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秋葉神社の管粥(くだがゆ)神事は、毎年1月28日に浜松市中区三組町の「秋葉神社」で16時ごろから行われ、この日は、秋葉神社の大祭で、正月飾りなどを焼いてもらうために、多くの人々で賑わっていた。
HP、「はままつおまつり暦」によると、
「農作物の豊凶を占う神事 で、
その方法は、本殿前の参道の道中に一週間ほど前にオクドを作り、そのまわりに青竹を4本立てて注連縄(しめなわ)で囲います。当日の朝からオクドの2つの釜に五穀(米・麦・粟・稷・豆)を少し入れて煮ておきます。 16時頃になって、一週間前から精神潔斎をした神官6人(この日は4人だった)がオクドのお祓いをしてから、五穀を入れた5枚の皿を2組、三宝に乗せて神殿から運び(お祓いの前から置かれていた)、沸騰している2つの釜に1組ずつ入れます。それから長さ10センチ、直径1センチほどの竹筒を5本束ねて釜に入れ、穴のあいた柄杓で3回かき回します。15分ほど煮込んでから竹筒の束を柄杓で探り出し、すぐ曲物に入れ、蓋をして神殿に運び、そこで宮司が豊凶を占います。判定は秘事であるので宮司にしかわかりません。 占いの結果は春作七分四厘、夏作七分三厘、秋作七分四厘というように、穀物別でなく農作物全体を季節別に判定して、本殿前の高札と手水舎に発表します。大体七分作になることが良いとされています。この神事終了後もオクドの火は絶やさず、夜行われる焼納祭の火種として用いられますが、オクドは翌日取り壊してしまいます。」 起源は勧請した時に遡るといわれていますが、火伏せ信仰の秋葉さんにも、農業神的な面があることがわかります。」 拝殿前に竈がしつらえてあり、大きな釡で湯が沸かされている。
とりあえず参拝。 竈のすぐそばで「幸運の小槌」を売っていたので、私も1つ買う(500円)。
どれか一つを選ぶのかと思ったら、小槌の中に、すべての、恵比寿様、大黒様、さいころ、かえる、ヒョウタン6個をいれてくれる。 |
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町内の掲示板の前を通りかかって「雄踏歌舞伎」のポスターを見つけ、1月20日(毎年1月の第三日曜日)に雄踏の文化センターで行われるとのことで、地元でこんな催し物があるとは知らず、早速観にいった。
「歌舞伎は、江戸から昭和にかけて庶民の人気の娯楽でした。村人が役者になって神社の祭礼などで上演することもあり、浜名湖畔地方では「万人講(まんにんこう)」と呼ばれていました。村祭りの余興として遠州や三河の歌舞伎一座を招いたところ、この一座に熱をあげ、巡業に加わって芝居を教わり、自ら演じてみようとするものが出てきました。そして、その人たちが大勢の村人を集めて「講(神仏をまつり、または参詣するために組織する団体)」を作り、芝居を神社に奉納したところから「万人講」と呼ばれるようになったといわれています。浜名湖周辺の地域へ巡業し、神社等とは別に独立して公演が行われるようになったようです。」
「戦後も続いていた万人講ですが、昭和27年(1952)を最後に途絶え、やがて小屋も取り壊されてしまいました。こうして歴史を閉じたかに見えましたが、平成元年(1989)の雄踏文化センター完成をきっかけに平成2年(1990)に37年ぶりに復活しました。」
今年は復活してから30回目にあたる。
「万人講」については、女も子供も誰でも参加できる、ということで、そう呼ばれたそうだ。
文化センターへ入ると、以前あったのだろうか、「西遠劇場」さんへ商店から送られた幕が掲げてあった。
また、パンフレットももらったので、それらを参考に進めると、
「寿式三番叟」
一番最初に舞台を清めるという意味合いと、一日の公演舞台の安全を祈る、という意味がある。
地芝居の公演では必ず最初に行われるが、場所によってすべてその「振り」が全部違うのだそうだ。
ここ雄踏では「千歳」が踊るのが特徴であるそうだ。
写真、右から、「翁」、「千歳」、「三番叟」。
「舞台を清める」ということでは、民俗芸能辞典をみていてたまたま見つけたが、奥三河の花祭りで鬼が「反閇(へんべ)」を踏む、と説明されていて、「へんべ」というのは訛ったもので、正しくは「へんぱい」と読むそうだが、本来、土地の精霊、あるいは悪霊を踏み押さえ込む精神で行われる動作で、三番叟は、「舞う」のではなく「三番叟を踏む」とよばれているのも、この「反閇を踏む」動作に由来しているとのこと。
子供たちの「和太鼓」があり、その後の休憩で私は昼食。
「本朝廿四孝」
武田家と長尾家の話で、安田先生の解説によると、勝頼をめぐる許嫁の「八重垣姫」と斎藤道三の娘「濡衣」との長い物語の一場面。 「身替座禅」
大名が馴染みの花子のところへ行くのに奥方が怖いので、一計を案じて、持仏堂に籠り座禅をの行をすると言って、身代わりに太郎冠者に衾を被せ花子のもとへ行くが、奥方にばれてしまい、奥方は太郎冠者の代わりに衾を被り殿の帰りを待ち、殿はいい気持ちで千鳥足で帰ってきて、花子との楽しい逢瀬の様子を語って、さて自分がまた座禅姿になろうと衾をとると、そこには奥方が。 「弁天娘女男白浪」 有名な「白浪五人男」。「白浪」とは、「泥棒」という意味だそうだ。 「興話情浮名横櫛」
これも有名な「お富さん」。 この演目は25年ぶりに演じられるが、「与三郎」は、25年前と同じ人が演じているそうだ。
「お富さん」は、なかなか色っぽい。
最後に勢ぞろいしてご挨拶。 地歌舞伎といえば、原田芳雄の遺作「大鹿村騒動記」を思い出すが、思っていたよりも本格的な歌舞伎芝居なので感心した。 |
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ネット検索で、「浜松お祭り暦」というHPを見つけ、私の家の近くで「保泉寺の火祭」という祭りのあることを知った。
毎年、1月18日に行われるということで、早速見に行くことにした。
保泉寺は、西区篠原の住宅街にあり、車が駐車できるかどうかわからないので、前日に下見に行き、近くのセレモニーホールの広い駐車場が使えるとのことで安心。
北側本堂には、お神輿が置かれている。
本堂から、行者たちがでてきて、この火祭りの特徴である、紙か布かよくわからないが、篝火の熱気で上昇させる「凧」のようなものの準備をし、一人の行者がその「凧」を丸めて抱えて火がつけられるまで30分ほど薪の上でしゃがんでまっている。お坊様と行者一行が西側の堂へ移動して30分ほど読経やお祓いがあり、20時半ごろ一行は外に出てきて、火がつけられる。
30分のあの姿勢は結構つらいんじゃないかと思う。
薪に火がつけられると、「凧」は舞い上がるが、他では見たことがない、なかなか壮観なものであった。
その凧が落ちてくると、参観者がそれに群がり引きちぎって奪いあっていたが、多分それは厄除けになるのだろう。
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「川名のひよんどり」は毎年1月4日に浜松市北区引佐町川名の奈良時代の創建という伝承のある福満寺八日堂で行われ、3日の「寺野のひよんどり」に続けて見に行った。
以前は八日堂という名の通り、1月8日に行われていたが、保存会会長の解説によると、国指定重要無形文化財の指定を受けた際、選定委員の三浦朱門氏がここを訪れたいが8日は都合が悪く4日なら来ることができる、ということで4日に変更になったのだそうだ。
川名は山に囲まれた盆地の浜名湖に注ぐ都田川の支流、川名川の周りに開けた盆地にある村で、私の家からは車で40〜50分ほどのところ。
堂の前の広場が駐車場になっている。
寺のすぐ前に、お供えのお米を作る「御神田」だあった。
八日堂での行事は18時ごろから始まるが、それに先立って、14時から六所神社で、「シシウチ」と「的打ち」が行われるが、私は用事があって、これは見ることができなくて、17時ごろ八日堂に到着して、「練り、水垢離」から見物した。
ガイドブック、「遠江のひよんどりとおくない」を参考にして進めると、
ご本尊の「薬師如来」には鏡餅と「せんべい」と呼ばれる丸餅が供えられ、「ツモノケメシ」というご飯を桐材の型に詰めて作った高盛飯が供えられている。
「ツモノケメシ」は本尊への最も大切な供え物であり、その出来、不出来がその年の吉凶を占うため、大禰宜、小禰宜は、その盛り付けに気を配っているそうだ。 祭りを前に、堂内で「ひよんどり練り歌」が歌われ、裸の若衆をアンコにして練りが行われる。 そして練りながら、寺の前を流れる川名川へ行き、水垢離をする。
水で体を清めるのを、神道では「禊(みそぎ)」、仏教では「水垢離(みずごり)」というのだそうだ。
水垢離が終わると、若衆は、我々観衆にも水をかける。
私も水をかけられ「無病息災」。
若衆が本堂へ戻ると、「タイトボシとヒドリ」が始まる。 身を清めた若衆は、「ヒドリ」と呼ばれ、注連縄を腰に巻いて堂の入り口に並び、「場あきょう」「場あきょう」と歌いながら松明の到着を待つ。
祭宿で火打石で起こした聖なる火を移した大松明を先頭に大禰宜、小禰宜が八日堂に到着。白衣、白袴に太い赤襷を掛けた「タイトボシ」役が、堂の入り口に並んだヒドリの若衆の前で大松明を左右に大きく振り、6分間ほど若衆は火あぶりになる。火の持つ威力を体感した若衆は大人の仲間入りを許される一種の通過儀礼と考えられている。
そして、「ウタヨミ」のあと、「禰宜の舞」で、大禰宜が翁面で「ヤンシャ」、小禰宜が女郎面で「万歳楽」と言いながら、五方に舞って、舞庭を清めて舞が始まる。 おんばの舞と次の「はらみの舞」は、浜松の女子大生が舞っているそうで、保存会の会長の解説によると、以前は女人禁制であったが、女子大生たちが、自分も舞いたい、と会長のところに直訴にきて、会長は、本尊の薬師様に伺いをたてると、薬師様が、「いいよ」とお許しをくださった(あくまで会長の個人的な体験とのこと)ので、禰宜様たちにはかったところところ、「いいんじゃないか」との結論で、女人禁制が解かれたそうだ。
「はらみの舞」は、「おんばもどき」とも言われ、稲霊を宿したはらみ女が肩で息をしながら舞う。
「片稲叢の舞」は、綱宿で堂守の打った本尊薬師如来の前の注連縄を体に巻いて若者が舞う。稲叢を巻いているところからみて、稲霊の出現であり、稲の豊作を願う川名の特色ある演目である。
そして、「両剣の舞」、「両稲叢の舞」と続く。 「両稲叢の舞」は、片稲叢と対の舞で稲叢の増殖を表わすため二本の注連縄を両肩にかけ、香柴を持ち、堂の中を暴れまわる。この姿は生で見ると迫力があった。
最後に「獅子の舞」 初めに「まねき」が登場、四方に舞った後、獅子を呼び出し、獅子は舞ったあと寝てしまい、「まねき」に起こされると後ずさりして退場する。「鎮めの舞」ともいい、村中の悪魔を追い払うといわれている。
次に、僧と大禰宜が堂外で、白紙が付いた32本の御幣を立てて、それに切り餅と白飯を供えるという「伽藍鎮め」が、「田遊び」の演目が始まる寸前に行われる、とのことだが、やったのかやらなかったのか、見ることができなかった。 そして堂内では、「田遊び」が始まる。
締め太鼓が置かれ、太鼓を田に見立てて、大禰宜、小禰宜がお鍬様で太鼓のヘリを打ちながら田遊びをする。水口打ち、田打ち、代かき、草取り、大足踏み、籾蒔き、鳥追い、苗取り、田植え、稲刈りの一連の作業の唱えをする。
田遊びが終わると「お鍬様」はバラバラにされて、我々参拝者に厄除けとして配ってくれた。
田遊びの途中「おぶっこさま」と呼ぶ人形がやってくる。
「おぶっこ」は、おぶっこ宿の主人に背負われ、八日堂に入ると無言で堂の片隅に立っている。
そのうち禰宜の一人が鏡餅をおぶっこさまに見せる。
おぶっこさまは稲霊そのものであり、古来からあがめられ続けている。
そして、おぶっこさまに汁かけ飯を進上した後、参拝者にもふるまわれて、祭りは終了する。
汁かけ飯を食べると雨が降ると言われ、稲作に必要な福水を乞う、という意味があるそうだ。
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寺野の「ひよんどり」は毎年1月3日14時ごろから、村の中の「直笛山宝蔵寺」で行われる。
寺野は、浜松市北区引佐町渋川の一画にあり、本村の渋川から一山上った山の斜面にある戸数40戸ほどの集落。
「ひよんどり」というのは、たいまつを振って踊ることから、「火踊り」が訛って「ひよんどり」といわれるようになったそうだ。
ここで売っていたガイドブック、「遠江のひよんどりとおくない」(500円)によると、
「村の開祖に関わった伊藤氏の一族がひよんどりを支え、伝えてきたのである。この祭りが伊藤一族が家の祭として持ち込んできたのか、この一帯に伝わる「おこない」を取り込んだのかは、定かではないが、伊藤一族は文化面の才能に秀でていたようで、信州新野の雪祭りの発祥にも関わったり、寺野や神沢の面を制作したりしている。」
祭りは、地の神、つまり寺野元祖の供養として、本堂の外にある「伽藍様(寺野元祖の伊藤刑部祐雄の木像が祀られている)」の前での「伽藍祭り」から始まる。
「伽藍祭り〜ひよんどり」
先ず神降ろしが行われ、伽藍のまえでは、順の舞、巫女の舞が舞われるが、順の舞が舞われているときに、御堂のなかで松明を振って「ひよんどり」が始まる。
巫女の舞が終わると、伽藍様の火を御堂に持っていって、ひよんどりの歌誦は終わり、本堂祭りが始まる。
本堂祭りは、先ず、順の舞が舞われ、「鶴亀の踏みならしたるこの庭なれば悪魔は寄せず富ぞいります」「万歳楽、万歳楽」と唱える。
次に、「三つ舞」が舞われ、 次に、「片剣の舞」が舞われるが、剣の舞が終わるころ、わら束の中に木刀を入れたものをかついだ者が出てきて、先の者と代わって、急速調に踊りまわる。この舞は型にはまったものではなく、滑稽味を帯びた奔放な乱舞で、これを「もどき」という。 この舞についてはガイドブックには説明がない。
天狗の面を着けた禰宜様の後ろにもどきがついて、禰宜様の肩で木彫りの男根をしごき、「とほほーい」と叫んで白い紙を前方に撒く、これはは多分射精を表わしているんではないかと思う。
そして「獅子の舞」。先ず「まねき」が舞い、そこへ獅子が出てきて舞った後、疲れて中央に伏してしまう。禰宜が登場して刀を抜いて獅子に噛ませ、観音様に供えてあった餅を食わせる。禰宜はまねきとともに「獅子ようれんや、起きようれんや、起きたなら、起きたなら一緒にまた舞おうよ」と励まし、起き上がった獅子はまた五方に舞う。
いよいよクライマックスの「鬼の舞」。「まねき」の先導で赤鬼の太郎、黒鬼の次郎、最後に青鬼の三郎が踊り出てくる。最後に三匹の鬼は代わる代わる松明の火を乱打し消す。 |





