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正法寺古墳から南へ歩き、海岸道路をさらに南へ行くと岬の先端の丘への登り口に「幡頭神社」の石標が立っている。
そこを登ると、社殿が南南東向きに建つ。
由緒書板があり、
祭神は、建稲種命、大物主命、誉田別尊
「景行天皇の御代日本武尊東夷御征討の祭大功をお立てになった建稲種命は帰途海上で御薨去御遺骸この岬に着かれたのをお祭りしたのが本神社で大宝2年文武天皇勅して社殿を建て官社に列せられたと伝へられ延喜式に戴く文徳実録に授従五位下とあり大日本史に正一位とあり明治4年郷社に大正10年県社に列せられて古来から由緒高く人々の敬仰厚い御社である。」
別の、「社伝抜粋」によると、
「祭神は東征の勅命を受けた日本武尊の幡頭(はたがしら)の役を勤めた建稲種命で、東征の帰路駿河湾で遭難、蛭子岬に漂着した遺骸をこの地に葬ったという。以来この地を幡頭(はず)と書くようになったともいわれる。」
幡頭神社は拝殿にかかる扁額には「幡豆神社」とも書かれているが、祭神の建稲種命が「日本武尊の幡頭(はたがしら)の役を勤めた」ということで、「幡頭」がふさわしいと思う。
拝殿屋根の瓦には神紋」は見られない。
本殿は、重要文化財に指定されていて、桧皮葺の姿が美しい。
説明板によると、
「三間社流造、桧皮葺。
幡頭神社は大宝2年(702)の創建と伝えられる式内社で、旧幡豆郡では西尾市の久麻久(くまく)神社とともに古い由緒をもつ神社である。
本殿は天正8年(1580)の建築で桃山時代の建築様式を伝える。屋根は桧皮葺で大きく反り返った曲線が美しい。丸柱や長押(なげし)および虹梁などは太く力強い。虹梁は直線的で絵様が小さく、蟇股の内部の彫刻も素朴で全体に堅実な手法がとられた秀作である。」
両側に建つ、神明社本殿・熊野社本殿は県の文化財に指定されている。
「重要文化財の本殿と同時代に築かれたものとみられる。神明社は本殿の東に位置し三間社見世棚造、熊野社は西に位置し一間社熊野造でいずれも桧皮葺である。幡頭神社本殿と両脇殿の三社が並ぶ姿は、形式を異にしつつも調和が取れており美しい。」
本殿の庇の蟇股には、「蛇腹」模様がつく。
この蛇腹模様は、知多半島先端の師崎にある羽豆神社(はずじんじゃ)の本殿の屋根にも見られる。
本殿の本体に着く蟇股は、「牡丹」だろうか。
神社からは三河湾を望むことができる。
建稲種命が東征の帰路駿河湾で遭難、蛭子岬に漂着したということで、幡頭神社のある岬の先端には、「蛭子社(えびすしゃ)」がある。
社は、東南東向きに建つ。
拝殿正面の鬼瓦には「恵比須」さまの像がつく。
海辺でのんびりしたかったが、このとき12時すぎで、14時からの棉祖祭に間に合うようにと吉良吉田の駅へ向った。 |
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2011年11月02日
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