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また佐屋街道を西へ、津島に入って南へ、名鉄尾西線の「日比野」駅の南西ちょっとのところに式内社の「由乃伎神社」があった。
一の鳥居から長い参道が続き、二の鳥居に到る。
ここも由緒書板はないので「式内社調査報告8」によると、
祭神は、「昭和27年の神社明細書は、はじめ祭神不詳としたが、後に日子湯支命(ひこゆきのみこと)に改めている。このことからもわかるように、当社の祭神は、古来一定せず、諸書によると諸説があった。」ということで、現在は、「日子湯支命」となっているそうだ。
その本には、村史の記事も紹介されている。
「『村史』の詳細な由緒である。『村史』は、祭神を日子湯支命として、「扨(さて)此命を此里に社を建て齋ひ奉れる所以は、神武天皇御東征相濟み橿原に奠都し給へるも大和國以東の國々は、未だ王澤に沾ひ奉らざりしかば、軍勢を遣はして征伐せしめ給ふ。伊勢國風土記に天日別命を遣はして平げしめ給へるが、此日子湯支命も御親神以來代々物部の將師の家なれば、同じく物部の軍勢を率ゐて此出征に加はりたまひ、最先鋒となりて我尾張國まで攻入り、此あたりに御軍を屯在せしめ、御子孫之を統率して此の地方を開拓し、生民を撫育し給へる故に其子孫の此社を建て給へるものならむ。其の軍卒の屯して御子孫のますによりて此の地名を負ひ、又祀れる神の名によりて神社の名に称ふるなり」と述べてゐる。」
このように、日子湯支命は物部氏にかかわる神様であることがわかる。
ニの鳥居をくぐると正面に石製の蕃塀があり、「鯉の滝登り」と「「波間を飛ぶ千鳥」の飾りがつく。
社殿は南向きに建つ。
拝殿屋根の鬼瓦には「由乃伎社」の文字。
本殿は、神明造り。
ここから北へ、式内社の「宇太志神社」へ向ったが、途中、津島の旧街道を走り、津島の市街地を抜けてさらに北上、「草平」の集落へはいるところに「津嶋神社」があった。
さらに進み領内川にかかる橋から大きな楠が見えたので行って見ると、ここも「津島神社」であった。
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2011年11月30日
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