なべさんの中国情報

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青塚古墳

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3日、庚申寺近くの川沿いに歩いていくと、左手に大きな森が見えてきて、さらに進むと古墳が見えてきた。

青塚古墳は、やはりwikipediaによると、

「犬山市南部に位置する。墳長は123メートル、後円部は直径78メートル・高さ12メートル、前方部は長さ45メートル・幅62メートル・高さ7メートルの前方後円墳で、愛知県内の古墳では断夫山古墳に次いで2番目の規模の古墳である。古墳時代前期の4世紀半ばに造営されたと考えられている。
青塚古墳群の首長墳と考えられ、青塚のほか茶臼山・王塚などとも呼ばれていた。墳丘は現在も大縣神社の社地であり、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは秀吉方の砦が築かれた記録がある。
昭和41年(1966年)に犬山市の指定文化財となり、昭和54年(1979年)に圃場整備事業に伴う発掘調査が行なわれて壷型埴輪や葺石の残存が確認されたことから、昭和58年(1983年)に国の史跡に指定された。
平成8年(1996年)より再度の発掘調査が行われ、古墳の規模が明らかにされた。古墳周囲を基壇が取り巻き、後円部3段、前方部2段の階段状となっている。各段に列石が配され、これに沿って壺型埴輪が2メートル間隔で廻らされていた。その他、円筒埴輪、鰭付朝顔埴輪(ひれつきあさがおはにわ)、鏃形石製品が出土した。また、同時に古墳の外観復元整備(墳丘遺構面上に約50cmの盛土)がなされ、造営当時の姿が再現された。」

4世紀半ばというと、応神天皇のあたりだろうか、次に見る大県神社の社地ということで、大県大神は、尾張国開拓の祖神であるといわれているそうだから、この古墳の主も尾張氏の関係であることは間違いないようだ。

墳丘の上からの眺めを楽しみにしてきたが、登ることは禁止されていて残念であった。

古墳の南にある森は神社であろうと見に行くと、神明社であった。

社殿の横に、「山神」が祀られていた。

山神は、春になると山から降りてきて田の神となり、秋になると山に帰るといわれる五穀豊穣の神様だそうだ。

古墳から大県神社へ向かう道は、神社のある本宮山にまっすぐ向かっている。

その道を歩いているとそこここにあるマンホールの蓋は、犬山城と鵜飼のデザインで、鵜飼といえば岐阜の長良川だが、犬山の木曽川でも鵜飼が行われていることを知った。

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