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とりあえず、この美しい景色を見ながら弁当を食べることにしました。 桜は残念ながらまだつぼみでしたがこの景色で十分弁当はおいしく感じられます。 弁当は来る途中、京都駅で買った“京風幕の内”なるものです。 この日は桜の見ごろに加え天気の良い日曜というのが相まって朝にも関わらず駅弁が売り切れ状態でした。 と、いうわけでこの幕の内弁当。 けど、景色がよければどんな弁当でもおいしいものです。 (梅干が転がってますね・・・) 弁当を食べて少し一服していると、急に虫が正面からやってきて体当たりしてきました! そういえば、去年来た時も虫に襲撃されたな。と、ふと思い出すと 私は招かざる客ということか 何て勝手に思い込んでしまいました。 しかし、もし三成の家臣が虫として生まれ変わりこの佐和山を 守っているとすると、私はその三成に敵対した加藤清正の血を受け継ぐもの。襲われても不思議ではあり ませんね・・・。 本丸から、見た湖北方面。 手前の山は西の丸あたりでしょうか。 そして、これが千貫井戸。 城中の飲料水用として使われた井戸で、当時の貨幣である貫。 その貫の千貫相当の価値に値するものとして、この名がつけられたそうです。
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登城記録[東海・北陸・近畿]
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ここは本丸跡です。 佐和山城は落城の後、石材や木材あらかた彦根城へと運ばれてしまったことや、敗者の城であるために かつて、どのような威容を誇っていたのかはわかっていない。 この本丸が石垣造りで天守が聳え立っていたという説が有力ではあるが、今では当時を知れるようなも のは残ってはいない。 しかし、この本丸跡からの景色は雄大で眼下に彦根市を一望することができるほか 彦根城も見下ろすことができる。 三成が居城とするはるか前から長年にわたって要の城とされていたことがわかる。 この碑の向こうに見えるのは伊吹山で、関ヶ原の合戦で敗れた石田三成はおそらくあの山から自城の落 城の姿を目の当たりにしたのであろう。
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太鼓口から続く長い一本道。 これは、間違いなく本丸へと到る土橋のような道でしょう。 ここだけが、明らかに高く両横は急な斜面となっています。 こちらは女郎谷と呼ばれる場所で。名前の由来は関ヶ原の合戦の際、この佐和山城も東軍の攻撃によっ て落城しました。 その時、城中に仕える女性たちがこの崖から飛び降りて自害したというところからき ています。ここの案内板も完全に木が腐っていて何とも異様な雰囲気を醸し出しています・・・。 さて、ここの斜面を登ればいよいよ本丸です。
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さて、多くの方は彦根城方面に向かいましたが私のみ逆の佐和山方面へと進みました。 相変わらず、案内板もなく去年の記憶を辿りに進むしかありません。 住宅街を抜け何とか迷うことなく入り口につくことができました。 立て看板には“無断入山禁止”と大きく書かれていて少し焦りましたが、これは団体の時の話らしいで す。 ここがおそらく最初の丸で囲った辺りかと思われます。 少し進むと、大きい郭があったと思われる場所があります。 2つめの丸で囲った法華丸辺りでしょうか。 歩みを進めると分かれ道があります。 もう一方の道は“太鼓丸口”と書かれていたので、この写真の 場所は3つめの丸あたりかと思われます。 |
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昨年の春先、登城した佐和山城に再び登城する事にした。 彦根駅を降り立つと、丁度桜の見頃な時期と「彦根城築城400年祭」があってか、多くの客が降りた 駅前には彦根城の祭りの、のぼりがたっていたのだがそこに描かれていたマスコットに驚いてしまった 何処かでみたことあるこの兜・・ まさかと思うけど・・・ この「井伊直政」か!?・・・ |




