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3日、青塚古墳から大県神社へ向かう道を歩いていて、名鉄線を横切って少しいくと、左手に神社の入口の鳥居があった。
神社名は「諸鑃神社」と書かれているが、私には読むことができない。
帰ってからネット検索して、wikipediaには無かったが、「古代史の道」というブログにこの神社の訪問記があり、「もろくわじんじゃ」と読むことを知った。
http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/22770339.html
そのブログによると、祭神などは下記のようになる。
「当社の祭神は、建御名方命(たけみなかたのかみ)。大国主命(おおくにぬしのみこと)の子で、軍神。諏訪氏の氏神とされている。社格は県社だったというから、大社だったに相違ない。
「尾張式内実訪書」によると、桓武天皇(第50代)の御代に尾張、伊勢の両国に農民を苦しめた土賊が起こった際、彼らを征討するために、坂上田村麻呂が征討将軍に任ぜられた。将軍は、出陣に際し、崇敬する建御名方命の分霊を当地に祀った、という。そして同祭神に土賊の撃破を祈願し、征討に成功したという次第である。つまり、軍神の霊験あらたかというわけである。
境内社は、神明社、稲荷社、池鯉鮒社、嚴島社、琴平社、御鍬社、須賀社。
ここで「池鯉鮒社」というのは私にとっては初めて見る名前で、これもネット検索してみると、「ちりゅう」と読み、東海道の三河にある「知立神社」のことであることを知る。
「三河屈指の大社。まむし除け・雨乞い・安産の神として広く信仰を集めます。1509(永正6)年再建の多宝塔は国重要文化財。塔高は約10m、屋根の反りが優美です。
池鯉鮒宿(ちりふじゅく)は、知立神社の池に鯉や鮒が棲むことに由来するとか。東海道交通の要衝を担い、馬市が立つ宿として賑わいました。かきつばたの群生地としても知られます。」
http://www.aichi-kanko.jp/tokotoko/chirihuzyuku.html
この地域の神社はどこもまっすぐ伸びた杉の木が印象的で、深い山の中に来たような雰囲気がある。
天保6年とか、文化十年とかの銘が入った年代ものの石灯篭もある。
その石灯篭に「諏訪大明神」と刻まれていて、前記の祭神が建御名方命で諏訪氏の氏神様であるということを知って、なるほど、と謎がとけた。
とすると、このあたりには諏訪氏ゆかりの人々が住んでいたんだろうか。。。。
手水舎の屋根に「桃」を象った飾り瓦がのっていた。
中国では「桃」は不老長寿の象徴で、そんな願いがこめられているんだろうか。。。。
一の鳥居から入り長い参道を行き、二の鳥居へ入るすぐ手前の右手に屋根に「秋葉山」とある社があったが、その前には石造りの狐があり、お稲荷さんのようでもあり、でもお稲荷さんにつきものの赤い鳥居はないし、かわった社があった。
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