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川合考古資料館から東へ国道64号に出て南下、国道21号を越えて少し行くと、子守神社に行き当たる。
この神社は、由緒書によると、保元元年のころ、北面の武士、和泉源内兵衛重義がここ前波へ来たときに薬師如来の「子供の神になるべし」というお告げを聞き、妻とともにこの地で、16年間に16人の男子を、その翌年から16年間に16人の女子、合計32人の子供をもうけた、ということで、子守明神として祀られたそうだ。
これは、重義よりも32年間続けて子供を産んだその妻がスゴイと思う。
で、神社の先の交差点を東方向へ曲がり、しばらく行くと弘福寺というお寺の前にたどり着き、このあたりには、三つの古墳があるが、まずはこの「西寺山古墳」に行き当たった。
4世紀中頃の全長約60mの前方後方墳。
墳頂に登ると、薬師如来が祀られていた。
祠の脇には石仏・石塚が並び、その中の一つには「文化14年6月18日」と刻まれていてた。
文化14年は、1817年になり、杉田玄白が亡くなった年になる。
また、三ツ塚それぞれに「大施食・・・・」の卒塔婆も立っていた。
北東に大きな「長塚古墳」が見える。
道路沿いにたこ焼き屋があったので、腹も減ったことだし、それを買って長塚古墳へ行き、その墳頂の切り株に腰掛けて一休み。
この古墳は、ガイドブックによると、盗掘を受けていないそうで、全長6mほどの割竹形木棺が粘土で覆われて古墳の主が眠っているそうだ。
長塚古墳の西側の住宅街のなかに、もう一つの「野中古墳」がある。
説明板がなかったので、これが古墳かどうか迷ったが、地図でみるとこれで間違いないように思われた。
全長約60mの前方後円墳ということだが、北側からみるとそれらしい形をかんじられるが、南側半分は切り取られて住宅になっている。
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番外篇 美濃を歩く
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