたが、ここで思わず買ってしまったのが、
からっ風ブー次郎なるキャラクター湯のみ。
「あっしには関わりのねェことでござんす…」
がキメ台詞の彼ですが、実は養豚場から出荷されるトラックに乗せられ、そのトラックが赤城高原SAで休憩している最中に荷台から転げ落ち、命からがら逃げ出したという逸話の持ち主。
赤城の山も今宵限りとならなかった、幸運な豚なんだそうです。
ただ、そのキャラクターののぼりがはためくすぐ脇で赤城高原豚の串焼きが売られていたのが、ね。
 
休憩を終えて関越道を魚沼へ。
途中で関越トンネルを通るのですが、このトンネルの名前は以前から耳にしていました。
なんでも道路のトンネルとしては日本で最も長いトンネルなのだとか。
ではどのくらいの長さがあるか計ってみようということで、トンネルに入ったときのメーターを記憶しておきました。
それにしてもまあ長いのなんのって、どこまで行っても等間隔に並んだライトと薄暗い空間が延々と続き、本当に果てがあるのかというほどの感覚に襲われました。
途中で群馬県と新潟県の県境を越え、そしてようやく新潟県側の出口が見えてきました。
トンネル出口でメーターを見ると、ちょうど11キロ!
気がつけば通過に7分以上かかっていました。
そして目の前に広がるのはまだ残雪の残る景色で、トンネルを抜けるとそこは…といった感じでした。
 
私たちは5時に差し掛かるぐらいに六日町インターを降り、本日の宿泊先である <ほてる木の芽坂 http://kinomeht.co.jp/> へと向かいました。
ホテルに着いたのが5時を少しだけ過ぎた頃で、まあ予定通りといったところでした。
駐車場には観光バスが停まり、他にも一般車両が何台も停まる盛況ぶりで、さすがGWといった風景でした。
チェックインを済ませて部屋まで案内されるとその窓からはまだ深々と雪をかぶった山々と、あちらこちらに咲く満開の桜が一望できました。
また、道路の幅が私たちの知っているそれとはけた違いに広く、そしてまっすぐで、ここが豪雪地帯であることを如実に物語っていました。
部屋に案内してくれた女中さんから館内の説明と夕食・朝食の案内をされ、6時半からの食事にはまだ時間があったために、私は屋上にある展望露天風呂へと行ってみることにしました。
 
屋上に出てみると空はまだ十分に明るく、ヒノキで作られた横長の浴槽に身を沈め、頭を浴槽のへりに持たせかけてそのまま仰向けの形で空を見上げました。
目に映るのは、ほのかに赤みを帯びつつある蒼い空、そしてゆっくりと視界の左上から右下へと、一定の速度を保ったまま流れ続ける小さな雲、耳に聞こえるのは湯船に間断なく注がれる湯の音と、遠くを走る関越道の車の音、そしてねぐらへと急ぐ鳥たちのさえずり。
頭の中に去来するのは、ここ2カ月ばかりの尋常ならざる激務とストレスでした。
しかし、ただ流れてゆく雲を眺めていると、体にしみ込んでしまったそれらのどろどろとしたものがお湯の中にゆっくりと溶けだし、流れ去っていくかのように心が落ち着きました。
やがて先程から鼓膜をにぎわせていた音も少しずつ聞こえなくなり、ただ、私は、視界に映る空と、さきほどよりも赤の色合いが濃くなった雲だけを認識していました。
肩口まで満たされたぬるめの湯がたゆたう感覚さえも、まるで雲の中の出来事のように心地よく受け入れられ、そして思わず私は
 
「…ここしばらく、頑張ったかいがあったなあ…。」
 
と、つぶやいていました。
ここまでリラックスできたのは一体いつ以来だっただろうと、長距離運転の疲れも相まって少しだけ眠気を覚えた頭で考えているうちに、あっという間に夕食の時間になってしまいました。
 
さて、お待ちかねの夕食ですが、会場は広間ということでしたので一度部屋を出て、エレベーターで指定された階へと向かいました。
すると、先程部屋へ案内してくれた女中さんが案内役として立っていて、どうぞこちらへと渡り廊下の方へ手を向けてくれました。
これはありがたいと思い、そのまま渡り廊下を進んだ先にある広間へ。
すでに先に来ていたお客さんで会場はにぎわっていて、私たちは入口を入ってすぐのところで忙しく給仕をする女中さんに呼び止められました。
 
「お部屋の番号が座席になっております、何号室でいらっしゃいますか?」
「417号室です。」
「え?」
 
え? って。
するとその女中さん、近くにいた女中さんを呼び止めて何やら小声でひそひそとやっています。
怪訝な顔をする二人、とたんにその場の空気があやしくなりました。
私たちは、何かまずいことでもしたんではないかと顔を見合わせる始末でしたが、やがて最初に話しかけてくれた女中さんが懐から紙に書かれたリストを取り出し
 
「お客様のお座席は…こちらには無いようですね。」
「え?」
「もしかして、エレベーターの降り口でこちらに案内されたのですか?」
「はい、先ほど部屋に案内してくれた方がこちらを案内してくれて…。」
 
すると、ああ、またかという感じで女中さんの顔が曇り
 
「たいへん申し訳ございません、こちらは、本日いらした団体様のお食事会場となっておりまして…。」
「はあ。」
「お客様のお食事会場は、エレベーターを出て左手の広間となっております…。申し訳ありません。」
 
そういうことなのです。
部屋に案内してくれた女中さんだから当然食事会場も間違えずに案内してくれるだろうと信じ切っていた私たちは、ろくに看板も見ずに馬鹿正直に案内されたとおりの通路を来てしまったわけです。
確かに私たちがいる食事会場の入り口とエレベーターホールには『春の越後ミステリーツアー お食事会場→』と手書きの看板がしつらえてありました。
周囲の耳目を集めてしまい、赤面しながらいそいそと会場を後にしてエレベーターホールへと戻る私たち。
すると、先程間違った案内をしてくれた女中さんが、何食わぬ顔で「こちらへどうぞ。」と、目の前の部屋へ案内してくれました。
私と嫁は先程に続いて本日二度目となる、顔を見合わせて固まるという仲睦まじさを見せつけてやりました。
 
そしていよいよ待ちに待った食事です。
最初に書いておきますが、今まで泊まった温泉旅館の中でも、余裕で5本の指に入るほどの質と量でした。
まあとにかく、何を食べても美味しい! のひと言。
特に、さすがと唸らざるを得なかったのがひとりにひとつずつセットされていた小さなお釜で炊いて食べる魚沼のコシヒカリでした。
ふたを取ると立ち上る真っ白な湯気と、それと全く同じ色をしたツヤッツヤのご飯、そして立ち上る米の薫り。
しゃもじを差し込むと、ねちっ、という音とともに柔らかな純白のお米が持ち上がります。
そしてそれを茶碗に盛り、とりあえず漬物と一緒に口に入れた瞬間のあの旨さときたらもう!
私の地元は天皇への献上米が生産されるほどの由緒ある米の産地なのですが、そこのお米を食べ慣れている私が舌を巻くほどの旨さでした。
そして、主役であるお米を彩る周りの菜のものがこれまた本当においしくて!
特に、陶板で出された越後もち豚の焼き物と赤魚が美味しく、釜だけではなくおひつでご飯をおかわりして、私と嫁でうまいうまいと連呼しながらばくばくとコシヒカリを平らげました。
 
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満腹になった私たちは腹を抱えながら部屋へと戻り、しばらく動けずにだらだらと時間を過ごしたのち、ゆっくりと温泉に浸かってぐっすりと眠りました。
朝は朝で6時過ぎには起きてもう一度温泉を楽しみ、朝食をいただきました。
まあやっぱりご飯のおいしいこと!
バイキングスタイルでしたので好きなおかずが取れるということでますます米の消費に拍車がかかり、私と嫁は朝からまた満腹の腹を抱えることとなりました。
これで一泊2食でひとり1万円を切るなんて、なんてお得なホテルなんだというのが正直な感想でした。
 
さて、今日はこれから黒部峡谷へと向かわなければならないのであまりゆっくりはしていられません。
私たちは8時過ぎにはホテルを出て、一路黒部を目指しました。
 
ここのホテルは、また絶対に泊まりに来ようと思いました。
今度は、新米の季節にでも!

芽吹きを待つ会津へ

2週続けて日曜は休めることとなり、今日、会津に今年初めてのばんえつ物語号を撮りに行きました。
 
今日一緒に行ったのは嫁ではなく、わざわざ大阪から仕事の手伝いに来てくれているKさんでした。
それは、先日の仕事中に言われたこの一言がきっかけでした
 
「今週は忙しゅうてかなんわ、リフレッシュしたいから、日曜日どっか連れてってくれへんか?」
 
そこで私が提案したのが、会津へ出かけ、美味しいそばか喜多方ラーメンを食べるのはどうかという案でした。
答えは二つ返事でイエスでした。
もともとそばが大好きなうえに、いつか家族旅行で会津に来てみたいとずっと思っていたとのことで、その下見の意味も兼ねてぜひ会津に行ってみたいとのことだったのです。
では、ということで私は得意の会津うまいものめぐりへと連れ出したのでした。
 
10時にKさんの宿泊先を出た私たちは高速に乗り、一路会津若松を目指しました。
途中に渋滞もなく、会津若松のインターを降りたのが11時を少し回ったころ、そしてそのままそばを食べに行こうということになり、猪苗代湖の近くにある私が大好きなそば屋、千本蕎麦へと着いたのが11時半でした。
 
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私が昼食時間を急いだ理由は、ここのお店は非常に美味しくて人気があり、12時を過ぎると店の前には待つ人が出てしまうためです。
ですので、せっかく関西方面からわざわざこちらに来ている人に対して時間のロスは好ましくないということで、まだお昼には少し早いこのタイミングで昼食をとることにしたのでした。
 
とりあえず私のお勧めは何かと聞かれたので、私はいつもそば定食にマイタケと野菜のてんぷらを単品で注文していると伝えると、ほな俺もそうするわということでその通りに注文し、ものの5分ほどで運ばれてきました。
 
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そばをすすったKさんの第一声が
 
「何やねんこのそば、どんだけコシあんねん!」
 
私は思わずニヤリ(笑)。
このお店は、そば好きの人を自信を持って連れてこられるそば屋さんなのです。
そしてマイタケのてんぷらを口に運んだKさんは同じように
 
「旨いわぁ…、これ。 ほんまに旨いわぁ…。」
 
私は満足顔でそばをすすり続けました。
 
 
食べ終わって店を出るころには、すいませんが席が空くまで少しお待ち下さいという言葉が聞こえるほどに店が混み始め、早めの昼食という選択は間違っていなかったと胸をなでおろしました。
 
 
Kさんは会津磐梯山を一目見たいと道中ずっと言っており、高速から見える磐梯山を車窓から目の当たりにしたとき、今日の目的のうち半分はこれで達成してしまったという旨の言葉を嬉しそうに漏らしていました。
だったらもっと近くで見せてやろうじゃないのということで、私は国道から磐梯山方面へと向かい、猪苗代から塩川へと抜ける県道を塩川方面へと左に曲がりしばらく行ったところにある、磐梯山ビューポイントという場所へとKさんを連れていきました。
そこはビューポイントと呼ばれるだけあり目の前には何の遮蔽物もなく磐梯山が屹立しており、絶好の撮影ポイントとなっています。
Kさんは大喜びで携帯電話を取り出し、何枚か写真を撮っていました。
これ、後で嫁と子供に送ったんねん、と、Kさんは子供のようにはしゃいでいました。
ちなみに、そこから見える磐梯山はこんな感じです。
 
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まだまだシュガートップと呼ぶには程遠い、真っ白な磐梯山が会津の遅い春の到来を見守っていました。
 
 
さて、そのあと私たちは喜多方市へと向かいました。
目的は、喜多方の蔵通りをぶらぶら散歩することと、今年初めてのSLばんえつ物語号の撮影です。
 
とりあえず喜多方市に着いてから造り酒屋がある蔵通りをぶらぶらと散歩。
のどかでええなぁ、などと言いながら、Kさんは強くなり始めた春の日差しに目を細めていました。
そして造り酒屋の蔵の前で湧水を見つけた私たちはひしゃくでごくごくとその水を飲み、思いのほか上がった気温で渇いたのどを潤しながら何枚か写真を取りつつ、蔵町通りにある行きつけの醤油屋さんへと向かいました。
 
この『行きつけの醤油屋さん』という言葉に、私は自分が大人になったなあ、と感じるのです(笑)。
 
イメージ 3
 
 
イメージ 4
 
そのお店で私はいつも買っている醤油と、ご飯にかけて食べる紫蘇味噌を買い、Kさんに差し上げました。
こんなん悪くて貰えへんわ、と言うKさんに半分無理やり渡すと、しきりにありがとうと繰り返していました。
私としては、わざわざ遠くから来てうちの会社の納期的ピンチを救ってくれているKさんに対するほんの些細な感謝の気持ちのつもりでしたので、逆にこちらが申し訳なく思ってしまいました。
 
さて、時刻は3時半。
ばんえつ物語号の下りが喜多方駅を発車するのが4時少し前ですので、私たちは撮影場所へと移動しました。
Kさんは鉄道ファンではないので特に興味を示さないかと思っていましたが、息子さんがけっこうな乗り物好きとのことで、息子に自慢したいからという理由でぜひ写真に収めたいと、わざわざ撮影場所で一緒に写真を撮ってくれることになりました。
ただ私は雪の残る山を背景にしてのどかに走るSLを遠くから撮りたいのに対して、Kさんが持っているカメラは携帯電話でしたので、私は線路から離れた小高い丘から、Kさんは線路脇から撮影することとなりました。
 
3時55分、喜多方駅を発車したであろうC57の発する勇ましいブラスト音が会津盆地に緩やかなこだまの残滓をたなびかせながら響き渡りました。
そして、まだ雪の残る山の白さとは対照的な、清水に薄墨を落としたように、ゆっくりと上へ向かって滲んでゆく黒煙が、徐々にこちらに近づいてくるのが見え始めました。
 
イメージ 7
 
私の心臓は久しぶりの興奮にとく…とく…とざわめきはじめ、頭の上にある、いつ咲いてもおかしくないソメイヨシノのつぼみが風になでられる音までが感じられるほどになっていました。
その刹那、500メートルほど前方にある家の陰から、去年の12月に見て以来のC57の漆黒の巨体が姿を現しました。
私はよりによってこれしか用意していなかった300ミリのレンズをこれ以上ないほどに縮め、できるだけ編成を長く入れるようにしてシャッターを押しました。
それで撮れたのがこちらの全体の半分しか映っていない写真です(笑)。
 
イメージ 2
 
まあ、雪山が写っているだけでもよしとしましょうか。
もっと気温が低ければ、山がくっきりと映ったんですがねえ…。
 
ちなみにKさんは携帯電話を構えた時にはすでに機関車の正面は過ぎ去ってしまい。機関車の中央部分が写った真っ黒な写真になってしまったそうです。
まあええわ、磐越物語号見て来たでーって自慢したろ、と言っていました。
 
その後、5時過ぎに喜多方ラーメンを食べて帰りたいというKさんのリクエストにお応えして、私が大好きな喜多方ラーメンのお店、一平にてラーメンを食べ、福島市内に戻ってから飯坂温泉で汗を流し、Kさんを宿まで送って今日の旅程は終了しました。
 
今日はほんまにありがとう、最高のリフレッシュできたわー!
 
Kさんは最高の笑顔で私にそう言ってから、旅館の玄関をくぐりました。
私としては、そう言ってもらえることが何より嬉しいのです。
 
さて、明日からまたもうひと頑張りするか!
 
 
 
咲く桜(はな)を 愛でる暇(いとま)も なき我の
頬すり抜けし 会津の風や

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