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17日、法海寺から知多市歴史民族博物館へ向かって歩いていると、大きな楠が見えてきた。
道路脇に、「新四国八十番札所 栖光院」と書かれた石柱が立っていた。
細い路地を楠に向かって歩いていくと、左手に山門があり、右手に本堂へ続く石段がある。
坂の途中に巨大な楠があった。
樹齢800年、みごとな枝ぶりで美しい。
石段を登りきった正面に本堂があり、その隣のお堂に弘法大師の像が祀られていた。
知多半島は、弘法大師が行脚されたところだそうで、八十八箇所めぐりについての由来は、「知多四国八十八ヶ所霊場」というHPによると下記のようになる。
「弘仁5(814)年、弘法大師が諸国行脚の途中、三河から舟路で知多半島を南下、南知多町大井聖崎に御上陸され、同地医王寺と同町山海岩屋寺に御留錫、護摩修法された後、野間を経由し、陸路北上されて伊勢路に向かわれたという。
知多四国八十八ケ所霊場は、弘法大師の夢のお告げにより、知多市古見妙楽寺第13世亮山阿闍梨等によって、195年前に開創された。
文化6(1809)年3月17日、「知多は我が宿縁深い地、時機は熟した。ここに霊場を開いて有縁の衆生を済度せよ。二人の道僧をさし遣わす。」との夢告を受けた亮山上人は、翌日ただちに四国霊場に出発、徒歩で巡ること3回、その間に岡戸半蔵行者・武田安兵衛行者という 2人の同志を得た。阿久比町福住出身の半蔵は、一時に妻子を失い、発心して行者となり、諸国巡拝の旅を遂げて美浜町古布の地蔵堂に止住していたが、亮山上人の発願に共鳴し、私財を投げうって尽力する決意を固めた。また、讃岐国香川郡出身の安兵衛は、心願あっての諸国巡拝の途中に当地を訪れ、地形が生国に似ており、霊場に極めてふさわしいことに感激し、四国霊場の御土砂を奉持し来って、亮山上人への協力を誓った。
亮山上人は行者2人と共に知多半島を巡り、誓海寺慧等師、宝乗院広修師・覚慧師、持宝院唵光師をはじめ多くの寺院の協力と、万屋喜助、古布庄屋嘉右衛門等、多数の村人の援助によって、各札所に御土砂を納めて大師尊像を奉安し、文政7(1824)年3月、この大業を成し終えた。実に16年の歳月を要している。」
http://www.chita88.jp/
山門や本堂などの屋根には、みごとな鬼瓦が載っていた。
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