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サクが天国に旅立って、1ヶ月あまり・・・
いまだに部屋のあちこちでサクの幻影を見ては、切なさに胸が締め付けられることもありますが、 嫁様ともども毎日サクの遺影に語りかけながら、少しずつ気持ちの整理をしていってます。 寂しさに包まれながらもひとつの区切りとして、サクが亡くなるまでのことを記します。 ことの始まりは昨年の秋、掛かりつけの病院の検査で心臓肥大の傾向を指摘され、
経過観察していましたが年明けのレントゲン検査で肺に白い影も確認されました。
主治医によると、心臓肥大による肺水腫、もしくは炎症か腫瘍の可能性もあるということでしたが、 大きな病院で精密検査をしてもらった方がよいということで、紹介された大学病院に連れていくことに。 結果、精密検査によるリスクや現状から判断し、まずは抗生剤の投与で様子を見ることにして帰宅。
数日後、再検査で経過を確認しましたが、残念ながら影は消えておらず・・・
その頃から、いつもはほぼ完食していた食事を少し残すようになりました。 サクの様子はというと、普段と変わらず元気にしていましたが、そのうち徐々に食欲が落ちはじめ、 ついには好きだったカリカリをまったく食べなくなってしまいました。 さすがにただ事ではないと、病院で別の心臓の薬や利尿剤なども投与してもらいましたが改善せず・・・
とにかく食事だけはとらないと体力がもたないので、
ネットでいろいろ調べて、食欲のない猫でも食いつきのよい流動食や栄養食などを試しました。 少し食べたかと思うと全然食べなかったりで、一喜一憂の日々が数日続きました。 食べないくせに食事の時間になると台所までやってくるサク。 気持ちは食べたくても、体が受けつけなかったんでしょう。 さらに食は細くなるばかりで、身体を撫でると明らかに筋肉が落ちており、
抱き上げても分かるくらいに軽くなり、痩せ細っていきました。
2月も終わる頃には、ほとんど自分からは食べなくなり、ほぼ1日寝て過ごすようになりました。
病院で点滴を打ってもらいながら、家ではシリンジ(針のない注射器)に流動食と薬を入れ、 口の中に強制給餌を行いながら、なんとか回復することを祈るばかり。 そんなある日、給餌のタイミングが悪くて気管に入ってしまったらしく、
突如、横たわったまま激しく手足をバタつかせ、苦しそうにえずき出しました。
そんなサクを見たことのない私たちは、驚きとショックで固まってしまいましたが、 その時は気管に入った流動食を上手く吐き出してくれて事なきを得ました。 でもそれ以来、強制給餌も怖くてできないことに。 その翌日3月11日の夜、サクに大きな発作が起こります。
その時、家にいたのは嫁様だけだったのですが、帰宅してから聞いた話では、 死ぬかと思うほどの発作が20分あまり続いたとのこと。
そして翌朝、なべさくもその発作を目の当たりにします。 心配でほとんど熟睡できないまま、うつらうつらしていた明け方の5時過ぎ、 聞いたことのないような唸り声ともうめき声ともつかない異音に気付いてすぐさま居間へ。
嫁様は既に起きており、見つめるその先にはよろめきながら苦しそうにしているサクが。。。
呼吸困難か心臓発作のように、つらそうなえづき声をあげながら、手足をバタつかせ、 身もだえしている姿に私たちはどうすることも出来ず、ただただ泣きながらサクを見守るばかり。
本当にこのまま逝ってしまうのではないかと思うほどの苦しみようでしたが、 このときも20分くらいで発作はおさまり、ぐったりとしながらもなんとか落着きを取り戻しました。
病院に連れていって事情を説明し、食事がとれていないこともあり入院させることに。
その夜、病院で先生もサクの発作を確認され、喘息によるものということが判明。 リスクのある薬ですがステロイド剤を投与しながら、回復を祈ることにしました。 が、これも効果はなく、発作の間隔も短くなる一方。 このとき、サクとの別れを覚悟するとともに、安楽死も考えました。
食べれられない上にあの発作・・・ サクを早く楽にしてあげたいという想い。 あんなに苦しそうなサクを見るのが耐えられないという自分の弱さもあったと思います。 入院2日目の夜、その苦渋の選択も念頭に置いて病院へ。
ビニールシートに覆われた酸素ゲージの中のサクに面会。
こちらに背を向けて小さく横たわる姿に、「さくぅ」と優しく声をかけると、 僅かに顔をこちらに向け、元気なときのようにシッポを振って応えてくれたサク。 それを見た瞬間、家に連れて帰ろう!と決めました。 苦しくても私たちと一緒に自分の家で過ごしたいとサクが訴えかけているような気がして。 そのことを先生に伝えると、「是非そうしてあげてください」と。。。
すぐに酸素吸入器のレンタル会社をご紹介いただき、翌日には酸素ゲージが自宅に設置されました。 受け入れ準備も整った入院3日目の夕方、嫁様と一緒にサクを迎えに病院へ。
いつもはキャリーケースに入れるのですが、先生から「お母さんが抱いてあげてください」と。 今にして思えば、いつどうなってもおかしくない状態であることを察した上でのご配慮だったのでしょう。 助手席に座る嫁様の元まで先生自ら毛布にくるんだサクを抱いてきて、嫁様にそっと手渡してくれました。 家路についた車中、サクは荒い呼吸のたびに苦しそうな声を上げていました。
「サク、もうすぐ家だから頑張れ!」と二人で励ましながら、発作が起きないことを願いつつ。。。 いよいよ家まで目と鼻の先という距離で信号停車したときです。
突然、サクのうめき声が静まり・・・ 嫁様が泣きながら「サクが息をしてないっ!」と。 とっさに嫁様の膝の上に横たわるサクの胸を左手で心臓マッサージするも反応なく・・・ 急いで家の前に車をつけ、部屋に駆け込むやいなや酸素ゲージに入れ、
サクの名を叫びながら心臓マッサージを繰り返しましたが、息を吹き返すことはありませんでした。
私たちは代わるがわるサクを膝の上にのせ、
「やっと楽になれたね、よく頑張ったね」と何度何度も身体を撫でてやり、
長い時間泣きながらサクに語りかけました。
サクは本当に寝ているかのように安らいだ表情で、今にも目を覚ましそうな顔で旅立ちました。 3日間の入院で最後に寂しい思いをさせてしまったこと、
あと少しのところで家に連れて帰ってやれなかったことが悔やまれますが、
サクが大好きだった嫁様の腕の中で最期を看取ってあげられたのがせめてもの慰めです。 サクは最後の最後まで生きようと頑張って、私たちが迎えにくるのを待っていてくれたのだと思います。 さくら、いままで本当にいっぱいのシアワセをありがとう。
またいつか逢える日まで・・・
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愛猫 さくら
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さくら姫、本当によく頑張りましたね。。。涙が止まりません。
そしてネコちゃんも喘息になるなんて。。。人間でも苦しいし、発作と闘うのは重労働なのに。。。と思います。小さな体にはきつい試練だったと思います。
読んでていて。すごく胸が苦しくなりました。
2014/4/26(土) 午後 9:52
momijiさん>さくら、頑張りました。
書いている自分も辛かったですが、サクが一生懸命生きようとしたことを残しておきたくて・・・
当たり前ですが、愛するものとの別れは必ずやってくるんですね。
サクとの別れがいろんなことを教えてくれたような気がします。
2014/4/27(日) 午後 6:37
読む程になべさく様の無念さと愛情の深さが伝わります。
愛情を注いだ者を亡くした哀しみは余りに深く察しきれませんが残さやれた者は必ず何かを託されたはずです。心の中に永遠
に生き続ける命もあります、合掌。
2014/4/28(月) 午後 5:57
社長さん>ありがとうございます。。。
子ども同然に過ごしてきた愛娘、愛するものとの別離は、生前から覚悟していたつもりですが、想像を越える哀しみがあります。
が、しかし、今回のサクとの別れで、いろんなことも学びました。
社長さんのおっしゃるとおり、残された者に託されたことも心に秘めてサクの分も生きていきたいと考えています。
この記事を一区切りにブログを再開したいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
2014/4/29(火) 午後 10:41
ともさん>あたたかいコメント、ありがとうございました。
ともさんのゲスブにコメさせていただきますね。
2014/4/30(水) 午後 10:35
AZ姐さん>温かいコメント、ありがとうございました。
AZ姐さんのゲスブにお返事を書かせていただきました。
2014/5/5(月) 午前 11:43
この記事を書いて残したなべさくさんの気持ちを考えると
なかなかコメントを入力することが出来ずに本日までいました。
さくちゃんの最後の様子となべさくさんご夫妻の葛藤と悲痛さがいたましく…
うちの空太郎ことも思い出されます。
さくちゃんが心からなべさくさんご夫妻を愛していたことがよく分かります。
私は賢くかわいいさくらちゃんのことを忘れません。
どうぞゆっくりお休みください、さくらちゃん。
2014/5/20(火) 午後 11:38
こにゃくうさん>ありがとうございます。
正直、この記事を書くのも辛かったですが、
サクを可愛がっていただいた皆さんにも辛い思いをさせてしまうかも・・・
とアップするのをためらいました。
でも、サクラが最後まで頑張ったことを残したく、
そして皆さんにもお伝えしたくてアップさせていただきました。
今は、虹の橋のたもとで待っていてくれることを信じています。
2014/5/21(水) 午前 8:38