|
領内川を北上して「鵜多須」の集落を抜けた畑の中に式内社の「宇太志神社」はある。
「角川日本地名大辞典23」によれば、地名は、川鵜が多くいたことに由来するそうだ。
鳥居をくぐると石造りの蕃塀があるが、彫り物の飾りはない。
長い参道を進むと、社殿が東南東向きに建つ。
拝殿の内に由緒書の額があり、
「飛鳥時代の白鳳元年(673)この地方開拓の神様邑上足尼命(うがたりにのみこと)をお祭りしました。八開村で一番古い神社(延喜式内社)です。慶安2年(1649)杉原治兵衛尉が木曽清流の此処に再興しました。御本殿は文久2年(1862)新築されました。明治5年5月郷社に列格、同40年10月神饌幣帛料供進の郷社に指定を受け、県知事代理、または部長、または村長が大祭日に参向しました。昭和21年現在の制度になりました。郷土史(尾張誌 地名考 名所図絵など)八開村史に神社のことが詳しく書いてあります。俗に鵜多須白鬚大明神と敬い特に延命長寿を祈願しました。例祭日にお釜の湯で厄祓い、お宮西の川原で田舎競馬があって参拝者で賑やかでした。俳句の奉納も大正頃まで盛んに行われました。」
祭神の邑上足尼命は、「式内社調査報告8」によると、「生江臣祖葛城襲津彦命四世孫」ということで、葛城氏につながるらしい。
拝殿など屋根瓦に神紋は見られない。
拝殿正面には、古い額がかかるが、文字は読むことができない。
拝殿の内には、「尾張志」などのコピーが額に入れて掲げられている。
社殿は、祭文殿、本殿と続く。
本殿は、流造り。
ここから帰り道で、県道128号を東へ日光川を越えて更に東へ行くと、県道沿いに「内荒神社」と「神明社」がそれぞれ、南向き、東向きにあった。
その入り口の広場に立つ石灯篭には、これまで見たことが無かった「茶器」が彫りこまれていた。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2011年12月01日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



