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「一宮の式内社・八剣社を訪ねて歩く 」と題して、「その10、大神社」までを記して、あの大津波があって、テレビに映し出された光景に圧倒され、人間が勝手に想定するものをはるかに超えた自然の猛威を目の当たりにして、無力感・無常感におしつぶされ、気が重くなって、ブログを更新しないままに49日が過ぎた。
この昨年12月26日の神社めぐりは、一宮市の「真清田神社」とその近くの「八剣社」で帰ったので、とりあえずはそこまで、締めくくろうと思う。
大神社から国道65号線を北上、途中名鉄線を東に横切ってさらに北上して「一宮市博物館」に寄る。
以前訪れた「浅井古墳群」からの出土物などを見ることができ、図書コーナーでいろいろ閲覧してしばし休憩。
博物館からまた北上すると、本町商店街にでて、その先に真清田神社がある。
真清田神社については、細矢藤策著「美濃尾張の鉄 そして渡来人」(春日井シンポジウム4「渡来人」)によると、「江戸中期までは祭神を金山彦命・村国雄依・彦火火出見命とし、「村国南宮大社」と呼ばれていた。美濃の南宮大社は前述の通り鍛冶神である。この祭神と社名から、雄依は鍛冶にかかわる神として祀られていたのである。社名のマスミは『万葉集』に「わが目らは真墨の鏡(三八八五)」とあり、『日本書紀』に天照大神の誕生に関して「白銅鏡(ますみのかがみ)」とあるように、澄んだ鏡の形容語である。」
「村国雄依」は、壬申の乱での天武天皇の功臣。
現在の祭神は、尾張氏の祖、天火明命ということになっている。
商店街を抜けた正面に美しい楼門が建ち、お正月を前にして「迎春」の幕がかかっている。
門には「「丸竹に九枚笹(まるたけにくまいざさ)」の神紋がつく。
蟇股は、九枚笹の中心の三枚笹のデザイン。
真清田神社のHPによれば、社殿は、楼門を入って正面に拝殿(切妻造)、祭文殿(切妻造)、渡殿(切妻造)、本殿(流造)を連接したもので、「真清田造り」と呼ばれるそうだ。
社殿は、南向きに建つ。
拝殿屋根には、菊と九枚笹をさらにデザイン化したものだろか、楼門の紋とは違った紋が付く。
拝殿の蟇股は笹の葉も見られるが、また違ったデザイン。
本殿は流れ造りだが、千木・鰹木が載る。
あとでぐるりと神社の裏側にまわって、平成5年に造営されたという、荒御魂を祀る「三明神社」も後方から拝んだ。
社殿の向かって左側に、昭和40年に造営されたという「服織神社」が建つ。
その他、神明社、天神社、犬飼社、愛鷹社、愛宕社、厳島社、八龍神社、秋葉社、須佐之男社、稲荷社、三八稲荷社の末社がある。
須佐之男社のある小高い森のなかに、烏骨鶏が放し飼いされていたが、これは大和の石上神宮のように「神鶏」なのだろうか、ただ誰かが放していったものなのか、わからない。
夕暮れせまり、かなり薄暗くなってきたが、最後に、市役所の先、NTTビルの近くにある「八劔社」へ向かう。
県道190号線に面したビルの後方に小さな八劔社の社はあった。
境内には「空円上人」というお坊様の石塚がある。
この日はここまで、一宮駅前のホルモン焼きで一杯やって帰った。 |
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2011年04月28日
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二之宮大明神から西へちょっとで名鉄の島氏永駅があり、踏切を越えてもうちょっと西へ、国道65号に面して式内社の「大神社」がある。
そのあたりは、「大和町於保(おほ)」の集落になる。
「おほ」は「おお」だろうが、神社の「大」は、大和の大神神社ゆかりの「大田田禰子」の「おお」で、多氏、太氏と同族、鍛冶に関係する氏族だ。
社殿は、南向きに建ち、正面には、木製の蕃塀が立つ。
後方の幣殿正面には、庇には鳥の、蟇股には亀の飾りがつく。
そして正面左右には、因幡の白兎の飾りがつく。
屋根には、「五三の桐」の紋。
本殿は流れ造りで、千木・鰹木はない。
遠く西北方向に、雪をかぶった伊吹山を望むことができる。
冬、尾張から見る伊吹山は白い獅子のような荒々しさを感じる。
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