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八剣社から南へ500mあまり、三宅川沿いに式内社の「伊久波神社」はあった。
お隣の「長福寺」が大きくて、伊久波神社は境内もそんなに広くないので小さく感じる。
ここも由緒書板はなく、「式内社調査報告」によると、
祭神は、「的臣祖(いくわのおみのおや)」ということで、的臣の先祖神とのこと。
的臣の先祖に、「葛城襲津彦命」がいるそうで、葛城襲津彦命を祀ると云う説もあるとのこと。
いずれにしろ、先に見てきた「宇太志神社」と同様に、葛城氏にかかわる神社のようだ。
的臣については、日本書紀の仁徳天皇の条に、下記のようにある(宇治谷孟現代語訳版)。
「「十二年秋七月三日、高麗国が鉄の盾・鉄の的を奉った。
八月十日、高麗の客を朝廷でもてなされた。この日、群臣百寮を集めて、高麗の奉った鉄の盾・的を試した。多くの人が的を射通すことができなかった。ただ的臣の先祖の盾人宿禰(たてひとのすくね)だけが鉄の的を射通した。高麗の客たちは、その弓射る力のすぐれたのを見て、共に起って拝礼した。翌日盾人宿禰をほめて、的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)と名を賜わった。同日小迫瀬造(おはつせのみやつこ)の先祖、宿禰臣(すくねのおみ)に名を賜わって賢遺臣(さかのこりのおみ)といった。」
社殿は、 東南東向き。
拝殿は簡素な造りで、屋根の鬼瓦などに神紋はみられない。
祭文殿、本殿と続く。
本殿は、神明造り
この地域の石燈籠は足の部分がでっぷりと樽型であるのが特徴のようだ。
この日の神社巡りはここまでで、名鉄津島線の線路脇を走って名古屋まで帰った。
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2011年12月03日
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