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伊勢神宮の125社めぐりをしていると、「蘇民将来子孫家門」や「笑門」と書かれた木札の付いた注連縄をよく見る。
二見めぐりで「松下社(まつしたやしろ)」へ行ったとき、そこに神社の由来などを記した栞があって、松下社がその注連縄を頒布していることを知った。
「蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布し(頒布初祭12月16日)、近郊それを受けて注連縄に吊るし、今に至っています。」
「蘇民将来伝説」についてもその栞に記されている。
「昔、素蓋鳴尊が南の国へ行く途中、暴風雨に会って非常に困り一夜の宿をさがしたそこには、裕福な巨旦将来と貧しい蘇民将来という兄弟が住んでいた。裕福であった兄の巨旦が宿することを拒み、慈悲の心厚い貧しい弟の蘇民が、尊を温かく迎えて一夜の宿を貸し、粟の粗飯を差し上げた。尊はアサハの国から疫病が来る(暴疫鬼来する)ことを察し、蘇民に茅輪(ちのわ)を作って家に懸けさせた。翌日になると風雨はおさまり上天気になったが蘇民の一家を除いて、一村みんな疫病にやられてしまった。尊は別れる時、これからも難、禍を免れるために、蘇民将来子孫としるして門楣(まぐさ)に懸けるように仰せられた。そして現在もそのことをまもっている。」
また、その栞には、「蘇民将来子孫家門」と書かれた裏には、「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」と「セーマン」「ドーマン」と称する清明印、道満印(九字印)が記されているとあり、その写真もあった。
「急々如律令」については、福永光司他著「日本の道教遺跡を歩く」によると、
「「きゅうきゅうりつりょうのごとくせよ」と読み、まぎれもない道教の呪文である。「天帝の定めた規律通りに早く実行せよ」という意味をもっている。もともとは「法律通りにしろ」と指示したオカミの文言で、中国の漢代には公文書の末尾に書かれたらしい。それを道教が「功過」「報応」などの法律用語を転用して使っているのと同様に、まじない用の文言として取り入れた。六世紀後半、中国の南北朝時代に成立した道教教典『玄都律文(げんとりつぶん)』などに、悪魔を退散させる字句として使われだした。」
いずれにしろ、招福・厄除けの護符であることは間違いない。
伊勢市の市街地から出ると、「笑門」と書かれた札の注連縄を見ることのほうが多い。
「笑門」というのは、どんな本かは覚えが無いのだが、随分前に読んだ本に、本来は「蘇民将来の門」の「将門」であったのが、平将門の乱があって、「将門」と掲げるのはお上に対してはばかる、ということで、「将」の字を「笑」に変えた、という説があった。
内宮の門前町のおかげ横丁を歩くと、商売に関係して、いろいろな文言の札の付いた注連縄を見ることができる。
札や橙とかの飾りの付かない、シンプルな注連縄もあった。
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