なべさんの中国情報

今年はブログを再開します。

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この祭りも、以前から見たかったものの一つ。

「静岡県の祭ごよみ」によると、

「翁川の中・上流域を西浦(にしうれ)といい、水窪の町から翁川に沿って6kmほど上った辺りに、所能(しょのう)という小集落があり、ここの観音堂境内が田楽が行われる舞庭となる。
西浦田楽は旧暦1月18日に観音様の祭りに合わせ、夜を徹して盛大に行われる。
祭りには「能衆」と呼ばれる、この土地を開いた草分けといわれる家柄の人々が奉仕する。
田楽の起こりは、養老3年(719)に行基菩薩がこの地を訪れて、聖観音像とともに面を作ったことにあるという。ただし、その芸態は室町時代風である。
境内の中央に楽堂(囃子方の座)を仮設し、その側に北と南二つの大松明を作る。直径1m、長さ4mほどで、北松明は直立させ、南松明は横たえる。北松明には後に絡繰り(からくり)の船によって点火され、一晩中燃えさかる。
演目の構成は、地能(神へ捧げる舞)33番・はね能(芸能的な舞)12番・後払の獅子・鬼・鎮めとなっていて、向かいの山の峰から朝日が谷間を射すころに終了する。
地能は、田打ちに始まって、水口祭り、五月女と稲作の次第(田遊び)を順に演じ、それに麦撒きや養蚕の労作芸や田楽舞があって、三番叟で祝い納める。これは五穀豊穣、養蚕繁栄を予祝するものである。
はね能は、高砂・八島(屋島)・野々宮と能楽の演目が続く。地能は世阿弥以前の猿楽や田楽からなり、はね能は世阿弥以後の猿楽の能楽からなっている。」

今年の旧暦1月18日は、2月22日で、午前中に仕事を終えて、13時ごろ家を出発、15時ごろ西浦に到着。
長野県との県境に近く、かなりの山の中。

会場の観音堂近くの小学校校庭が臨時駐車場になっていたのでそこに留める。
駐車場から走ってきた国道152号が見下ろせる。



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観音堂はそこから歩いて10分程舗装道路を上ったところにある。

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境内では、夜に向けて準備の真っ最中で、どこかの大学の実習だろうか若者が大勢いる。

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仮設の楽堂もできている

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奥の院は、白山大権現と稲荷大明神

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石仏も並ぶ。

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山の斜面に何本か「幣束」が刺してある。

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田楽は21時から始まるとのことで、いったん車に戻ってひと眠りしてから、例によってお湯を沸かしてカップ麺とコーヒー。

場所取りもあるので19時半ごろ境内へ行く。

まだ見物の衆は少なく、皆、楽堂の向かって右側に陣取っていて、楽堂の正面はあいていて、今回は携帯用の腰掛ももってきていたのでそれに座って正面に陣取る。

21時に近づくにつれてわかったのは、田楽が始まると楽堂の左側に積まれた薪に火がつけられるので、近くにいるとかなり熱いらしい。まあ、始まってから熱ければ避難しようとそのまま陣取ったが、薪から5mほど離れていたので、熱くはなく、ちょうど暖かくて、いいところに陣取ったと思う。

楽堂のなかに演目の題目が掲げられていたので、その順番で演目を追っていったが、途中で、演目と題目がどのようになっているのかわからなくなったので、時系列で追っていく。

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21時ごろ、演者一行が松明を先頭に行列を作って、境内への石段を上ってきて、「庭上がり」し、楽堂の向かって左側の大松明に火を入れて地能が始まる。

●「庭ならし」と「御子舞」

始めに、「能衆」が謡い、次いで御子二人にそれぞれ大人が介添えして扇を振って四方に向かって舞う。保存会会長(能頭?)が舞い、もう一人同じ舞いを舞う。



●「地固め」と「もどき」

長い槍を持って舞う。もどきは注連縄を掛けている。



●「剣」と「もどき」

を持って舞う。もどきは注連縄を掛けている。



●「高足」

私が子供のころ遊んだ「ホッピング」のように跳ぶ。



●「高足」の「もどき」

「もどき」のほうが上手に跳ぶ。



●「猿の舞」

雄猿がひと舞いすると雌猿が登場して、滑稽問答。



●「ほた引」

「亥の子突き」のように木柱の「ほた」につないだ縄を引き地面を打つ。「ほた」とは、炉や竈ででたくたきぎ。



●「「舟渡し」

お舟で火を運び、大松明に点火。なかなか凝った趣向だ。



●「鶴の舞」

一人ずつ三人が舞う。



●「出体(でたい)童子」

花祭りの童子が冠ぶるのと同じ形の冠を着けて4人が舞う。その冠が「童子」を象徴しているのだろう。



●「麦つき」と「田打ち」

太鼓を突くようにしてたたき、詞章を唱える。
「田打ち」になると、麦つきに続いて太鼓を打つが、詞章が変わる。



●「水な口」

田の水口に立てる幣を滑稽なしぐさで奪う。



●「種まき」

詞章を唱えて四方に種を撒く。



●「よなぞう」

暴れ牛が登場。



●「鳥追い」

ササラを鳴らして鳥を追う。



●「殿舞」

刀、槍などの採り物を持って殿と従者が廻る。



●「早乙女」

なぜ「早乙女」なのかわからない。



●「山家早乙女」

「能衆」が謡う。「もどき」のように注連縄を肩から掛けて舞う。



●「種おり」

「てんてんぼうし」が背負われて登場。
「てんてんぼうし、めんこいぞう」と、煤払いのような束で見物人の頭をたたいていく。
私も叩いてもらい、無病息災。



2時になり、ここで1時間休憩。

車にもどるのもおっくうなので、売店でお酒の熱燗を買って飲み、3時まで時間をつぶす。

●「桑とり」、「糸引き」、「餅つき」

作業を象った演目



ここからがどの演目かわからなくなったが、「鼓」を持った演者が中心になって演目が進むので、「田楽舞」だろうか?





次に、6人の面を着けた人を中に松明を持った人が両側について、「そろりや、そろり」と詠いながら舞庭を廻る。
「民俗芸能辞典」によると、「地能の仏の舞は観音六面の面形であるが・・・・・」とあるので、これが「佛の舞」だろうか?


そして、4人が面を変えて同じ舞いを舞うが、これが「三番叟」だろうか?



ここから、「謡」が謡われるようになり、「高砂」という詞章も聞かれたので、ここが「高砂」と思われ、「はね能」はここからのようだ。



ここから物語のようになり、まずは弓で天狗退治。



次に、薙刀で天狗退治



そして、いくつか舞が続いた後、剣で天狗退治。



ここで、「山姥」か「さお姫」か、前掛けを着けているので、女性であることはわかるのだが。。。。



そしてはね能の最後の演目は、弁慶と牛若丸。



7時半頃、すべての演目が終わり、「しずめ」の儀式に入るが、谷側の見物人は皆、山側へ移動させられる。



そして「しずめ」。
鬼の面を持った人が「反閇(へんぱい)」を踏み、禰宜様(?)から「本国へ帰れぇぇぇ」と命じられ、退散する。



最後に、「火の王」の面を持った人が木の剣のような形のものを持ち、反閇を踏み、なにかまじないをし退場、その後、「水の王」の面を持って現れ、扇子で、やはりまじないをして退場。



8時ごろ、これにてすべて終了。

久々の徹夜だったが、面白く見物ができたので、疲れは感じなかった。

車でひと眠りしてから帰るつもりだったが、夜明け前から腹具合がわるく、グーグル検索したら、すぐ近くに公衆トイレがあることがわかり、直行、そのまま帰路に就いた。

しかし、1時間ほど走ると眠くなり、ちょうど道の駅があったのでそこでひと眠りして、12時ごろ帰宅した。










「静岡県の祭ごよみ」によると、毎年2月17日に、藤枝市瀬戸谷地区滝沢の八坂神社で「田遊び」が行われる、ということで、17日に見に行く予定にしていたが、藤沢市のHPでは、開催は2月中旬と、日にちが特定されていないので、何か胸騒ぎがして、15日の金曜日にHPにあった問い合わせ先に電話して確認すると、開催は16日土曜日とのこと。

本当に電話してよかった。

会場で聞いたところによると、2月の第二土曜日に変更になったそうだが、あとでカレンダーを見たら今年は第三土曜日で、多分、中旬の17日に近い土曜日が開催日であるようだが、念のため電話で確認していったほうがよさそうだ。

で、16日土曜日、午前中に仕事を終えて、13時ごろ出発。
国道1号を走り、15時ごろ滝沢に到着。

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会場の八坂神社は、瀬戸川上流の支流、滝沢川沿いに位置する。

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神社をひとわたり見て車に戻り、田遊びは18時半開始ということで、いったん車に戻り4時半ごろまでひと眠りしてから、いつものようのカップ麺とコーヒーで腹ごしらえをして、17時ごろ境内に戻ったが、境内には祭りの準備をしている人以外は、私しかいなかった。

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田遊びは、本殿前の注連縄で囲まれた「八丁敷」と呼ばれる斎庭で行われる。

腰をおろして休んでいると、祭りの準備をしている人が、「滝沢八坂神社の田遊び」の小冊子と藤枝市郷土博物館発行のパンフレットを手渡してくれたので、今回は、その情報をもとに進めていく。

滝沢の田遊びは、現在は19演目が奉納されています。農作業を模した田遊び本来の演目である「山田打」「田植」「孕五月女(はらみさおとめ)」「稲刈り」のほか、能・狂言系の要素を含んだ演目である「年頭」「耕作散田」、修験道系の要素を含んだ演目である「薙刀(なぎなた)」「白刃(しらは)」「九字(くじ)」などがあり多彩な芸能となっています。なかでも、山田打・田植・孕五月女などの演目は、田遊びの最も素朴な姿を伝えている点で非常に重要で、昭和53年に国から「記録保存の措置を講ずべき重要無形民俗文化財」にも選定された。

田遊びは、18時半、「薙刀」から始まったが、カメラマンも少なく、私は正面に腰をおろして見物できた。

演目01 薙刀(なぎなた)

田遊びの開始に先立って舞庭を清める舞。白装束にツノ鉢巻の男性二人が薙刀を持って舞い、跳ね・四股を踏む動作は田の悪霊を封じ込めるものとされている。



演目02 獅子

チーラッパの冠に白装束の道化(マネキ)が、二本の扇で獅子を招くようにして舞い、二人立ちの獅子がこれに合わせて舞う。田遊びでは、この獅子は祭神の身代わりとされ、舞台に神を迎える行為を象徴的に示す演目。



演目03 祝詞(のりと)

本殿の中央にご神体のリキヒョウ(大きな幣帛に鏡餅をつけたもの)が、薙刀を持った従者を従えて立ち、これに向かって神主役が座して祝詞を奏上する。



演目04 千万歳(せんまんざい)

千秋万歳を省略した呼び方で、本来は人の住む家を誉めたたえることにより、その家の安泰と住人の長寿を祝う正月の祝福芸能でした。



演目05 白刃(しらは)

男子四名が、抜身の太刀(白刃)を振り回しながら跳ね、腰をぶつけあって舞庭の四方をめぐりながら舞う。



演目06 筏(いかだ)

男四人が、静かに体を揺らしながら舞庭を廻り、詞章(筏の猿楽)を謡う。詞章は牛頭天王社殿を造営するために用材を求めて山に入り、聖なる材木を伐り出し、筏に組んで流す、という内容になっていて、能・狂言の源流である猿楽の影響をうかがわせる大変貴重な演目。



演目07 十六拍子(じゅうろくびょうし)

やや前かがみに扇を膝に当てるように八の字に動かして舞進み、退場時には後ろ向きに舞っていく。



08 山田打(やまだうち)

爺尉・太郎・次郎の親子三人が、餅で作った鍬を肩にかついで順番に登場。謡いながら鍬を振り下ろし田打ちの動作をする。



演目09 田植え

田遊びの中心をなす演目の一つで、大人たちが田植え歌を歌う中子供たちが舞い、手に持ったササラを稲の苗にみたてて田植えの動作をする。
最後に「田植えもどき」といって、花笠をかぶり両手に扇を持って、掛け声をあげながら舞庭を廻る。



演目10 麦つき

筏と同様の男三人による舞で、ゆっくりした動作で「麦つき」の詞章が謡われる。



演目11 孕五月女(はらみさおとめ)

孕五月女が子供を産み拾い上げられる所作があり、他の田遊びにはみられない原初的な姿をとどめる点で、滝沢の田遊びを最も特徴づける演目。

子供たち囲まれた中で白衣を頭から被ってうずくまる五月女(田植娘)が、田にみたてたゴザの上に赤子(タロッコ人形)を産み落とし、農夫が鍬で田打ちするうちに赤子を見つけて大喜びで取り上げる。これは農作に先立ち人が子を産むところを穀物の神霊に示すことにより、秋の豊作を祈る人々の願いが表現されたもの。

この祭りのクライマックスで、カメラを構える人たちも増えていた。



演目12 耕作散田(こうさくさんでん)

散田(荘園で請作人に請作させ地子をとる田地)からの取高について帳簿を作成する様子を模擬的に演ずるもので、全国的にも珍しい演目。後半では「金貸し」という薙刀を持った男の狂言的な一人芝居になる。



演目13 年頭(ねんとう)

お供をつれた太夫が、亭主に年頭の挨拶をする様子を狂言風に演じる。古くは「えびす」と称され、太夫が恵比寿の冠をかぶっていたといわれている。



演目14 稲刈り

青竹に餅をつけて鎌をかたどったものを右手に持ち、左手に稲穂の束を持って、稲刈りのしぐさをして舞う。この演目は近年復活されたもの。



演目15 白刃

演目05の白刃と同じだが、このときは、「白刃もどき」があるそうで、多分最後に一廻りしたのかどうか、覚えていない。
以前はこの演目の舞人は、その年に成人した若者に限られていたそうだ。

演目16 九字(くじ)

九字は、修験道や密教系の儀礼で、護身の秘呪として九個の文字を呪え、指で印を結び、切るもの。二本九字、組九字、日天九字、月天九字の順に九字を切り、最後に刀を抜いて舞い退場する。そのあとすぐ、「九字もどき」といって、九字の舞人が四股を踏む所作を加えて舞庭を一周する。



演目17 太平楽(たいへいらく)

男九人が左手に幣を持ち、抜刀した刀を持って輪になって、中央に向かって輪が小さくなったり大きくなったりしながら舞い、最後に薙刀を持った一人が登場して、舞庭の正面で薙刀を大きく二回まわして舞う。
現在は行われていない「鳥舞」とともに舞楽系の舞といわれている。



演目18 獅子

演目02の獅子と同じだが、今回は田遊びの最終演目を前にした「神しずめ」の意味を持つ。

ここの獅子は見物人の頭を噛むことはなく、逆に我々見物人が獅子の頭を撫でて無病息災を願う。
私の正面にもやってきたので、獅子の頭を撫でて、またまた無病息災。



演目19 薙刀

これも演目01と同じだが、今回は舞庭の「後払い」で、舞が終わると舞人は本殿に上がり、薙刀を神前に返納して、田遊びの演目がすべて終了する。




21時半ごろすべてが終了して、いろいろ変化に富んだ演目で面白く、全然眠くないので、この日は車中泊せずに、帰路についた。
2月10日は鳥羽の火祭りを見て、翌11日は、豊橋の鬼祭りを見に行った。

2月10日、鳥羽の火祭りを見て、21時ごろから11日午前2時ごろまで駐車場で車中泊。

目が覚めてとりあえず幸田の道の駅へ行ったが、駐車場は結構車がいっぱいで、多分皆様睡眠中であろうから、横で電気をつけてゴソゴソ仕事をするのも悪かろうと、トイレだけ行って、すぐに鬼祭りのある豊橋へ向かう。
途中、コンビニでサンドイッチと缶コーヒーを仕入れて腹ごしらえ。

祭りのある「安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)」のすぐ近くに豊橋公園があり、そこには大きな無料駐車場があり助かった。

4時前には駐車場に到着したが、まだほとんど駐車している車はなく、インターネットにつないで1時間ばかり一仕事してひと眠り。
7時ごろ目が覚めて、近くのトイレで用を足し、歯磨き・洗顔、車にもどってお湯を沸かしてカップ麺とインスタントコーヒー。

祭りは、8時半から「御日の出神楽」が始まるので、8時ごろ神社へ行って、とりあえず、境内を見て回る。

国道に面して、一の鳥居。

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参道を歩いて、二の鳥居。


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そして、拝殿と、その前にある「八角台」。



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まずは、社務所で「タンキリ飴」を購入(200円)。

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鬼祭の縁起物であるタンキリ飴は、食べると夏病みしないと言われているそうで、1年の12か月を表わす12粒入っているとのことだったが、1つは割れたらしく、13粒になっていた。

境内脇の建物に祭りの主役の、「赤鬼」の人形があった。

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祭りは10日が宵宮祭りで、11日が本祭り。

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8時半から、「御日の出神楽」が始まる。アナウンスによる説明によると、260年前から伝わるそうで、稚児が二人、東を向いて、右手に鈴、左手に幣(ぬさ)を持ち、左、右、左、さらに右に3回ずつ、合計12回まわる。



次の行事の「例祭」は、10時からということで、駐車場は近いので、とりあえず車に戻り、一仕事。
9時半頃境内に戻ると、拝殿前の色々な神事が行われる「八角台」の周りには、例祭の後行われる「厄除け飴まき」を目当てにに多くの人たちが集まっていてた。

わたしは、例祭の途中で舞われる「浦安の舞」をのぞき込める位置に陣取る。




浦安の舞は、Wikipediaによれば、
「1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞である。」

「浦安」とは、これもWikipediaによれば、『「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で心中の平穏を表す語であるとされる。また、『日本書紀』に「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」とあり、他の文献にも日本国の別称として「浦安国」とあることから、神祇の安寧慰撫と国の平穏無事が、題名である「浦安」の語に込められている。 』

例祭と飴まきが11時ごろ終わり、次は、11時50分から「子鬼」が入場ということで、それまで出店で「広島お好み焼き(500円)」、自動販売機で暖かいお茶を買って昼食とする。

食べているときに、タンキリ飴を配っている人が2人、子供たちに配っていたが、私も1袋いただいた。

境内をぶらついていると、一の鳥居のところに11時40分ごろ、小鬼とそれを支える集団を発見。



小鬼とその集団がが拝殿前に向かって走り始めると、飴とともに白い粉をまき散らして、ビデオを撮っていた私もふいを喰らって、全身粉まみれになった。無病息災。

この白い粉をまき散らすのがこの祭りの醍醐味で、突然ではあったが、楽しめた。

粉は、毛糸の帽子で払うと、きれいにとれた。

12時30分からまた神事があり、「浦安の舞」が舞われ、神楽殿では「五十鈴神楽」が舞われた。



「五十鈴神楽」では、神楽児が太陽と月を表わす金冠を頭に載せ、右手に鈴、左手に幣(ぬさ)を持ち、左、右、左に3回ずつまわる。

この後、また飴まきが行われ、ここには愛知県知事も参加していた。
知事は前日の鳥羽の火祭りにも来ていたので、祭りに顔を出すのも仕事の内なのだろう。

午後は、つぎから次へと行事が続き、どのポジションで観るのがいいのかもわからず、あちこちうろうろする。

13時をすぎたころ、八角台に神棚が置かれ、大きな鬼の面が安置され、午後の行事の準備がなされ、午後の神事・行事を見守る「黒鬼」が13時50分ごろ入場して、「御的の神事」が始まった。



アナウンスの説明によると、「神前で矢を射って、その年の農作物の豊作を祈り、夏病み退散を祈願するもので、乾地と福地の若者が2本ずつ3回、1年12か月を意味する合計12本の矢を射って、1年の平安無事を祈るり、12本目の矢が射られると、若者たちが御的を奪い合い、その的は自宅の玄関にに魔除け・厄除けのお守りとしてとりつけられる。」

御的の争奪戦は、今回は談合されていたようで、争うことなく一人の若者が手にした。

14時20分ごろ、御的の神事が終わるとすぐにこの祭りの最大の主役の赤鬼が入場してきて、八角台の神様を拝すると、天狗との「からかい」が始まる。



「からかい」は、荒ぶる神の素戔嗚尊を表わす「赤鬼」と、武神猿田彦を表わす「天狗」との戦いだそうで、この戦いに敗れた赤鬼は改心して、世の平安を念じつつたんきり飴をまちながら町内を巡回する。

赤鬼の「たかあしどり(高足取り?)」という歩き方が独特で、足を跳ね上げて飛ぶように進む。

赤鬼と天狗の戦いは、激しいものではなく、かなり形式化していて、長い参道を赤鬼が向こうで待つ天狗のところへ行き、二人で八角台の神前まで戻ってきて、もう一度二人で行って帰ってきて、赤鬼が退散するのが15時40分ごろだったから、1時間以上そののんびりしたやり取りが続いた。

赤鬼が退散すると、天狗が意気揚々と神前に拝して、八角台に座ると二人の「司天師(してんし)」が6人の稚児とともに八角台の壇上に上る。

「司天」とは、天文博士ということで、饅頭笠をかぶり、その傘には、雲龍に太陽と月が描かれ、内側には28の星座がえがかれているそうで、天文を司ることから、農耕との関係がうかがわれるそうだ。

そして司天師と稚児、天狗の神楽が奉納される。



そして16時半ごろ、最後の神事である「御玉引の年占」が始まる。



高いところを表わす「乾地」と低いところを表わす「福地」との玉引き相撲で、3回勝負。今年は「福地」の2勝1敗で「福地」が勝ち、雨が少なく、低い土地の農作物が豊かになるそうだ。

この藁でできた「玉」は私の横で話していた、祭り関係者と子供たちの会話によると、「きんたま」を象ったものであるようだ。

そして17時ごろ、天狗を先頭に黒鬼や役の人たちが「談合宮」へ御神幸に出発した。

黒鬼が二の鳥居を出るときに、また飴と供物が撒かれたので、最後なので、せっかくだからと私も参戦して供物を拾った。
子供たちの中にはスーパーのレジ袋いっぱいの戦果の子たちもいたが、私はおもわずよろけてこれだけ。

供物の中味は、あられと殻付き落花生。

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赤鬼の町内の飴まき巡行は23時ごろまで続くそうだが、私はここまでで、美しい絵馬(2000円)を記念に買ってこの日も一日堪能して、帰路についた。

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2月は旧正月のある月で、伝統的な祭りも方々で行われていて我々見物人も忙しい。
2月10、11日は以前から見たかった愛知県の西尾で行われる「鳥羽の火祭り」と豊橋の「鬼祭り」をはしごした。

まずは、10日の「鳥羽の火祭り」。
祭りの詳細は、鳥羽神明社のHPに詳しく説明されている

この祭りの起源は、西尾市観光協会のパンフレットによると、

「鳥羽の火祭りは、約1200年前から伝えられ、平成16年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
 この祭りのシンボルである『すずみ』は、竹や茅などで作られ高さ5メートル、重さ2トンで、中には『神木』と1年を表わす『十二縄』が納められ、祭りの前日に氏子達の手によって2基作られます。
 祭り当日は、火打石の小さな炎を次第に大きくして『すずみ』に点火されます。神主の合図で『福地(ふくじ)』と『乾地(かんじ)』のふたつの地区に分かれた奉仕者が神男を中心にして燃え上がる炎の中に勇敢に飛び込み、神木と十二縄を競って取り出し、神前に供えます。
 奉仕者は、特別な祭りの装束をまとい、すずみをゆらすその姿・形から『ネコ』と呼ばれています
 『すずみ』の燃え具合と『福地』『乾地』の勝敗によって、その年の天候、豊凶を占う神事です。」

9時ごろ家を出て、10時半ごろ祭りの行われる「鳥羽神明社」に到着。
神社の横の公園グランドが駐車場になっている。

そのグランドから海を臨むが、「禊」の行われる海岸まで結構な距離がある。

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祭り会場へ行くと、夜の祭りで写真を撮るための場所取りで、すでに一番前の列はカメラマンたちが占領していた。

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拝殿脇に、点火に使われる「ゆすり棒」が祀られていた。

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境内の広場に、巨大な「すずみ」がそびえている。

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私は、車に戻り、インターネットの仕事をしながら、境内の様子をみに何度も行ったり来たり。
お昼は、出店がまだ開いていなかったので、お湯を沸かしてカップ麺とコーヒー。

15時から「禊」の一隊が神社から海へ向かうので、私も14時半ごろ境内へ戻る。

天気は良いが、冷たく強い北西風が吹いていて、祭りの男たちは大変だあ、と思ったが、相当酒を飲んでいるようで、ワッショイワッショイと気合を入れていた。

海は干潟の干潮で、水のある波打ち際まで100m以上はあり、寒風の中たいへんだ。



16時ごろ、禊の一隊は神社に戻り、私も車に戻って一仕事。

19時半ごろから神事が始まり、20時ごろ「すずみ」に点火される、ということで、17時半ごろ会場に戻り、「名古屋名物きしめん」の出店をみつけたので一杯(500円)。その目の前に地酒を売るテントも出ていて、この日は車中泊するので熱燗を一杯(0.8合300円)。

まだ観衆のあちこちに隙間があるので、どこで見ようかとうろうろして、まずまずのポジションを確保した。
ちょうど大きな樹の下で根元に高さ20cmほどの石もあって、その上で一段高く、樹に持たれて見物できた。

20時前、提灯、「ゆすり棒」などの一行が、「すずみ」の前に入場して、場内の伝統が消され、20時ごろすずみに点火され、30分ほどで火祭りは終了した。



鳥羽神社のHPによれば、

「祭りは、「すずみ」の燃え具合によって、一年の天候や豊凶を占うものです。煙が多ければ、その年は雨が多く、竹の爆ぜる音が激しければ、雷が多いといわれ、また「福地」が勝つと豊作であるといわれている。天候を占う目安として、「一の棒」が入った時が6月頃、「二の棒」が入った時が9月頃、「三の棒」が入った時が12月頃とされています。燃え残りの竹で箸を作れば、歯の病にかからず、また、これを養蚕に用いれば豊作になるなどの言い伝えがあります。」

「福地」と「乾地」のどちらが勝ったのかはわからなかったが、「煙は少なかった」ので、今年は雨が少ないようだ。

私は駐車場に戻り、まだ21時前だったが翌日に供えて寝袋にくるまって寝る。




「静岡県の祭ごよみ」によると、毎年2月8日に焼津市の関方(せきがた)で「山の神祭り」が行われるということで、見に行くことにした。

祭りは、10時ごろから始まるということで、国道1号を走るので、渋滞する前にと、5時半ごろ家を出発、7時ごろ関方に到着。

道路脇に山の神祭りの掲示板を見つけたので車を留め、写真を撮っていると、近くの家からおばさまが出てきたので、祭りがあることを確認して、駐車できる場所を教えてもらった。

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おばさまによると、準備をする「宿」には早い人は8時くらいからやってきて、9時ごろから本格的に藁をなって「竜神様」を作り始めとのこと。

2月8日は例年好天に恵まれ温かな日和に恵まれるそうだが、この日も風もなくいい日和であった。

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駐車したあたりは梅や蠟梅が咲いている。

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私は、車の中でインターネットの仕事をして、9時前に準備している「宿」へ行く。

祭りの次第の張り紙が貼られ、「永田壽」さんが記した祭りについてまとめたパンフレットも配られたので、詳細がわかる。

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その「永田壽」さんのパンフレットによると、

「祭りの中心となるのは竜神様「蛇体」作りが全員により先ず御神酒を頂き乾杯をして始める。若い衆が中心になり中老の指示指導の下に作られる頭部は直径三十糎位眼玉は『ダイダイ』みかん、舌は葉蘭、ヒゲは縄に針金を巻きピンと立てる。背中に鱗が立つ様にし左縄に撚って八米〜十米位に仕上げる、30分程で出来上がると此の竜を太い青竹を十字に組んだ輿の上に「トグロ」を巻いて乗せる、中々見事の蛇体竜神さんの誕生だ、此れに小さな幟を立て完成する。」

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「三番鉦(二番鉦?)により十時半頃に行列を作って宿の家より大幟を先頭に竜神を中心に御供物、御幣、弓矢と隊伍を整えて出掛ける。」

「行列が宿を出発すると大きな声で『オンベイマイローマイロー山の神の勧進何でも壱升十六文』と掛け声勇ましく繰り返し繰り返し唱え奥の院に向かって登って行く。」

数十人の小学校3年生の一団も加わり、掛け声は、彼らが担当。

「奥の院山の神の鎮座する処は高草山中腹標高二百米位の『金ケ久保(カナケクボ)』の急傾斜の岩場のガレ場で神聖な処とし『普段は誰も立ち入らぬ処で祭り以外は誰一人立ち入る事はない処』行列は三十分程(この日は休憩もいれて1時間程)で到着、注連縄が張られ竜神さんは輿から降ろされ巨岩の岩場に頭を谷下の拝所に向かい這わせて安置祭られる。」

舗装道路を登って行くと、焼津の市街が一望できる。

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舗装道路を30分程登り、しばらく休憩してから脇道のかなり険しい山道を登って、竜神様を祭る磐座に到着。

注連縄が張られ、竜神様が磐座に安置される。

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「御酒、御供物をお供えして全員で参拝してから矢を射る準備に掛かる、先ず大弓が狭い祭場前に立てられるとその前に御幣を二本交差して立てる、その上に矢を乗せると弦を引きしぼる射手と参加者全員で『ヨイショ』の大きな掛け声とともに矢を拝所めがけて谷下に向かって放たれる(実際は投げる)」




「大弓小弓で三回づつ繰り返し矢が射られる(投げられる)、この所作が祭りの大事な意味を持っている様だ!此の矢に乗って山の神が田に降りて来ると云われて居るが此の地区関方に云い伝えはない、奥の院での行事が終わり下の拝所に向かって下山する」

拝所前では、「直会」があり、竹筒の燗酒や料理がふるまわれるのだが、車の運転があるので我慢して下山、焼津といえば「お魚センター」、ちょうど昼時で、すぐ近くなので昼飯はお魚センターで「マグロ三色丼(ビンチョウマグロのトロ、赤身、ネギトロの三色1250円)」にした。カニのみそ汁はおかわり放題で、私は2杯。

ついでに「金目鯛の干物(半身3切れ1000円)」と「マグロのカマ(大きなカマが4個入りで500円)」を購入。

金目の干物は、たまたま、旨そうなので購入したが、袋の中にチラシが入っていて、その店は「名代手造りひもの専門店」で、その日開いた、ケミカル添加物は使用していない完全オーガニックであり、独自の方法で塩糀・醤油糀につけて干している、ということで、焼いて食べたが、なかなか旨い。

カマは塩焼きと煮つけでまずまず。

帰りは道を変えて、国道150号を走り、御前崎の道の駅で野菜をいろいろ仕入れて、16時ごろ帰着。

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