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21日、今伊勢古墳の北方にある「石刀神社」へ向かう。
神社の南側へ着くと大きな森で入口がなく、東へまわっても入口がなく、ぐるりとまわると西側に入口があった。
この神社も拝殿は南向きではなく、西向きであった。
wikipediaによると、
「崇神天皇の代、石刀社として創建されたという。
創建された地は尾張国中島郡四条と伝えられている。現在も一宮市には三条という地名が残り、その北部の一宮市から羽島市付近と考えられる。その後、檀林皇后(嵯峨天皇皇后)によって現在の地近くに移転したという。現在地への移転は14世紀ころと言われている。
江戸時代に三明神社に改称している。これは伊勢神宮の分社を合祀したことからである。この地は古くから伊勢神宮の神戸であった。
1600年(慶長5年)、西へ向けて進軍中の徳川家康が訪れ参拝する。そのさい三明神社に陣を設置したので、社殿の破損、建造物の一部が取り壊されてしまう。関ヶ原の戦い後の1608年(慶長13年)に再建される。この再建を祝って始まったのが石刀祭りとされる。
1938年(昭和13年)に石刀神社と改称し、1940年(昭和15年)県社になる。」
祭神は、主神が、手力雄命、豊斟渟尊、国常立尊、国狹槌尊に加えて、天照大神、伊弉冉尊、豊宇気毘賣神、菊理媛命、大己貴命などが合祀されている。
「石刀」を「いわと」と読むというのは驚いたが、祭神のトップが、天照大神がかくれた岩戸から天照大神を引っ張り出した「手力雄命(たぢからのおのみこと)」ということで、納得した。
拝殿にある紋は、三つ葉葵の徳川さんの紋と同じだが、これは、徳川氏の命によって再建されたことに由来するんだろうか。。。
拝殿に向かって左側に二つの小さな境内社が並び、その社に似合わない大きな注連縄が印象的であった。
本殿の裏の杉を主とした大きな森が見事であった。
ここ今伊勢の地は、酒見神社も石刀神社も伊勢神宮とのかかわりのある神社で、尾張氏とのつながりは無いようであった。
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