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下関を出てからしばらくして、おやすみ放送が流れました。明日もバイトなのでおとなしく寝ることに・・・ ふと、目が覚めると山崎辺りでした。 京都まで戻ってきたわけです。 周りはまだ薄暗かったのですが、確かに見慣れた景色でした。 大阪〜京都間は複々線なのですが、通常外側に優等列車が走行し内側線は各駅停車などが走ります。 ですが“はやぶさ・富士”は何故か内側線を走っていました。 京都駅を通過。このまま降ろしてくれいいのにと思いつつ見送ります。 滋賀県に入った頃には外が明るくなってきました。 そろそろ、起きる準備をしなければと洗面所と便所に行ったのですがここで悲しいものを発見。 ソロの鍵はキーなのでポケットなどのない浴衣では、落とすだろうと親切に便所にかぎ掛けがあったのですが・・。 何処に掛けろと・・・。 部屋に戻ってしばらくして、コンコンとノックする音が。 車掌さんです。 「おはようございます。 只今30分ほど列車遅れていますので、もうしばらくお待ち下さい」 起こしに来てくださったようです。 岐阜駅を通過。 遠くに見える山は別名稲葉山こと織田信長の居城だった岐阜城があった金華山です。 こちらも、信長の居城だった清洲城跡です。 現在全く関係の無い模擬天守閣が建っています。 庄内川を渡ればいよいよ名古屋です。 今回の本当に長かった旅も終わりです。 名古屋では、私を含め10人ほど降りていかれました。 最後に機関車を撮影。 そして、東京に向けて出発してゆきました。 実に行きと帰り合計して31時間近くお世話になった“はやぶさ”をホームから見送りました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まず、最初に東京からこの旅を見守って下さった御観覧の皆様方、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。 結局、この話を完結するのに1ヶ月以上かかってしまい、自分自身もなんという長い旅をしたんだという気持ちでいっぱいであります。 ですが、これで気がすみました。 おそらく私はこの総タイトル通り“はやぶさ”の旅はこれで終わりで、廃止を向かえるでしょう。 改めて、様々な出来事があり本当に楽しかった旅と実感しています。 このような思い出を残してくれる寝台特急はやはり後世に語り継ぐべきなものと感じました。 確かに合理化時代には必要の無い物かもしれませんが、その合理化と共に忘れ去られた何かを一人でも多く“はやぶさ・富士”で、もう一度思い出してほしいです。 しかし、“はやぶさ・富士”は実は幸せかもしれません。 最後に残った東京発九州行きの寝台特急として今沿線の多くの人に愛され続けているので。 合理化という荒波に負けずに走り続けろ“はやぶさ・富士”
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