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7日、春日山古墳からとりあえずその南方にある「味鋺神社」に向かった。
途中、新地蔵川という小さな川があり、その川が春日井市と名古屋市との境になり、味鋺神社のある場所は名古屋市北区になる。
道幅4mほどの「稲置(いなぎ)街道」を神社に向かって歩く。
この道は、味鋺神社の中にある「清正橋」という石橋についての掲示板のせつめいによると、犬山街道・小牧街道とも呼ばれ、尾張藩が開いた藩道で稲置と名古屋を結ぶ。
参勤交代のときに使用し、中山道をへて江戸へ向かったのだそうだ。
この街道沿いに、古い屋敷が残る「曲水宴」という造り酒屋があった。
神社に近づいてもどこかよくわからず、人にも出会わないので道を聞くこともできずうろうろしていると森が見えたのでそちらへ行くと、そこが神社だった。
味鋺神社は思ったより大きな神社で、由来書や境内社の掲示説明板も詳しく書かれている。
その説明板によると、
祭神:宇麻志麻治命(うましまじのみこと)((可美真手命(うましまでのみこと)・味間見命(うましまのみこと))と味饒田命(まじにぎたのみこと)
「物部氏の祖となる宇麻志麻治命は、我が子、味饒田命と共に、物部一族を率いて皇城の守護にあたり大政に参与する。その子孫が、美濃・尾張・三河地方に発展し、ことに尾張地方の勢力は大きく、一族の遺跡と称せられるものも少なくない。春日井市味美にある二子山古墳、古来この山上に、物部天神があり可美真手命(うましまでのみこと)を祀っていた。現在は(白山神社古墳)山上に白山神社が物部天神を合祀して建てられている。白山神社は、現楠味鋺五丁目にあった天神藪古墳より遷座されたと伝えられている。この天神藪古墳より、刀剣・鉾・武器類が出土している(現在京都博物館に保管)。この一帯は味鋺の原で、俗に百塚といわれた程多くの古墳があった。このことから物部氏の番居していた遺跡であると考えられる。物部氏族が祖先を祀り、平和と繁栄を祈った物部天神味鋺神社は、おそらく尾張に於ける物部氏最初の氏神であったろう。」
このあたりは、尾張氏ではなく、物部氏が開発・定着したところとのことで、尾張南部と北部は尾張氏にまつわる神社が多かったが、その中央部に物部氏が鎮座しているというのはどういうことなんだろう。
尾張氏も物部氏もその系図の初代は、天火明命(饒速日命)と同じで、2代目に尾張氏は天香語山命、物部氏は宇麻志麻治命に分かれるので、この両氏は同類ということか。
境内末社は、熱田社・神明社・日神社・金毘羅社・天神社・山神社・斎宮者・稲荷社・秋葉社・洲原社・津島社
「洲原社」というのは私にとっては初見で、ネット検索すると、
「洲原神社というのは、白山信仰における美濃国側の中心的な里宮(「前宮[さきみや]」といわれる)で、尾張・三河国などからも「洲原参り」が盛んだったようです。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/13135367.html
石造りの蕃塀や拝殿の彫り物はすばらしく、拝殿の龍の上に馬の彫り物があるのが印象的だ。
南へ2,300mほどいくと庄内川があり、その堤から、東には猿投山が、北東には犬山の山県神社の本宮山などが見渡せる。
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