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清雪門を見てから、南の正門から続く参道に戻り、本宮へ向かうとすぐ、「楠御前社(くすのみまえしゃ)」がある。
これも神宮のHPによると下記のようになる。
「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りしております。
俗に「子安の神」又は「お楠さま」と呼ばれ、種々の病気を治し、殊に安産の神としての信仰が厚く、小鳥居(本宮授与所にてお頒ちしております)に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれております。
尚、このお社には社殿がなく、垣をめぐらした中に社名の示すとおり、楠の神木が祀られております。」
ここは正面からは解らなかったが、横へ回ってみると社殿が無いことに気がついた。
この形式が神社の原初的なもののようで、鳥越憲三郎著「古代中国と倭族」に中国雲南省の佤(わ)族などを例に、こうした形式から神社への過程が述べられているが、その一部を下記に抜粋した。
「雲南省奥地に住む佤(わ)族の例で示せば、それぞれの氏族の本宗となる家が鶏を持ち寄り、呪術者によって鶏の脚骨による占いで世襲の村長が選定される。ひとたび村長が決まると、その後に他の氏族から経済的に優位なものが現れようとも村長の地位は不動である。ただ疫病が流行して人や家畜が死ぬ被害が大きくなると、神から見離された者として村長は交替させられる。
その世襲の村長は村の祭祀権と行政権とを掌握する。それは神の代行者としてである。そして村長と故老たちによって住むべき適地が見つかると、まずその近くで神の鎮まる聖林を探し、その中で神が天から降臨するにふさわしい一本の聖木が選ばれる。そして吉日に村長と故老たちが聖木の前に集まり、村長がこの地に村落をつくることの許しと、幾久しく村人が守護されることを祈願する。
この聖林は洋の東西を問わず、あらゆる民族に共通してみられたものであるが、わが国では周知のように神奈備(かんなび)山・三室(みむろ)山と呼ばれた円錐状の整った山、または樹林が選ばれ、その中の巨樹や巨岩を神の鎮まるところとした。そして後に社殿が設けられると、それが神社と称せられるようになる。」
この原初的な社の祭神が、日本の創造神の伊弉諾尊と伊弉册尊であるというのはピッタリだ。
参道を進むと次に「徹社(とおすのやしろ)」がある。
「天照大神の和魂(にぎみたま)を御祭神にお祀り致します。神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、和魂は慈しみ加護してくださる神とされます。」
絵地図には祭神は書いていなかったのでわからなかったが、今神宮のHPをみても、荒魂を祀る社はどこにあるのかわからない。
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