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天宮(あめのみや)神社の例大祭は毎年4月第一土曜・日曜日に行われ、両日とも舞楽は行われので、私は7日の日曜日に見に行った。

森町のHP」によると、舞楽は、16時から始まが、その前にもいろいろな行事があるようなので、11時半ごろ車で家を出て、12時半ごろ神社に到着。

神社の駐車場は桜が満開。

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まずは参拝。

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天宮神社は、宗像三女伸を祀る。

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とりあえず、境内と付近を散策する。

御神木は、「竹柏(なぎ)」。樹齢1300年。

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境内摂社の「多賀社」に供えられた神饌。

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神社は小高い所にあるが、参道を下ると、神社のすぐわきに清水次郎長一家の「寿司食いねえ」で有名な「森の石松」の養家、「新屋旅館」がある。

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もう少し歩き、「太田川」にでると、対岸の堤にも桜が満開で美しい。

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境内へ戻って、屋台のたこ焼きを買って車に戻り、持参した缶ビールで花見をしながら腹ごしらえする。

13時から「神幸行列」がでるのでそれを見物してから、また車に戻って舞楽が始まる15時半前まで横になって一休み。

で、「十二段舞楽」

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社務所でいただいたパンフレットによると、

「慶雲二年(705年)に勅願による社殿造営の折、京都から藤原綾足が神官として赴任し京人により奉納舞楽が行われて以来、連綿と継承されている。
舞楽の構成は十二段、一番延舞の天地鎮めの舞から戦のない平和な世界を祈念する五番太平楽までが神仏への供養の舞である。六番新靺鞨以降は入調の舞楽で観衆の娯楽の舞になる。最後の獅子伏せで宇宙の悪霊を退散させて舞楽が終わる。」

舞は、拝殿前の舞殿で舞われ、楽屋と橋でつながれ、囃子方は楽屋で舞台に向かって奏する。

●一番 延舞(えんぶ)

稚児二人が鉾を持って天地・八方・舞台を祓い清め、舞楽の開始を告げる。舞楽法要には必ず最初に行う。



●二番 色香(しきこう)

古くは菩薩という。曲は極めて流麗。日輪・月輪を背負い結いと冠を付けた菩薩面をかけ左右に対峙。サンジョウ(桴;ばち)を持ちゆるやかに舞う。仏の舞ともいわれる。江戸時代にはこの舞人のみが神幸の列に加わっている。



●三番 庭胡蝶(ていこちょう)

極楽浄土に舞う蝶を現す。蝶がゆっくり舞い遊ぶように舞う。額に手を当てるのは蛹を想定している。方羽根を交互に開き羽化した蝶の誕生を現し、生命の継承を祝う。番い(つがい)舞は鳥名。



●四番 鳥名(ちょうな)

極楽浄土を想定。蝶と共に、極楽鳥が舞う姿を現す。花開き鳥謳う幼青年期の姿である。子孫を残し、連綿と継承する世を現す。庭胡蝶と同じ服装である。曲には破と急がある。



●五番 太平楽(たいへいらく)

天下泰平・五穀豊穣・平和であることを祈り、鉾、太刀で舞鎮める。最後の「太刀の一人舞」は中央では断絶した一場面である。





ここまでが舞楽法要の曲である。

●六番 新靺鞨(しんまか)

本来靺鞨(まつかつ)は、中国東北部族になる。当宮では、四人の童舞。茶を帯びた淡い黄色の袍(ほう)を着て笏を持つ。笏をヘラともいい、この舞をヘラともいう。



ここで30分の休憩になり、私は車に戻り、カップ麺とコーヒー。

境内へ戻ると、拝殿で儀式が始まり、巫女の舞があったので見に行ったが、すぐに舞殿のほうでも演目が始まったのであわてて舞殿のほうへ戻る。

日も暮れて、ぐっと雰囲気が良くなる。

●七番 安摩(あま)

蔵面(ぞうめん)という紙で作った面をかぶり、海人族の精霊舞を舞う。右手に笏を持ち、手足を大きく開いて舞う様は優雅。「唱歌」を口ずさみながら舞う。



●八番 二の舞(にのまい)

安摩と番になる、神の真似をする翁と媼(おうな)は何度真似をしても上手くいかない。人の真似をしようとするが上手くいかないことを「二の舞を踏む」という諺は、この舞が起源であるという。「じいさ・ばあさ」と呼ばれて親しまれている。



●九番 陵王(りょうおう)

本来は蘭陵王と呼ぶ。龍は雨を呼び、天宮は降雨ほど良いことを祈る宮で、太田川の水利水運信仰は天宮(宗像三女神)信仰そのもの。



●十番 抜頭(ばとう)

稚児の一人舞い。最も華やかな舞いとされ中央舞楽の抜頭とは異なる。(日曜日の)本舞のときはこの稚児を楽屋に連れ返そうとする抱き込み役と舞児による稚児合戦(ザットラボー:座頭の坊)が行われる。

お昼から舞楽の最中も大勢の稚児が境内にいたが、ここで出番があった。

稚児たちがねじった手ぬぐいで抱き込み役の大人をけっこう力いっぱいで滅多打ちにして楽しそうだ。



●十一番 納曽利(なそり)

陵王と番い舞。中国の納曽(なっそ)地方を淵源とする。「笛の狂いは舞人を苦しめ、舞の躓きは笛方を困らせる」といわれるほど難しい。



●十二番 獅子(しし)

悪魔調伏と五穀豊穣を祈る。序・破・急の三部に分かれ、中入り後八方舞・追込舞は勇壮且つ華やかに最高潮に盛り上がる。

「獅子伏せ」が獅子を鎮めると紙で鼻をかみ、これに使った紙を見物人が争って拾う。この神は、風邪除けのお守りになるのだそうだ。



21時過ぎにすべての演目が終了、帰路についた。









































2018年11月11日に東栄町御園地区の花祭りを見入ったとき、そこで雑談した花祭り見物の常連のカメラマンから、「月の鬼が焚火の火を盛大にかき上げて面白いよ」と教えてくれて、月地区では11月21日〜22日に行われるとのことで、見に行った。

行事次第は、花祭りのHPにあり、舞開始は、18時ということで15時ごろ会場に到着。

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舞庭(まいと)の中央に前回見た御園とは違って、土塗りの竈がしつらえてあり、天井に下がる「湯蓋」や「一力花」「添花」などもも華やかでたくさん下がっている。

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舞庭を囲む縄には8種類の「ざぜち」がついている。

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舞庭お横の座敷にある神棚に、「滝ばらい」で汲まれてきた「御滝の水」が供えられている。

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舞庭をはさんで座敷の向かいに太鼓や笛の衆の座る神座(かんざ)があり、そこにも神棚があって、鏡餅などが供えられている。

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会場についてちょっとしてから、舞庭の横にある座敷で、儀式が始まり、これが「神入れ」と思われた。

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その「神入れ」に先立って、「うちきよめ」、「滝ばらい」、「高嶺祭り」、「辻固め」の神事がある。

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「花祭り」を見に行ってから、アマゾンで須藤功著「花祭りのむら」という古本をみつけ、ちょうど「月地区」の花祭りについての内容が豊富なのでそれを参考にして進める。

神棚の前での祈祷や釡ばらいなどを行う、この祭りの一切を執り行う人は「花大夫」と呼ばれ、その補佐役は「みょうど」と呼ばれるそうだ。

「神入れ」は、花大夫が床の間の前に正座して、印を結び、祭文を唱え、祓い幣を振りながら神様や神社、そして仏様の名を読みあげる。それは、火の神、庚申、閻魔法王などに始まって、東から中央までの五方位の神々、月地区にある熊野神社、大村千代姫神社、さらに全国各地の神社、神様そして再び奥三河の神社と神々にもどり、読みあげる数は225社に及ぶ。

「神入れ」が終わると、大幣を持つ花大夫を先頭に迎える神様を讃える歌楽(うたぐら)を唱和しながら神座(かんざ)へ渡り、幣と祭具を神座の決まった場所に並べる(棚飾り)。



つぎに「 切目(きるめ)の王子」。

「切目の王子」は、和歌山県にあった切目の荘の切目王子社の祭神で、熊野神社の末社。京都からの熊野詣の道筋にいくつもの「王子社」があり、切目の荘の王子社はその第一として大勢の人が参拝した。

花大夫が太鼓を叩きながら祭文を唱え、「神入れ」と同じように神仏や神社の名を読みあげ、区切りごとに一同が「一社ももらさずおりいで花の切目の王子・・・」と唱えて、その度に「みょうど」が紙縒りに神酒を浸し、自分の体に振りかけて神様の霊力を身に受ける。

そして、「しめおろし」と続いて、祓い幣を手にした花大夫とみょうどが、神座に立って、「注連おろし、おろすさとさに千早振る、ちはふる神のまえとなるらん・・・」と五方で三回ずつ唱える。



そして、「釡祓い」。

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花大夫が竈の焚き口に向かって、まず水の印を結び、火打石で火種に火をつけ、竈の薪に火を移すと花大夫は「水天明王」と三回唱える。



「湯立て」は、花大夫が、湯気の立つ釡の上で印を結び、笹竹を湯に浸し、五方に振りかけ、舞庭を清める。



手違いで、ビデオの時間データが消えてしまったので、はっきりと覚えていないが、このあたりですでに21時になっていたと思う。

「ばちの舞」でまずは笛の囃子だけで舞い、太鼓を叩く「桴(ばち)」を清める。そして、「一の舞」、「御神楽」と続く。

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「地固めの舞」。
「扇の手」「やちの手」「つるぎの手」と舞手が手に持つものを変えて三折、それぞれ1時間近く舞う。



私は、始めの「扇の手」の途中まで見て、車に戻りひと眠りして、舞処に戻ると「花の舞」の真っ盛りであった。
この間に「榊鬼の庭入り」があったらしいが、見逃してしまった。



花の舞も「扇の手」「盆の手」「湯桶(ゆとう)の手」の三折があり、延々と続くので、また車に戻ってひと眠りして戻ると、「山見鬼」の最後のほうで、なんとか焚火を掻き揚げるところには間に合った。





次に「三つ舞」となり、また「扇の手」「やちの手」「つるぎの手」の三折あるので、またまた車に戻って一休み。
舞処にもどると、「つるぎの手」で、「榊鬼」に間に合った。



そして、一番人気の「榊鬼」。

ここの榊鬼は、途中で榊の小枝を手にした「もどき」という役のみょうどと問答する場面がある。
そして大地に潜むあらゆる悪霊を鎮めるために大地を踏み下ろし「反閇(へんべ)」を踏む。

最後に外へ出て焚火の火を掻き揚げるが、すでに夜も明けて明るい中なので、火の舞うさまはいまいち迫力に欠けていた。



そして、「ひのねぎ」「おつるひゃる」「みこ」と進むが御園のときのような混沌とした風にはならないで、整然と進んでいく。





次に「四つ舞」が、また「扇の手」「やちの手」「つるぎの手」の三折あり、子供たちが次々に舞う「願主(がんぬし)の舞」が延々と続くのでので、またまた車に戻って今度は一仕事。

そろそろ願主の舞が終るころかなあと舞処にもどったが、まだ3組ほど舞があって、やっと「おきな」になる。



そして「茂吉鬼」。この鬼は、大きな木槌を持って登場して、途中、竈の上に下がった「湯蓋」の中の「蜂の巣」という色紙の紙片の入った包を破る。

この鬼も焚火を掻き揚げるが、伴鬼が頑張って盛大に掻き揚げて盛り上がった。




そして「湯ばやし」。
今回も上着はカッパを着て、しっかり湯をかけてもらい、無病息災。



舞の最後は「獅子」。先導役が身軽に動き回り、湯ばやしで舞処はどろどろになっているので、先導役も、獅子も足をとられて泥んこになって盛り上がった。



このあと神事があるが、私はここまでで帰路に就いた。











「静岡県の祭ごよみ」によると、毎年3月17日に藤守の「大井八幡宮」で「藤守の田遊び」が行われる、ということで見に行った。

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境内でもらったパンフレットによると、

「藤守の田遊び」は、藤守の氏神さまである「大井八幡宮」の祈年祭(三月十七日)の夜に、氏子のなかの未婚の成年男子によって奉納されます。
大井八幡宮は、今から1180年前の平安時代初期に、大井川の水害を恐れて、川除けの神さま「大井宮」として祭られたのが始めと伝えられています。
それから80年後の1100年程前に社殿を作り、このときに「田遊び」が行われたといわれています。
その後、鎌倉時代に磐田市から八幡さまをお招きして「川除け八幡宮」として祭られました。
そして室町時代末期に、今のような「田遊び」の様式が定まったと伝えられています。
更に、桃山時代の天正年間に徳川家康公が、この地を通行の折、大井川の増水に遭い、藤守の「川除け八幡宮」に祈願したところ、たちまち水が引いたことから、神領を寄進し、社名を現在の「大井八幡宮」にしたと伝えられています」

ネット検索したところ、田遊びは18時から22時ごろまで行われる、ということで、家を13時ごろ出発、途中道を間違えて少し遠回りになって、15時ごろ藤守に到着した。

神社はこれまで見てきた「田遊び」が行われている山間部ではなく、海に近い平野にある。

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神社横の駐車場はすでに満車で、神社から歩いて5分ほどのところの臨時駐車場に留めることができた。

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境内へ行くと、拝殿前の舞台では何やら神事が行われていて、あとで買った大井川町教育委員会発行の「藤守の田遊び(1000円)」によると、「外祭の儀」という神事らしい。

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拝殿には、ご神体の鏡と、神様の身代わりになる獅子が祀られている。

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拝殿脇には、祭りでかぶられる「ショッコ」が並ぶ。

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カメラとビデオカメラを交換しようと車に戻り、16時ごろ境内にもどると、すでに神事は終わっていた。
30分程、写真を撮りに来ていたおばさまと雑談をして、出店も沢山でていたが、好みの食べ物がないので、車に戻って、またお湯を沸かしてカップ麺とコーヒー。

神社へ戻るところで、前方に富士山が見えるのに気が付き、また車にもどってカメラをとってきて写す。

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大井川の河口でもこんな真正面に富士山が見えることに驚くとともに、富士山を拝めたことで得した気分になった。


17時ごろ境内に戻るが、カメラマンも少なく、常連のカメラマンにどこがいいポジションになるか聞いて、舞台の北東にあたる角に陣取る。

18時に田遊びの参加者の記念撮影で祭りは始まった。
田遊びに奉仕する者は、氏子中の未婚の青年ということで、この祭りは、衣装は華やかだが、なにか体育会系の雰囲気がする。

田遊びは、25番組と番外の天狗、鯛釣からなり、まずは、番外、雌雄の天狗による舞台の清めから始まる。



第1番は、長刀、荒草を薙ぎ払う動作で農地の開拓を表現する。



第2番振取と3番御獅子は、この田遊びの最も重要な演舞で御獅子(牛)を祭神の身代わりと考え、祭神を内陣より迎え奉る意を表す。
獅子は、振取に誘導され舞台に立ち、振取の和め慰める所作の舞を受納する。



第4番鍬入は、地に鍬を入れる田仕事の手始めを表現していて、舞はなく、唱え詞と共に御納の「牛の舌餅」をまく。唱え詞は、「などようよう。鍬入れをしょうずるようは、ひと鍬打ってひきおこせば、よき酒とふる酒のにほいにほい」

第5番荒田は、刈敷を田に踏み込む動作をあらわす。

第6番寄塗は、水田の水を保つために畦に土を塗る作業で、舞はなく、唱え詞と共に御納の「牛の舌餅」をまく。唱え詞は、「などようよう、よせをぬろうずるようは、へろうりへろうり。」

第7番の水口申は、現在では演舞されない。

そして第8番鳥追は、苗代の鳥を追うとともに、農村を乱す悪霊を追い出す内容。




第9番山田は、舞台中央に田を擬した台を置き、鍬を順に打ちながら歌を送り、「よう徳さん徳さん」の声で、第10番の造花の万燈花を飾り付けた「ショッコ」をかぶった徳太夫が登場し、山田の労をねぎらって酒をふるまう。



第11番の麦搗は、現在は演舞されていない。

第12番田植は、殿とその供が登場、青年全員がぶたいの縁に並び、のど自慢が田植え歌を歌ってにぎやかに豊作を祈願する。



第13番代草は、水田の除草で、これも舞はなく、唱え詞と共に御納の「牛の舌餅」をまく。唱え詞は、「などようよう、代草を御かまにしょうづるようはにほい、にほい。」

第14番孕早乙女は、人の増加繫昌と増産を祈り、孕女を祝う演舞。



第15番小編木は、稲穂を荒らす鳥をにぎやかに追い払う演舞。



第16番早乙女は、氏子中5歳になった男児が親と舞台に上がり、禰宜様に抱かれて神前に三拝して、男児が改めて氏子に加わることを告げ、今日までの神恩を感謝し、将来の幸福を祈願する。

第17番高野殿は、稲の稔りが好いことを祝って、殿と供が酒を飲みかわす。



第18番棒は、藤守の郷を守護する内容の演舞。



第19番神子舞は、神の子として舞台を楽にあわせて竹ぼうきではらい清める。



第20番間田楽は、青年8人が田を擬した造花を頂きに飾ったショッコをかぶり、稲がよく茂り成長している様子を華やかに舞い踊る。



第21番猿田楽は、豊作を予祝する演舞で、この田楽のなかのメインイベント。かぶり物のショッコが華やかであるが、その舞は力強いもので、華やかさより男らしさが強調されているようにも感じる。

私の正面に来た青年が先頭のようで、「猿」の面をショッコにつけているので、これが「猿田楽」と言われるゆえんのようだ。



この番組が終わると、ほとんどのカメラマンは帰って行った。

第22番宝来は、青年5人が締太鼓の音頭と共に藤守の郷が富栄えている様子を歌う。

第23番稲刈は、豊作の稲の刈り入れを祝う歌を歌う。



ここで番外の鯛釣。本物の鯛が糸の先につけられ、口にご祝儀をいれて釣りあげられる。
海に面したところで、豊漁祈願も番外で行われるわけだ。



そして、鎮めに入り、始めと同じ、24番長刀で、舞台をはらい清め、25番御獅子では、祭神の身代わりである御獅子を慰労し、元の座に還り鎮まるよう振取が先導し、御獅子の御供餅を白扇にのせた振取が投げ挙げ、その方角により今年の稲の豊凶を占うそうだが、占いの結果は不明。
この餅を拾った人は幸福を受け恵まれるといわれている。


最後に、番外の天狗で、舞台をはらい、23時前にすべて終了





この日も眠くなかったので、そのまま帰路につき0時過ぎに帰着した。











古戸のしかうち神事


奥三河の東栄町の「花祭り」を見に行こうと東栄町のHPをみていて、「しかうち神事」が行われることを知った。

そのHPに「設楽のシカウチ行事調査報告書」が850円で手に入ることも知り、早速申し込んで手に入れた。
その報告書によると、

「愛知県北設楽郡東栄町、新城市(旧鳳来町)の一部には、シカウチ、シシウチ、シャチマツリなどと呼ばれる狩猟(鹿狩・猪狩)をモチーフとした祭りを伝承する村々がある。天竜川中流域のこの地域は周辺部も含めて冬の神楽の祭り、花祭の伝承地でも良く知られた地域であり、年が明け初春を迎えるとシカウチが行われる。

シカウチとは、草木(杉・青木などの枝葉)を材料にして形作った鹿や猪の作り物を祭場に設え、それを弓で射る神事である。弓で射た後、ミニチュアの鍬で神社床下の土を耕す真似する所もあり、予めシカの腹に入れておいた餅・ゴクを取り出して、シカの材料の枝葉とミニチュアの鍬と共に村人・参列者に分配する。

狩猟の祭りでああるが、作り物の鹿の腹からゴク・餅を取り出し、籾米・ミニチュア鍬・社殿下の土と一緒に各戸に配るので、豊穣祈願の意味もある。」

東栄町では、4か所でおこなわれているようだが、2月は他の地域の祭りを見に行ったので、3月10日の「古戸(ふっと)」で行われるのを見に行った。

10時ごろ家を出て、途中間違えて古戸の一つ手前の集落の八幡神社へ行ってしまい、古戸の八幡神社には、11時40分ごろ到着。

古戸地区は、東栄町の北部にあり、八幡神社は、普光寺と並んで鳥居が立ち、石段を上ると社殿がある。

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境内には、まだ参観者や祭り関係者はなく、拝殿の向かって右側に猪のような杉の枝葉で作られた雌雄の鹿と3mほど離れて、弓の射手である「宮人」が三人座るゴザが設えてあった。

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車に戻って、例によって湯を沸かしてカップ麺とコーヒー。
神事は13時からということで、12時を過ぎると、参列する地元の人たちや、カメラマンが数人やってきた。

そして、13時ごろになると、神事に携わる人たちもやってきて、鹿の仕上げに鹿に耳やタテガミの片御串(カタミクシ)つけたり、雌鹿の腹の下に「ゴク、サゴ(産子=胎児)」と呼ばれる小豆ご飯で作ったまん丸おにぎりを置いたり、丸い「大的」と四角の「マミ的」を並べたりする。

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そうしたなか、この神事を取り仕切る禰宜様のような「太夫」が、本殿向かって左側の石垣の壇上に祀られている「乳母神様」のお祭りを行う。

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そして、拝殿に移り、初午の「二歳児祈願」として、神前にて初午祝詞を奏上し、数え年二歳児の無病息災・延命長寿を祈願する。

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そしていよいよ「シカウチ」が始まった。

雌雄の鹿に向かって左側の宮人が一番手で、まず皿に入れた御神酒を榊葉ではじいて清めてから雄鹿に向けて矢を二本打ち、見届け役が放った矢を二本拾って次の射手に渡し、二番手、三番手と矢を射っていく。次に、雌鹿、大的と同じように矢を二本ずつ射っていき、最後に三番手の射手が「マミ的」に二本射って、それが終わると、見届け役が、マミ的に付いている紐を持って走り、それを数人がマミ叩き棒で追いかけて叩き、しかうち神事は終わる。

弓を射るのは真似事かと思っていたが、うまく射るとかなりの勢いで矢が放たれるので驚いた。

そして、最後に、太夫が境内社の諏訪神社の床下の地面に半紙を敷いて種籾と床下の砂をとってミニチュアの鍬で耕す所作をして混ぜ、それを小さな半紙にとって包み、「種取り」は完了。



太夫の後、参列者も同じように種籾と砂を半紙にとって包み、雌雄の鹿の体に挿してあるある「片御串」と体の杉の葉それぞれ一本ずつを取り、雌鹿の「サゴ」をいただいて持ち帰り、これらを、恵比寿・大黒さまに供えて豊作と家内安全・無病息災をを祈るのだそうだ。

地元の人たちの分で無くなるかと思ったが、最後にまだ「片御串」が残っていて、私も一セット揃えて、「サゴ」もいただき、家に持ち帰った。

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14時前にはすべて終了して帰路についたが、途中、道路沿いに手打ち蕎麦の店があったので寄って、16時ごろ帰着した。






毎年3月の第一日曜日に、私の住む雄踏町の息神社で「田遊び」が行われる。

町内のところどころに開催の知らせの幕が張られるので、以前から見に行きたかったが、なぜか毎年その日は用事が入ってしまい、見ることができなかった。しかし、昨年、2018年3月4日、ようやく時間が空いて、見に行くことができた。

午前10時から、ということで、9時ごろ自転車ででかけ、10分ほどで神社に到着。

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田遊びは、拝殿内に作られた「田所」を囲んで行われる。

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境内で配られていたパンフレット、「息神社の田遊祭(たうたさい)」によると、

●由緒

田遊祭は五穀豊穣を祈願する神事として、旧くから宮座によって行われてきました。1757年から明治4年(1771年)までは、旧暦二月初午の日に行われていましたが、昭和25年以後は三月初午の日に行いました。もともと踊りを伴っていましたが、明治元年の神仏分離令により、鎌倉時代の作といわれる「神楽歌」と踊りが途絶えてしまいました。明治40年ごろになり、神楽歌は元通りになりましたが踊りは復活しませんでした。ただし神楽歌の内容をみると、田打ち、苗代田の選定、肥料集め、種蒔き、祝いの餅つき、鳥追い、代かき、田植え、鳥追いという構成になっており、所作を伴っていたことが想像されます。また、儀式の中で田所(たどころ)に蒔かれた籾種を持ち帰り、自分の苗代に蒔くと小鳥に拾われないといわれています。

●行事次第と芸能

代官一名、田主一名、稚児四名、歌い手一名、および宮座をつくる「六名(ろくみょう)」の代表各一名が拝殿中央の田所(2m四方)近くに正座し、その背後に代表以外の宮座の人々が着座します。修祓、祝詞奏上、玉串奉奠等の儀式が終わると、司会者の言葉のあと、神官の打つ太鼓の合図で「歌い手」が『田遊神楽歌』の最初の部分「田を作れ、田を作れ、田をつくらんば門田をつくれ〜」を読み上げ、以下宮座の参列者が各自の決まった部分を合唱する形で読み上げます。途中で『田遊神楽歌』を中断し、代官と田主が神前に進み、代官が升に入った籾種を神棚から下げてそれを田主に渡し、田主はさらに六名代表者に分けて回ります。分け終わったところで代官の「種を蒔こうよ」の言葉で六名の代表者が田所に三回蒔く。それ以後、再び宮座の参列者が各自決まった部分を合唱する形で読み上げます。最後に「歌い手」が歌い、稚児が田所を時計回りに鈴を鳴らしながら三回廻ります。その時一同で「万歳楽」(めでたいという意味)を二十一回唱えます。



田遊び自体はあっけなく、20分ほどで終わる。

田祭りの後の先生の解説によると、正面に掲げられている「面」は、両サイドの般若と鬼は、天狗さまの伴神。息神社の一番古い神様は、翁とオミナの面の「しなつひこ」と「しなつひめ」。中世になって山城の稲荷神社からお迎えしたのが、天狗は猿田彦、おかめは「おおみやひめ」、キツネは、「うかのみたまの神」よのこと。

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ネット検索したところ、志那都比古神は、風の神で、「シナ」とは「息の長い」という意味だそうで、なるほど、ここから「息神社」の名があるのだと納得した。

「大宮姫」は穀物神である「宇迦之御魂」に仕える巫女を神格化したものらしい。





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