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瀬戸市街地は瀬戸川を挟む丘陵地斜面に住宅街が続いていて、ちょうど名鉄の瀬戸駅から丘を上ったところに「窯神神社」がある。
参道の石段の入口には、「窯神神社」と「磁祖加藤民吉窯跡」の石標が立ち、石段を上ったところに鳥居と石表がある。
深川神社と大目神社には「陶祖」が祀られていたが、こちらは「磁祖」が祀られている。
由緒書板によると、
「窯神神社は、磁祖加藤民吉翁が信仰していた秋葉大権現・天満威徳天神・金毘羅大権現三神の遥拝所建立を申請し、文政7年(1824)5月に尾張藩の許可を得て、翁の窯場背後の山上に祀ったのが始まりであります。その後に民吉翁が合祀され、「やきもの」の神社として市民の崇敬を受けています。」
磁祖を祀る神社にふさわしく、磁器製の狛犬が三種ある。
社殿は、モダンなコンクリート製で、南南東向きに建つ。
本殿への鉄扉には、「下がり藤」の紋。
拝殿には、磁器板の「瀬戸八景」が奉納されている。
磁祖加藤民吉翁の銅像もある。
翁については、説明板があり、
「安永元年(1772)に瀬戸村で生まれ、文化元年(1804)2月より、当時伊万里焼に市場を奪われ苦境にあった郷土の産業を救うわんと、熱田奉行津金文左衛門胤臣父子の支援を受け、同郷の天草本渡東向寺住職天中和尚を頼り、肥後・肥前の磁器製造法を習得し、同4年6月に帰国しました。以後、更に技術を開発し当地の繁栄に寄与したのであります。
中興の祖、磁祖といわれる所以であります。
文政7年7月4日没 享年53歳」
また、「民吉翁九州修行二百年記念」の「残心之杉」という杉の苗が植えられていたが、それも説明板があり、
「加藤民吉翁は、1804年(文化元年)、九州へ磁器製法修業の旅に出発しました。
1807年(文化4年)修業を終えた翁は、修業先の福本仁左衛門家を去るにあたり、記念に杉を植えました。この杉は長崎県佐々町に「残心の杉」と命名され現存し、大切にされています。
民吉翁の九州修行二百年を記念し、この大杉の枝を取り寄せ、東京大学附属愛知演習林の指導・協力により挿し木・育成し、ここに植樹しました。」
「飲水思源碑」という石碑もある。
「民吉翁は、九州での修業の際、本渡(現天草市)の東向寺で菱野(瀬戸市)出身の天中和尚に大変お世話になりました。
瀬戸市は1959年(昭和34年)、その東向寺開山300年記念として「民吉翁之碑」を贈りました。磁器の原料でもある天草陶石のこの「飲水思源」碑は、その返礼として1962年本渡市より贈られたものです。」
境内の展望台からは、南東の方向に「猿投山」を望むことができる。
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