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平流の村の家並みを進むと、古そうな鼓楼があった。
この鼓楼は、「三坝(さんばぁ)楼閣」とあった。
鼓楼のシンボルは、魚
鼓楼の軒下には、絵馬のように三国志や水滸伝などから材をとった絵が掲げられている。
鼓楼の内は倉庫として使われている。
そこからさらに進むと、小さな鼓楼があった。
ここからすぐに初めに見た風雨橋にでて、街道を少し行くと、廟があった。
この廟は、「佈公(ふこん)庙`」とあったが、鍵がかかっていて中には入れなかった。
そのためか、外壁にお参りしたあとの線香が何本も挿されている。
村の中心には大きな鼓楼と戯台があった。
鼓楼の中にテレビがあって、このときはちょうど日本軍が悪さをしているドラマをやっていた。
鼓楼の中は憩いの場になっていてテレビが設置してあるところは多くて、わたしの訪れるお昼の時間帯はよく日本軍(日本鬼子)が悪さをしているドラマをやっているところに出くわし、土地の人に、どこから来たの、と聞かれると、日本人、と答えるのはなかなかつらいものがある。
土地の人は、私が北京か香港からきた観光客と思って話しかけてくるのだが、私が日本人とわかると、少しとまどって離れていく。
離れていってくれるときはまだほっとするが、釣魚島や歴史問題について議論をふきかけられてくることもしばしばあって、私のような幼児レベルの中国語では、とても話しにならないので、そんなときは、不明白(ぷみんぱい、(わかりません))と退散することにしていた。
戯台の天井には、太極紋と八卦が描かれている。
村はずれの山に墓地があり、お墓は西南西に向かっている。
お墓の一つに、瓢箪のなかにお魚型の太極紋と菱形、そして鳥に太陽と侗族のよく見るシンボルが凝縮してデザインされたものがあった。
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2015年04月13日
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