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ガイドブック「遠江のひよんどりとおくない」によると、毎年2月第一日曜に、愛知県新城市七郷一色の黒沢の阿弥陀堂で「黒沢田楽」が行われる、ということで、2月3日に行ってみた。
愛知県ではあるが、静岡県との境で、「ひよんどり」が行われる「寺野」の北にあたり、静岡県の「ひよんどりとおくない」と同じ文化圏にあるようだ。
黒沢は、かなりの山奥にあり、途中から山道は一車線で対向車がくるとやっかいだなと思ったが、行き返りとも対向車とは行きかうこともなくすんだ。
山の斜面に3軒の家があったが、ひっそりと祭りの準備をしている雰囲気がない。
とりあえず、「阿弥陀堂」を探すと、新城市指定文化財 萩野家住宅」の説明板があり、その奥に、立派な茅葺屋根の民家があった。
車に戻って、インスタントコーヒーを飲んで一息いれて、もう一度、萩野家へ行ってみると、ちょうどおばあさまが雨戸をあけているので、声をかけて聞いてみると、舞手の三人は病気などで、田楽は昨年から休止になっているとのこと。
阿弥陀堂はその家の裏手の山の中腹にあり、歩いて5分も登れば行けるということを教えてもらい、見に行った。
途中、2か所に丸い注連縄がかけられていた。
お地蔵様は、小さな磐座の中に納められていて「世の中地蔵」、社の一つは、氏神様の「萩野大明神」と表札がでていた。
堂の近くを散策していると、萩野家のおじいさまが供え物を持って阿弥陀堂にやってきて堂の鍵を開けたので、私も中を拝見した。
10時から集落の人が集まってお参りをする、とのことだったが、お邪魔してももうしわけないので、9時半ごろ、私は帰路についた。
お二人によれば、皆年を取り、病気でもあり、黒沢田楽は「休止」から復活するのは難しい、とのことで、ここでもまた伝統芸能が消えていくんだなあ、と残念であった。
これまで数軒しかない村で、こうした田楽を続けてきたことは大変なご苦労であったと思う。
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2013年12月27日から2014年2月26日まで侗族の村を訪ねて、貴州省の「肇興(つぁおしん)」と、広西省の「三江(さんじゃん)」を拠点にして旅をした。
その紀行は、この書庫の「見る」の項で、2014年1月10日の三江の「平流」で途切れていたが、この旅の主たる目的は、春節前後に行われる侗族の祭りを見ることで、写真・ビデオもたくさん撮ってきたので、また折にふれて紹介していこうと思う。
で、昨日は旧暦の1月1日の「春節」で、2014年は、1月31日が「春節」だった。
この時は、三江、黎平(りぃぴん)を周って、1月21日に肇興に戻り、春節を迎えた。
30日が「除夕」で、日中は、家の門口に貼る「対聯(といれん)」の準備をしているのを見つける。
村のメインストリートでは、爆竹・花火を売る店が並ぶ。
この日、泊まっていた旅館の家族と一緒に昼食をごちそうになり、「丸餅」も焼いてくれた。
夜は、「ちゃんか」が来るよ、と聞いていたので、「唱歌」であろうから、合唱好きの人たちだから、歌を歌う一団が周ってくるとかと思っていたら、日が暮れると、「うぇい、うぇい、うぇい」と男たちの一団が大声を出している。
「うぇい」というのは電話で「もしもし」というときの「喂」であろう、呼びかけの声だと思う。
これらの一団は、肇興の5地区それぞれであるようで、それぞれが商店、食堂など、商売しているところを周って、ご祝儀をもらっている。
宿のおばさんに聞くと、これは「順利唱歌」といういうそうだから、メガホンを持ったリーダーが「なんとか、なんとか、なんとかだあ」と読み上げているのは、縁起の良い言葉を並べているのだろう。
日本でも三河万歳など、お正月に門付けで家々を周ってご祝儀をもらうのと同じだな、と思う。
私の泊まっていた旅館にもやってきた。
その一団について周っていると、鼓楼に女たちが集まって歌を歌っているのに出会った。
侗族は、「大歌」と言って、合唱が好きな民族で有名だ。
夜も更けてくると、「順利唱歌」の一団もいなくなり、静かになって、私も旅館に戻ったが、年が明けると一斉に爆竹と花火が猛烈に鳴り響いたので私もメインストリートに飛び出した。
爆竹と花火の大騒ぎは30分ほど続いて、静かになり、わたしも宿に戻って寝る。 |
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今日は立春。
妙に暖かく、強い風が吹いて、「春一番」か、とも思われたが、ここ浜松は、南風ではなく、西風で「春一番」とは認定されなかった。
「よらっせ」へまた寄ってみると、座布団のような野菜を売っていた。
ネット検索してみると、「旬の食材百科」というHPが見つかり、
「ターサイ(搨菜)は中国読みではターツァイと呼ばれ、中国の華中が原産と言われている中国野菜のひとつ。ハクサイ(白菜)やチンゲンサイ(青梗菜)の仲間で、チンゲンサイと同じ不結球タイプになります。地面を這うように広がるところから「押しつぶされた」といった意味の名前がついたそうです。」
「冬が旬。霜が降りると甘みがまし、美味しくなります。旬の時期は12月から2月頃となります。」
ここ静岡県は2008年のデータで、505トンの生産で、全国1位、53%を生産しているそうだ。
「よらっせ」へ寄る前に、いつも行くスーパーで、宮城県産の「真鱈」の切り身をべらぼうに安く売っていたので、鍋で食べようと購入したので、「ター菜」も一緒にちょうどよかった。
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以前から奥三河の「花祭り」を見てみたいと思っていて、祭りは24時間前後にもおよんで催されるので、なかなか見に行く踏ん切りがつかないでいたが、やっと時間もとれるようになってきたので、昨年11月、思い切って見に行くことにした。
とりあえず、「東栄町の花祭り」というHPを見ると、11地区で行われていて、直近の祭りは、2018年11月10日(土曜日)〜11日(日曜日)の「御園地区」の祭りだったので、まずはそこへ行くことにした。
花祭りとは、HPによると、
「「テーホヘ テホヘ」と夜を徹して繰り広げられる花祭は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて、熊野の山伏や加賀白山の聖によってこの地に伝えられたと言われています。
「民俗芸能辞典」によると、
「神社(近年は公民館の例も)または民家の土間を舞処(まいど)とよび、中央に竈(かまど)を据えて大釜を掛け、湯をわかす。天井には湯蓋を吊り、四方にさまざまの切紙を飾り付ける。諸国の神々をここに集めて湯を献上し、その息吹のかかった霊湯を参詣者があびることで生命の復活をとげようとする湯立(ゆたて)が儀礼の根幹で、はじめに神の降臨をうながす祭事や祓い清めの歌舞があり、次いで湯桶・盆・扇・鈴・刀などの採り物を次々に取り替えながら激しく舞踏する花の舞・三つ舞・四つ舞などの青少年の舞や、翁・巫女・塩吹き・鬼などの仮面をつけた神舞が徹宵して演じられる。翁と禰宜の問答やヘンベ(反閇【へんぱい】のこと)と称する鬼の足踏みなど芸能史的に注目すべき演出が随所にみられ、また仮面を神聖視してその舞に悪霊鎮送の呪術的効果を期待する心意がいまも生きているなど民俗的にも注目される。」
鈴木正崇著「熊野と神楽」によると、
「三信遠の湯立神楽には、伊勢の両部神道の影響もあるが、地域への定着に際しての実践では熊野の影響が大きい。天龍川中流域に大規模な湯立神楽が集中する理由は、熊野・伊勢・諏訪を結ぶ修行者と商人の道による交流が挙げられる。」
「基本的に湯立は火と水の信仰を根底に持つ。・・・・・・火と水を同時に統御する特別の力を誇示する。」
なるほど、「湯」とは、「火のパワー」と「水のパワー」の習合した強力なパワーの存在なのだと知る。
さて、11月10日、「御園地区花祭行事次第」によると、「舞開始」は18時から、ということで13時半ごろ家を出て、少し遠回りになるが友人のところへ寄って、「これから東栄町の花祭りを見に行くから、行方不明になったら、東栄町だから」と伝えて、御園に向かう。
御園地区は東栄町の中心からずいぶん山道を登ったところにあり、16時ごろ到着。
そこで、記念品の絵皿と食券を受け取る。
会場は、眺めのいい「御園集会場」で、湯釜の前で、禰宜様が二人お祓いをしていたので、行事内容の7番、「釜祓い」、もしくは、8番の「湯立て」から見ることになったようだ。
写真は、「ざぜち」とよばれる切り紙。
18時までベンチに座って、隣で休んでいた花祭り見物の常連のカメラマンと雑談をして、「榊鬼が焚火の火を掻き揚げるのが最大の見どころであること」、「すりこぎ、しゃもじでは、顔に飯やみそを塗られる」、「湯ばやしではしっかり湯をかけられるのでカッパを着たほうがよい」という情報を得た。
18時を過ぎて、食事に行く。
野菜の煮しめと漬物、みそ汁、ご飯。そして目の前にどぉんと大きな日本酒の徳利が置かれた。
日本酒は1合飲んできたばかりだ、と思ったが、お酒の好きな私にとってはうれしい。
とはいえ、もう「ばちの舞」が始まっているので、ぐい飲み2杯で我慢してささっと食事をして舞処へ戻る。
この日は久々の祭り見物で、カメラはここから故障してしまうし、ビデオは、古いものと、新しく買った防水のものとで撮ったが、古いもので撮った前半は操作ミスで消してしまった。
一番の見ものの「榊鬼」は、深夜2時ごろ登場ということで、19時半ごろから車に戻ってひと眠りしたため、始めの鬼の「山見鬼」を見そびれてしまい、0時過ぎに舞処に戻ると、子供たちの「花の舞」の最中であった。
東栄町の花祭のHPから、「流れと舞の種類」を参考に進めると、
●花の舞
「子供の初舞台となる舞は花の舞で、早い子は5歳くらいで祭りに参加し始めます。花の舞は盆に始まり、湯桶肩と成長に合わせて持ち物を替えて舞います。花の舞を舞い終わると少年の仲間入りをして、三ツ舞へと進んで行きます。」
どの踊りも基本的に手に持つものを変えて、同じ所作の踊りが繰り返されるので、1、2組を見てからまた車に戻って休むことを繰り返し、4時半ごろやっと「榊鬼」が登場した。
●榊鬼の舞 「鬼の中でも最も重要とされる鬼で、反閇を踏み、大地に新しい生命力や活力を吹き込み、自然の恵みや、五穀豊穣をもたらす鬼といわれています。役鬼に伴う鬼として何人かの鬼が舞庭に出てきますが、これを伴鬼といいます。」
ここ、御園の榊鬼は、根の付いた榊を持つのが特徴だそうで、途中で鉞に持ち替える。
鬼が焚火を掻き揚げるのが見どころと聞いていたので、そろそろかな、というときに外の焚火のところへ行って鬼が来るのを待ち構えた。
鬼は横に焚火を掻き揚げたので、私にいろいろ教えてくれたカメラマンはもろに火の粉を浴びて、上着の何箇所かに穴があいてしまったと、後で見せてくれた。
●火の禰宜〜翁の舞 榊鬼が退場すると、面を着けた「翁(火のねぎ)」が登場して、「禰宜さま」と漫才調の問答をする。そして「すりこぎ(みそぬり)」と「しゃもじ(めしぬり)」が登場、人踊りすると、我々見物人の顔に味噌とめしを塗りにくるので、見物人は逃げ惑う。私は「めしぬり」に塗ってもらい、無病息災。
そんななか、「おさんど(お多福)」、「みこ」も登場して、舞処は混沌とした雰囲気。最後に「翁」が登場してひとまず落ち着く。
●四つ舞 「青年4人が舞うもので、時間も長く複雑な所作が含まれており、強い体力と洗練された技術が必要とされます。扇・ヤチ・剣の採り物がある。」
この舞は長いので、車へもどって一休みして、湯を沸かし、カップ麺とコーヒーで朝食とする。 ●湯ばやしの舞
「この舞は最も軽快なテンポの舞で、少年4人が藁を束ねて作ったタワシ(湯たぶさとも言う)を持って舞い、舞の終盤、釜の湯を所構わずに振り掛けます。そのために舞庭も見物人もビタビタに濡れますが、この湯は「生まれ清まりの産湯」ともいわれ、この湯を浴びると病にかからないと、村人に歓迎されています。」
わたしは、カッパを着たほうが良いと聞いていて、幸い車にカッパの上着を積んでいたので、それを着てビデオを撮ったが、たっぷりお湯をかけられ、ズボンはかなり濡れた。無病息災。
●朝鬼の舞 「舞の最後を締めくくるように、朝方に登場することが多かったことから朝鬼とも呼ばれます。」
●獅子の舞 「釜祓いの獅子、清めの獅子とも言われ、花祭りの最後を飾る舞。」
獅子舞の定番で無病息災を願う子供たちの頭を噛んでいた。
舞が済んだ後、「びゃっけ」を降ろす神事の「ひいな下ろし」を途中まで見て、帰途に就いた。
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昨日(1月29日)までは、大寒の次候「水沢腹く堅し(みずさわあつくかたし)」。
家の庭の池でも27日は氷が張った。
家の近くに地元の野菜や水産物を売っている「よらっせ」があって、週に2回ほど買い出しにいっているが、昨日は「フキノトウ」を見つけた。
天ぷらで食べようと、ついでに舞坂港に揚る深海魚の「メヒカリ」と新物の「生青のり」(190円)も購入。
メヒカリは、1年中店頭に並ぶが、この時期のものはサイズがおおきい。
夜は、フキノトウの天ぷら、メヒカリのから揚げ、いつもはワサビ醤油をちょっとたらして食べる青のりもかき揚げににして、イモ焼酎をともにしていただいた。
フキノトウの独特の風味を存分に味わい、メヒカリも美味しい。
生青のりのかき揚げは、初めて試みてみたが、期待通りの良い風味でおいしかった。
メヒカリは、水深200〜300mあたりに生息していて、この時期、冬〜春が旬だそうだ。
家の庭でも2015年、2016年とこの時期、立春の頃にフキノトウが顔をだしていたが、その後出てこない。 今年も蕗が生え出ているところを見ているが、まただめなようだ。
写真は、2016年1月14日に顔を出したフキノトウ。
一つだけ顔を出したので、食べずにおいて、そのまま生長するとどんな姿になるだろうかと観察した。 写真は2月23日に撮ったもの。
なるほど、「蕗の塔」だな、と思った。 「蕗の薹」の「薹」とは、漢和辞典によると、「野菜類の花をつける茎の伸び出たもの」だそうだ。
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