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17日、日長神社に参拝した後、名鉄でそこから名古屋よりに4駅戻る「寺本」にある、これも草薙剣にゆかりの「法海寺」を訪ねた。
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/chita/chi029.htm
このあと行った「「知多市歴史民族博物館」で「知多市誌」という本を閲覧していてみつけた法海寺の由来は、下記のようになる。
「白鳳時代の古瓦が出土する法海寺の開基は、新羅国明信王の太子の道行法師といわれ、由緒は「日本書紀」巻27の天智天皇7年の条につながっている。すなわち「沙門道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向く、而して中路に風雨にあいて荒迷(まど)いて帰る」という一節である。その後それを敷衍(ふえん)した寺伝は、弘法大師の選文といわれる法海寺儀軌にのべられているのであるが、道行法師が多美州(尾張の古名)星崎の浦の土牢に因地されるなどの経緯があったのち、帰国を断念して当地に堂宇をいとなんでいたという、その後、天智天皇が不予にわたせられたおり、当山御本尊に祈願された結果ただちに効験あり、「薬王山法海寺」との勅願とともに、寺田280町をたまわったと伝えている。」
三種の神器の一つの草薙剣を盗んで失敗し捕らえられた新羅僧道行は、私はてっきり斬首されたと思っていたが、釈放されてこのお寺を開いていたとは、まったくの驚きであった。
それも、道行は、新羅の王様の太子とのことで、井沢元彦著の「逆説の日本史 2」で読んだ、新羅のスパイ、というイメージとはかなり違ったことになった。
http://blogs.yahoo.co.jp/nabesan88com/51464807.html
本堂は平成4年に復元されたものだそうだが、その外側に僧の像が祀られているが、これは「道行」の像なのだろう。
境内の楠の巨木が印象的だ。
山門は残念ながら修理中で、全体を写真に撮れなかったのは残念であった。
この町並みをあるいていると各家の玄関に「牛王宝明(ごおうほうみょう)」の護符の貼ってあるのが目に付く。
これも「知多市誌」によると、
「一月の初めに寺本の法海寺が版木で刷って、各戸にくばる護符である。家々の入口にはっておくと、一年間の危険除け、虫除け、大風除けになる呪いとして知られる。」
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