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賣夫神社から日光川沿いに北上、名鉄森上駅の近くに、大きな森の式内社の「布智神社」がある。
由緒書板があり、
祭神は、軻遇突智命
「本神社は「延喜式神名帳」所載の式内社で尾張国中島郡30座の内の神社で「本国帳」に従一位布智天神、又、渕天神、渕森天神とある。明治以前は火神大明神、明治以降は火神社と呼び、森下お宮と親しみ敬われている。古来、本神社はこの地方の総社で、国司神拝の記録が残り、鎮火、尚武の神として崇敬は厚く、崇徳天皇の保延年中(1135〜1140)京都に大火がしきりに起こったので、その火難の祈祷を当社に命ぜられた。又、慶長年間(1596〜1614)にも鎮火祭の御祷りの管令を下されたなど由緒ある古社である。
織田信長公は武運長久の祈願をし、清洲城主はしばしば鎮火、尚武の祈願をし社殿の修理や、度々の寄進もされたと伝わる。」
伝説の記載もあって、
「火傷したとき、清水を口に含み「火の神大明神」と三度唱えて水を吹きかけると全治する。また、熱病の時に手水舎の水を飲めば熱は鎮まると伝わる。
更に、大神は、陣頭に立って御剣を振るい、また火矢を射放ち敵を降伏させるなど武勇に優れ、武将の崇敬を集めたと伝わる。
また、境内の小高い山は前方後円墳と言われている。
「磐境の石」は古代の石で神社起源とされており、現在、西の鳥居に一対ある黒っぽい石である。」
ということで、
西の鳥居のところに注連縄を張った大きな石は「磐境」であった。
西の鳥居を入ったすぐ南側に古墳がある。
社殿は、南南西向きに建つ。
拝殿屋根には、「菊」の紋がつく。
拝殿には天井画が奉納されている。
祭文殿、本殿と続く。
祭文殿の正面、破風には「牡丹」の飾りがつく。
祭文殿正面の蟇股には、「松」の飾り。
本殿は、流造りで千木・鰹木はない。
本殿正面の飾りは、龍のしっぽのほうだけ見える。
稲沢市指定天然記念物の「シイノキの群生」の説明板もあった。
「ブナ科の常緑高木で、この群生により、かつてはこの地方が照葉樹林であったことが想像できる。
シイノキの単独樹は多いが、これだけの大木が群生するところは貴重である。シイの実は縄文時代の貴重な食物であった。同じブナ科の大部分のどんぐりとは異なり、渋みが無くすぐに食することができる。」
境内には、渕森稲荷社があった。
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2012年05月13日
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