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法海寺の境内には、十王堂以外にも、庚申堂・愛染堂・荼吉尼天の小さな堂があった。
庚申堂には、像が一つ祀られている。
坂出祥伸著「道教とはなにか」によれば、庚申信仰の本尊は、
「本尊さんは、末法の乱れた世の衆生を救おうと、お釈迦様と阿弥陀如来様と薬師如来様が相談をされ、結果、青面金剛(しょうめんこんごう)となって現れた。青面金剛は人を喰う夜叉の姿で現れ、悪人を喰い、善人を喰わないと言われている」
庚申信仰とは何かと、前著によれば、
「庚申とは干支、即ち、庚申(かのえさる)の日を意味し、この前夜に人間の体の中にいる三尸(さんし)の虫が、寝ている間に体から脱け出して、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行く、天帝は寿命を司る神であるから、悪いことをした人に罰として寿命を縮める。ところが三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日は徹夜をする、これを庚申待ちという。この庚申待ちの行事にさまざまなことを行って徹夜していたが、青面金剛はこの三尸の虫を喰ってしまうので、いつの頃からか、庚申待ちには、この青面金剛を本尊として拝むようになり、庚申イコール青面金剛となった。また、この日、睡眠を避けて、一晩一心に願い続ければ如何なる願いも叶うとされている。」
ここで、「三尸」とは、
「人の身中には、三尸という虫がいる。三尸とは、形がなく、霊魂や鬼神のたぐいである。この虫はその人を早く死なせたいと思っている。人が死ねばこの三尸は鬼となって、思いのままに遊び歩き、死者を祀る供え物を食べることができる。そこで庚申の日になると、いつも天に昇って司命(人の命数を司る神)に、その人の犯した過失を報告する。」
法海寺は、薬師如来が本尊で、病気快癒を願うお寺だから、こうした人の命にかかわる仏様が供に祀られているんだなあ。
愛染堂は、丹塗りで、小さな二重屋根になっている。
中は空っぽで仏像はなかった。
愛染明王というのは、wikipediaによれば、
「愛染明王(あいぜんみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。
衆生が仏法を信じない原因の一つに「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」ことがあるが、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳を持っている。
愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭にはどのような苦難にも挫折しない強さを象徴する獅子の冠をかぶり、叡知を収めた宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという、大変特徴ある姿をしている。
もともと愛を表現した神であるためその身色は真紅であり、後背に日輪を背負って表現されることが多い。 また天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿(高野山に伝えられる「天弓愛染明王像」等)や、双頭など異形の容姿で描かれた絵図も現存する。
愛染明王信仰はその名が示すとおり「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから行われており、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。」
荼吉尼天(だきにてん)は、丹塗りの鳥居があったので、お稲荷さんかと思っていたが、wikipediaで調べてみると違ったものだった。
「「荼枳尼」という名は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したものである。また、「荼吉尼天」とも漢字表記する。
真言密教では、胎蔵界の外金剛院・南方に配せられ、形像は小天狗の白狐にまたがる形をしているため、辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)、貴狐天王(きこてんのう)とも呼ばれる。
また天皇の即位灌頂儀礼において荼枳尼天を祀っていたという記録も存在し、平清盛や後醍醐天皇などが荼枳尼天の修法を行っていたことでも知られ、『源平盛衰記』には平清盛はこの修法を途中で止めた旨が記されている。しかし、この尊天は祀るのが非常に難しく、一度祀ると自分の命と引きかえに最後までその信仰を受持することが必須とされ、もしその約束を破ると、その修法を止めた途端に没落する、あるいは災禍がもたらされるとも考えられている。したがって、これは外法として考えられ忌まれる信仰でもあった。
元々インドにおいてダーキニーはジャッカルにまたがるとされていたが、中国や日本に伝わった時(中国や日本にはジャッカルはいないため)代わりに狐を当てたともいわれている。すなわち、狐(夜干)に乗る荼枳尼天の像というのは、中世の日本などで生み出された姿であり、胎蔵曼荼羅や正当な密教経典・儀記には存在しない(元々ヒンドゥー教では、ダーキニーは狐とは関係しない)。それによって日本では、神道の稲荷と習合するきっかけとなった、とされている。
日本では豊川稲荷(荼枳尼天)のように開運出世の福徳神として信仰される。俗に荼枳尼天は人を選ばないといわれ、誰でも願望を成就させると信じられたため、博徒や遊女、被差別階級等にも広く信仰を集めた。」
これら三つのお堂に共通するのは、人を選ばない「衆生を救う」ということだな。
長寿と縁結びと開運出世をお願いする、ということで現世利益の極めて道教的な信仰だ。
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