なべさんの中国情報

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昨年11月に自転車を買って、時間があると式内社を巡っている。
 
11月16日は、大須と金山の中間に位置する式内社の「日置神社」を訪ねた。
 
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由緒書板があり、
 
祭神は、主座「天太玉命」 配祀「天照大御神・品陀和気命」。
 
「延喜式に尾張国愛智郡日置神社と所載せられた式内社である。中■山城国男山より八幡大神を勧請合祀。永禄3年5月桶狭間の役に際し織田信長公当社に祈誓あり。戦勝後報賽のため松樹千本を神域に植う。■■千本松日置八幡宮と称え奉る。」
 
天太玉命は日置部の祖先として祀る神であるという(天太玉命は忌部氏の祖神、日置部の祖神は天櫛玉命である。「古史傳」によれば、天太玉命は天櫛玉命と同神とする。)
 
教育委員会の説明板もあり、それによると、
 
「日置の地名、社名は、日置部のあったところから起こったもので、日置部は暦を司った。」
 
と「日置部は暦を司った」とあるが、谷川健一著「四天王寺の鷹」によると、
 
「・・・・日置氏はおそらく三ノ岳の金銅を採掘する氏族ではなかったかと推測される。長州長登鉱山の労働者たちの中には日置氏の名前が多く見られる。「新撰姓氏録」によれば、「日置造」は高麗国人伊利須意弥より出ず、とあるから、渡来人であろう。
 ・・・・・垂仁紀39年の条には、五十瓊敷(いにしき)皇子が茅淳(ちぬ)の菟砥(うと)川上宮で剣千本を作らせたとある。それに協力し従事した部民に日置部があるところを見ると、鉄や銅を溶かす鍛冶に関係していた氏族であると考えられる。」
 
とあり、近くに金山もあることだし、日置氏は、「暦を司った」というより、「鉄や銅を溶かす鍛冶に関係していた氏族」とみたほうがよさそうだ。
 
信長は桶狭間の時に熱田神宮で戦勝祈願をした、というのは有名だが、その前に、ここ日置神社でも戦勝祈願をしたということを知った。
 
社殿は、南南西向きに建つ。
 
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拝殿の屋根瓦には、「麻の葉」の紋
 
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拝殿内部には鏡が祀られている。
 
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本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。
 
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社殿の西側の森に、「大黒・恵比須社」がある。
 
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その隣には廣富稲荷神社もある。
 
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そのほか、龍神社もあった。
 
「橘社」というのは、「尾張徳川家二代藩主瑞龍院殿光友公を祀る」
 
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台風で倒れた「椨(たぶ)の木」が再生している様は、瑞々しい。
 
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この椨の木は、
 
「樹齢数百年を経た「椨(タブ)」であるが、過日の台風により今日の姿になった。そもそも「椨」は海上からの漂着神の憑る神聖木であり暖地性のクスノキ科の常緑高木である。したがって北陸能登等の海岸地帯にこの樹木が多いのは黒潮が運んだ種子の漂着が原因であると思われる。因みに、「椨」(禁忌)の社へは禁足の信仰がある。」
 
ここにも「力石」があった。
 
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銘 右 「いなり」 量目 伝「一石二斗」
銘 左 「はちまん」 量目 伝「一石六斗」
 
とある。
 
 
 

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