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伊冨岐神社の一の鳥居は野上の集落の端にあるが、鳥居が面した街道を関ヶ原への西へ向かって歩き始めるとすぐ「七つ井戸」という史跡に行き当たり、その説明版に「大海人皇子行宮跡 南へ300m」の道標があった。
ここに来る前に野上の行宮はどこにあるのかネット検索しても見つからなかったが、現地へ来てみてその場所を見つけることができてうれしかった。
野上の大海人皇子行宮跡は、尾張氏の尾張大隅の屋敷があったところで、伊冨岐神社の伊福氏も尾張氏の同族であり、このあたりは尾張氏の勢力が強かったところであるらしい。
で、その標識から南への細い路地を行き、国道21号を越え、新幹線のガードをくぐって少し登ると墓地があり、その奥の今は荒れはてて石垣がわずかに残るところが行宮跡であった。
墓地があるのは、後に行基が行宮の廃材でここにお寺を建てたためらしい。
行宮跡からは、伊冨岐神社方向が望まれる。
国道21号へもどり、それに沿って関ヶ原方向へ向かうとドライブインがあったのでやっと昼飯にありつき、一休みしてまた西へ向かった。
国道沿いに関ヶ原の戦いで徳川家康が最初に陣をしいた「桃配山」に行き当たる。
大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱のときに配下の兵に魔よけにと山桃を配って大勝利を得たという故事にならって、家康がここに陣をしいたのだそうだ。
ここからまた西へ、関ヶ原の町並みへ入ってすぐ、「若宮八幡神社」があった。
拝殿屋根には「三つ巴」の紋がつく。
本殿には千木・鰹木はつかない。
本殿の蟇股には、獏か犀か、獅子とは思われない透かし彫りの飾りがつく。
国道沿いに西へ歩くと、関ヶ原の町並みの中心地のあたりに、「鹿 さしみ ワニ肉」、「くま肉 いのしし肉」の幟をを立てた肉屋さんがあった。
鹿、熊、猪は、地物だろうか、関ヶ原は南と北に山脈が連なり、けっこうな山里なんだなあ、と思う。
だんだん夕暮れも迫ってくるので、関ヶ原の西の端にある「不破の関跡」へ急いだ。 |
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2011年01月15日
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