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番外篇 尾張を歩く

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裳咋神社から、同じ集落の南端にある「八剣社」に寄り、稲沢の市街地に近い「国分寺跡」、その近くの「市神社」、「三社神社」にも寄って、名鉄「国府宮駅」近くの、式内社「尾張大國霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)」へ向った。
 
「大江用水」が二の鳥居の南側を北東から南西へ流れていて、私はこの鳥居が一の鳥居だと思っていたが、帰りに国府宮から名鉄の線路沿いに名古屋へ向って自転車を走らせていたら、二の鳥居よりもずっと南に、一の鳥居があった。
 
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二の鳥居
 
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二の鳥居からも長い参道が続き、二の鳥居をくぐると、石橋がある。
 
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そして、木製の両部型の三の鳥居がある。
 
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やっと社殿域にたどり着く。
 
まずは、重要文化財の楼門がある。
 
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神社のHPによると、
 
「足利初期の建立 正保3年(1646年)の解体大修理の際上層を改造しております。」
 
蟇股には、正面に、「亀」、内に「獅子」、向こう正面に「牡丹」の飾りが付く。
 
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楼門をくぐった正面には、木製の蕃塀がある。
 
そして、社殿は、南向きに建つ。
 
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拝殿も重要文化財で、
 
「徳川初期の建立 特徴として切妻造で内側に柱が並立しております。」
 
拝殿屋根の鬼板には「五七桐」の紋。
 
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拝殿正面の蟇股にも「五七桐」の紋がつく。
 
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「本殿は流造、拝殿は切妻造、全体の様式(建物の配置)は尾張式といわれるもので、本殿・渡殿・祭文殿・東西の廻廊・拝殿・楼門と建ち並んでおります。」
 
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社殿は、いわゆる「尾張造り」で、熱田神宮も明治時代に神明造りに改築されるまでは、この形式であったという。
 
「本殿に接する形で磐境と呼ばれる5個の大きな自然石が円形に立ち並んでおります。これは、今日のように社殿を建てて神様をお祀りする以前の最も古い原始的な祭場で、当社がこの地に古くより創始されていたことを物語っております。」
 
ということだが、これは見ることができない。
 
祭神は、尾張大國霊神。
 
「この尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)であり、尾張人の祖先がこの地に移住開拓し、その日その日を生きていく糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い、尾張大國霊神としてお祀りしたのであります。 」
 
尾張開拓の開始期から祀られていた、ということで、尾張氏以前の弥生時代から祀られたことになる。
 
社殿の東側には、「はだか祭」で有名な、「儺追殿」がある。
 
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社域の東側の森の中に、司宮神社、稲荷社、三女社、白山社、神明社、居森社の末社が並んで建っている。
 
絵馬は、これも「五七桐」。
 
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この日は11月20日で、七五三や初参りで賑わっていて、境内では菊の展示もあった。
 
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