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14日、奥津神社から名鉄木田駅南方の八剣社へ向かった。
八剣社は、古くからの住宅街の中にあったが、大きな社叢をもつの神社であった。
神社についての説明掲示板によると、平安時代末期に熱田神宮から祭神の日本武尊を勧請して造られた神社で、大正3年に熱田神宮の残りの祭神、天照大神、建稲種命、宮簀媛命、素戔鳴尊も合祀して「八剣社」と称されるようになった、とのことで、この神社は、もともとは日本武尊だけが祀られていた神社であるらしい。
拝殿と幣殿の間に、三つ巴の上に鶏がのったデザインの石造の対の飾り物があった。
鶏というと、新羅に鶏林説話というのがあって、金達寿著「日本の中の朝鮮文化 4」によるとそれは以下のようなものである。
「新羅(徐羅伐)脱解(タルヘ)王9年春のある夜のこと、王城西方の始林といわれている森の中から鶏の鳴き声がしたので、それを不思議に思った脱解は、夜の明けるのを待って臣の瓠公(ほこう)をそこへやってみた。瓠公が来てみると、林の中で一羽の鶏がしきりとときをつくっており、その木の枝には、金色をした一つの櫃(ひつ)がかかっている。瓠公は立ち帰ってそれを脱解に告げたところ、櫃はすぐに運ばれてきて、中からは一人の男児が出てきた。それをみて脱解はよろこび、「これぞわが後嗣である」とその子をただちに王子とし、名を閼智(あるち)とつけ、金色の櫃から生まれ出たというので、その姓を金(きむ)とした。そしてこれがのち新羅の大輔となり、その後孫は金氏歴代の王となった金閼智というわけであるが、同時にまた、その始林はこのときから鶏林といわれるようになり、国号もこれにならって、のち新羅となるまでは、徐羅伐から鶏林とよばれることになったのだった。
この称号は近世の李朝まで生きのこっていて、当時の朝鮮全体・全道のことを「鶏林八道」などともいっていたものである。
それでかどうか、日本における新羅系渡来人は、この鶏をひどく神聖視したもののようであった。たとえば越前(福井県)敦賀半島の立石岬にも白木というところがあって、ここには白城(しろき;新羅)神社があるが、今日でもなを、ここの人達は鶏を食わないということを私は聞いている。」
日本武尊の草薙剣の神話には、出雲神話とか草薙剣を盗んだ新羅僧道行とか新羅とのかかわりがいろいろあって、この鶏の飾り物は、この神社と新羅との関係を想像させて面白い。
八剣社から名鉄線を越えて美和町歴史民俗資料館へ向かったが途中には大きな旧家が多く見られた。
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