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11月26日、旅館から村のほうへ歩いて行くと大勢の観光団が村へ入る寨門前の道路にたむろしているのが見える。
道路と川にはさまれた田圃では魚とりをしている。
これも本気でとっているようではなかったので、表演の一部だろうが、苗年でご先祖様に2尾のお魚をお供えするのは必須のことで、稲田で養った鯉をとる姿は他の村でも見られた。
しばらくして、爆竹が鳴り、「十二道拦门酒 (しゅうあぁだおらんめんちゅう)」が始まった。
この行事は、客を迎えるためのもので、村の入口の寨門にたどり着くまでに12箇所の関所が設けられて、正式には、客は各関所で2杯の酒を飲み干さなければならず、12番目の寨門では牛角杯を飲み干さなければならない。
杯は1/4斤(125ml)、牛角杯は1斤半(750ml)はいるそうで、本来なら杯22杯2750mlと牛角杯750mlで、
32度ほどある米焼酎を2升以上も飲まなければならないことになる。
我々観光客は杯に1/4ほどのお酒を飲み干すか、なみなみと入っている時は一口飲む。
後で旅館へ戻ったとき、旅館の娘さんの同級生たちが集まって鍋を囲んで宴会をしたらしく、男の子が一人、24杯を飲み干したそうで、完全にダウンして歩けなくなって、女の子3人に抱きかかえられて帰っていった。
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11月25日の苗年の大晦日は「殺猪」があって、昼食時に宴会があったとのこと。
私は雷山へ民族衣装の行進を見に行っていて参加できなかった。
夜は、イギリス人の先生一行は次の目的地へ向い、広西から来ていた阿龍夫婦はお昼に飲みすぎたと炒飯で簡単にすませていて、旅館の主人夫婦は親戚家族と晩餐するので、私はまた西紅柿炒蛋と土豆炒肉で米酒(自家製米焼酎)とご飯。
主人の阿陳は、いっしょに飲まないか、と誘ってくれたが、飲みすぎても次の日が大変になるので辞退して彼らの晩餐をながめていると、米酒に何か垂らしているので、それは何か、と聞いてみると、胆嚢だよ、との返事。
この日つぶした豚の胆嚢から胆汁を垂らして飲む。
阿陳が私の杯にも垂らしてくれて、飲んでみると、ほのかな苦味でさっぱりした飲み口になった。
私も半斤(250ml)の米酒でいい気持ちになって早々に寝る。
翌26日は苗年の初一。
朝から老板娘がもち米を蒸している。
で、朝食は蒸したてのもち米にしてもらった。
塩を少しまぶしただけだが、旨い。
例によって朝食後トイレへ行って出てくると、老板娘が餅つきの碓を洗っていた。
碓は舟型。
この日は、阿陳は親戚のところへ行っていて不在で、餅つきは老板娘一人で行う。
餅をひっくり返す相方なしでどうやってつくのかなあ、と思っていたが、舟型の碓は細長く、つく場所をいっぱいに伸ばしてつけばひっくり返さなくてもいいようだ。
つきはじめるちょっと前に村のほうで表演の始まる合図の花火が上がっていたので、餅つきは最後まで見ずに村の方へ向う。
午前中の表演が終わって旅館へ戻ると、丸餅が干してある。
直径10〜15cm。けっこうでかい。
昼食は、早速そのお餅にした。
炭火で焼くかと思ったが、塩を少しふって油で焼いてくれた。
油ですこしくどくなるが、餅は甘みがあっていい粘りで旨い。
この後何度かこのお持ちを食べたが、阿陳は炭焼きと餅を小さく切って茹でて砂糖を加えてしるこのようにして食べさせてくれた。
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貴州2日目の11月25日は、郎徳上寨は苗年の大晦日で、1年飼育してきた豚をつぶす「殺猪(さつぅ)」の日。
私は朝飯を食べてから母屋から離れたところにあるトイレへ行き力んでいると、壁のすぐ向こうでブヒー・ブヒーと豚が大きな声を出すのが聞こえて、私が外へ出る頃にはすでに血抜きが終わって、体にお湯をかけて毛をこそげ取る作業に入るところだった。
前日雷山で鼓蔵節の催し物のスケジュール表をもらって、この日の午後に雷山で市内行進があるということで、郎徳上寨の村を一回り散歩してから雷山へ向った。
郎徳上寨ではあちこちで「殺猪」している光景に出会った。
雷山の開幕式の式場になる競技場の前には、デーンと、シンボルの巨大な銅鼓と水牛の像がある。
行進は14時から、ということであまりカメラマンのいない場所を選んで行進を待った。
子供たちはどこへ行っても可愛いが、民族衣装を着た子供たちが可愛い姿で歩いている。
1時間ばかり待つと、行進の一行がやってきて、目の前が銀飾の牛角でいっぱいになった。
銀飾の鈴の音が心地いい。
開幕式は有料入場券が必要で、売り場も無くすでに売り切れているようで、私は行進を見て郎徳上寨へ帰った。
行進を待つ間会場近くをぶらついていると、「娃娃鱼(わあわあゆい)」の展示をしていた。
娃娃鱼って何だろう、とのぞきに行くと、それはオオサンショウウオ」であった。
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11月24日午後、雷山で鼓蔵節の開幕式を見たが、後で大きな看板で25日が開幕式であることを知り、どうも24日は最終リハーサルであったらしい。
いずれにしろ、開幕式は入場行進の後、長卓飯や鼓蔵節の儀式、色々な踊りなどの表演があった。
17時半ごろ式は終り、バスセンターへ向う。
切符売り場にはけっこうな人が並んでいて、やっと窓口にたどりつき、郎徳、というと、切符はない、という。
まいったなぁ、と外へ出てバスの出入りを見ていると、10分ぐらいして郎徳からのバスがやってきたので乗り場へ行くと、運転手が切符を買ってきてくれ、というのでまた窓口に戻った。
幸い、旅館の老板娘と娘さんが窓口にいて、切符をうってくれない、というので、今郎徳の面包車が来た、というと、彼女がその旨切符売り場のおばさんに伝えて、切符を買うことができた。
座席はすぐに満席になり、旦那の阿陳は次のバスで帰ってくることになる。
この日は、広西から写真撮影の旅行にきている夫婦と貴州の大学で「フランス語」を教えているイギリス人教師とその教え子2人もこの旅館に泊まり、晩御飯は時間が遅いので皆一緒に鍋を囲んで酒宴になった。
旅館の主人夫婦は芸達者なので、苗族の客を迎える酒歌を歌ってくれて、この場合、客も返歌を歌わなければいけないので、私も久々にテレサテンの「月亮代表我的心」を歌ったが、歌詞はいいかげんになってしまった。
初日から宴会で、楽しい旅の始まり。
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貴州といえば苗族の牛角の銀頭飾の民族衣装が印象的で、一度は銀色の牛角が林立する様を見てみたいものだと思っていた。
貴州へ到着した1日目、郎徳上寨の農家旅館へ入り、午前中は郎徳上寨の銅鼓坪で表演を見てすごしたが、旅館へ帰って主人夫婦と話をする中で、ちょうど24日〜29日まで、郎徳のある雷山県の県庁所在地である雷山で13年1度(干支で一回りするので、数えの13年、満では12年)の鼓蔵節があり、24日午後にはその開幕式がある、と聞き、郎徳上寨から雷山までは面包車があるのでそれで行くといい、といことで、昼飯後雷山へでかけた。
面包車は不定期でなかなか来ないが、1時間ほど待ってやっと乗ることができて、約30分で雷山に着く(5RMB)。
面包車は開会式の行われる陸上競技場の前で止まってくれて、会場はすぐわかった。
この日は入場無料で15時ごろから30分間ほどの入場行進が始まった。
雷山各地の苗族を中心に広東やアメリカ在住の苗族の人々も参加しているそうで、念願の林立する牛角銀頭飾をまのあたりにして感動した。
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