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外山神社から木曾街道を南へ、名鉄味美駅近くで西へ曲がり進むと名古屋市北区に入り、道路に面して「如意」の街並の中に式内社の「大井神社」はあった。
鳥居をくぐって正面に石造りの蕃塀がある。
上部には龍、下部には左右に獅子と真ん中に鯉の滝登りが彫り込まれている。
社殿は、南南西向きに建つ。
由緒書の石碑があり、
祭神は、罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命で、すべて水の神様。
相殿神は、塩竃六所大明神。
「社伝によれば、和銅・養老年間(700年代)に、現社殿の北西にあった大井池のほとりに産土神として勧請せられ大井神社と称し祀る。中世、大水の難を避けて現在地へ鎮座される。
延喜式神名帳(927年)に山田郡大井神社と記録される式内社である。尾張国神名帳に従三位大井天神と見え、神社に保存される社名額・棟札に六所大明神・大井塩竃神社とあり、古来より如意の氏神として崇敬され現在に至る。」
塩竃六所大明神については、
「石黒大炊助藤原重行は、後醍醐天皇の皇子宗良親王を貴船城に迎え、建武の中興に功績のあった越中国奈呉郡貴船城主石黒越中守藤原重之の子で、勤皇の志を継ぎ度々兵を挙げたが、遂に越中国を去り一時奥州へ移る。後亀山天皇の明徳4年(1393年)に至り、奥州千賀に鎮座される塩竃六所大明神の御分霊を奉載して、尾張国春日部郡如意郷に来て潜居し大井神社に合祀する。以来氏神とともに崇敬され現在に至る。」
社殿についても記載があり、
「本殿は、重行の子石黒右馬頭藤原朝房が、嘉吉2年(1442年)に再建する。その後元禄11年(1698年)に氏子により再造立される。以来290年の風雪に耐え、近隣最古の建物として創建時の三間社流造の原形を伝えてきた。然るに近年老朽が甚だしく維持が困難になった。昭和62年の式年に当たり、氏子の総意により古来の建築様式を守り、本殿・渡り殿・幣殿をコンクリート造、手水舎を木造で造営し、併せて境内整備を行い御神徳の高揚をはかる。今度の造営は、第3回造立、第29回遷座となる。なお20年毎の式年遷座祭の斎行は、寛政2年(1790年)以降である。」
塩竃六所大明神が南朝に由来ためか、拝殿屋根には、楠正成とおなじ「菊水」の紋がつく。
拝殿正面の蟇股には、「矢じり(?)」の紋。
本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。
社殿の脇に、井戸がある。
境内の東側の覆屋のなかに西向きに境内末社が並ぶ。
向って左から、神明社・御嶽社・山神社合殿、八幡社・津島社合殿、富士社・天神社合殿、白山社・厳島社合殿、直会(なおらい)社が並ぶ。
拝殿前の向かって右に、狛犬なのか「猫」なのか、「平成19年10月吉日」に奉納された石像がある。
絵馬は、熊。
この神社は、動物好きなんだろうか。。。。
この日はここまでで、あとは庄内川にでて堤にそって西区の家に帰った。 |
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