|
「中国古鎮遊」というガイドブックで、「加去」という苗族の村で2000年12月に「鼓蔵節(くぅつぁんじえ)」という12年に1度の大祭があった、という記載があり、今年は2012年、今年その大祭があるかどうか確認しようと加去へ行くことにした。
10月12日早朝、榕江のバスセンターへ行くと、ここからはバスはでていなくて、9月の旅で訪れた摆贝という苗族の村を訪ねた時に乗った面包車が発着するところから「加两(ちありゃん)」行きのバスに乗れば途中加去に寄ることがわかった。
バスは9時発で、2時間足らず、11時前に加去に着いた。
加去は、谷合の川と街道沿いに家が立ち並ぶ小さな村だった。
バスを降りたところに小さな売店があってそこに中年のおじさんが2人いたので早速「鼓蔵節」に聞いてみたが、以前やってもうとうぶんやらない、との答え。
そういえば、ガイドブックにも50年ぶりに開催された、と書いてあった。
水牛をたくさん生贄にささげ、ずいぶんお金がかかる祭りで、12年ごとでは経済がもたないらしい。
ここでも藍染綿布を打つ音が響く。
藍染は大きな鍋で加熱して行われていた。
普段着の民族衣装はカラフルだ。
老人の衣装は黒っぽい。
門口には、道教のお札のような厄除けの札が貼られている。
水車で田圃へ水をくみ上げている。
帰りのバスは13時半ごろ加去を通るとバスの運転手が言っていたので、それまで村から川の上流へ向って歩いた。
街道をしばらくいくと、谷へ降りる小道があったので行ってみると、大きな木の根元に石を積んで作った小さな祠があった。
祠の内には石が祀られている。
谷まで下りると小さな橋があり、石のベンチもあったので腰をおろしてのんびりとバスの時間を待った。
|
見る
[ リスト | 詳細 ]
|
10月19日、榕江近くの「加去(ちあちゅい)」という苗族の村へ行くために、肇兴から早朝7時発のバスで榕江へ移動した。
近くといってもバスで2・3時間かかるところなので、とりあえず榕江のバスセンター近くの賓館に入る(110RMB/泊)。
前に榕江へ来たときにタクシーの窓から「・・・・歴史陳列館」と掲げた建物を見たので、この日はそこを訪れた。
しかしここは少数民族に関する歴史の陳列かんではなく、「中国工農紅軍第七軍軍部旧址」ということで、紅軍がここ榕江城を攻略したときの資料館になっている。
庭のガジュマルが美しい。
資料館のパンフレットに榕江の地図も記載されていて、「苗王廟」と「火神廟」があることを知り、訪ねてみた。
榕江の街並は「都柳江(とぅりゅうじゃん)」という大きな河の西岸に南北にひろがり、その西側の山並みの中腹、街を見下ろすところに両方ともある。
まずは、街の南の端のほうの山にある「苗王廟」へいく。
苗王などの廟が北東向きに並んでいるが、その前に独立して土地神を祀る祠が南東向きにある。
苗王像の横に壁を隔てて黄金色の像があり、これは財神であるらしい。
榕江は古くから鎮守府があり、漢族と苗族・侗族などの少数民族がいっしょに住んでいたところなので、道教や仏教も習合して、観音様や弥勒などの像も並ぶ。
仏像が並ぶ脇に、「石」も祀られている。
廟の壁に、現世利益を求めるために「南無阿弥陀仏」と唱えるように勧めている。
山から下り街路を北へ、そしてまた山を登る。
火神廟の位置はわかりにくく、何人もの人に道を聞く。
教えられた道を登っていくと道に面した壁に何かが祀られているようなところがあって、そこが火神廟とは知らず通り過ぎてしまった。
しばらく行っても人家しかなく、人家がなくなるところにおばさんがいたので場所を聞くと、すでに通り過ぎてしまっているよ、と近くにいた子供が案内してくれた。
さっき通った壁に祀られていたところの上方に火神廟の建物があった。
廟の入口には土地神の祠がある。
廟の内は四間に分かれていて、肇に苗王が祀られている。
ここで苗王の名前がわかった。
中央が苗王の「孟获(めんふお)」、向って右が「沙摩柯(さぁまか)」、左が「乌弋王(うぅいわん)」。
向って一番左の三頭六種の像は、「山王公(さんわんこん)」。
次の間には火神が祀られている。
次の間は観音様。
最後の間には弥勒を中心にして、仏像や道教の神様が祀られている。
火神廟の建物の外にもいくつも祠があって、色々な神が祀られている。
火神廟の屋根に「鳥」がついていて、ちょうど日暮れ時の拝礼の時間らしく、管理しているおじいさんが線香をあげていたので、そのいわれがあるかどうか聞いて見ると、以下のように私のメモ帳に書いてくれた。
「和平鳩。象征天下衆生和気平安吉祥。」
苗族と鳥との関係を聞けるかと思ったが、平和の象徴の鳩、とは私にとっては意外な答えであった。
|
|
18日、お葬式を埋葬まで見学してから昼飯にしようと泊っている旅館へ戻ると、おばさん達が蜂の巣から蜂の子を取り出していた。
ここのメニューで一番高いのがこの蜂の子で、一皿85RMB。
日本では佃煮を何匹か食べたことがあるが、ここでは炒った蜂の子がお皿いっぱいに盛られてでてきた。
香ばしく、ほんのりと甘みがありけっこうおいしい。
西紅柿蛋湯(しぃほんすぅたんたん)というトマトと卵のスープ(12RMB)も頼んでご飯を食べる。
一休みしてから13時ごろ肇兴 の西南2kmほどの山の中にある「紀堂」へ登った。
舗装道路から山道の旧道を登り、1時間ほどで村へ着いた。
村の入口には大きな寨門がある。
そこからもう少し登った村の入口に「萨温(さぁうぇん)」という大祖母「萨玛(さぁまぁ)」に次ぐ二祖母を祀る小さな廟があった。
紀堂には3つの鼓楼があるそうだ。
上部の八角楼が美しい。
最初に行き当たった鼓楼の近くに、大祖母「萨玛」を祀る廟がある。
次の鼓楼は戯台と相対していて、鼓楼の脇に売店があって、コーラで一休み。
鼓楼の正面には龍の飾りと海産魚のような水生生物が描かれている。
「水路平安福」を願う札が掲げられている。
村のおばさん
田圃には手作業で発酵牛糞肥料を入れている。
紀堂をさらに登ったところに「登江(だんじゃん)」という村があり、紀堂の村境に土地神が祀られている。
そこから少し堂江側には「五龍堂(うぅろんたん)」という「檐公(やんこん)」を祀る廟もある。
建物は覆屋になっていて、内に1889年に建てられたという古い廟がある。
太鼓が吊るされていて、これにもお魚が描かれている。
廟の前に竿が立てられていて、その先端に木彫りの尾長鳥がつけられている。
堂江には鼓楼は一つ。
村のはずれの小高いところに「萨玛壇」がある。
ここでは旧暦の毎月一日と十五日に祀りの儀式をおこなっているそうだ。
肇兴へ戻る時に道を間違えてしまって山を下っていくとまた土地神を祀る祠に行き当たる。
来る時はこの祠には行き当たっていないので道を間違えたことがわかりまた紀堂の村へ戻り尾根の逆側へ降りる道を行くと来たときくぐった寨門に行き当たってほっとした。
そして肇兴を望むところまで来ると、村が西日にあたって輝いていた。
|
|
翌18日は早朝から爆竹の音が聞こえてきて、断続的に爆竹が鳴るので見に行くと、智団鼓楼でお葬式が行われていた。
侗族の葬送文化をみることができるいい機会なんで終りまで見物させてもらった。
家族単位か、一族単位かで弔問客がそれぞれ数人〜十数人でやってきくる。
一団の弔問がすむごとに爆竹が鳴らされる。
お棺は、船形木棺で、侗族は本来海の民であったことがうかがわれる。
あわてて旅館へビデオカメラを取りにいき、この日は村の西の山に埋葬されるまで見物した。
埋葬地から村へ戻ると、参拝者に「長卓」で食事がふるまわれていた。
終わったのが昼飯時で、私も旅館へもどって、昼食にした。 |
|
翌17日はすばらしい快晴で、肇兴 の東方、山道を4kmほど上ったところの堂安という村へ行くことにした。
村を東に抜けると田園がひろがり、川沿いの道を行く。
川の道が突き当たると山へ登る道になる。
山道ですれちがったおばさんは携帯電話で話をしながら歩いてきた。
通信網はけっこう整備されていて、私は中国ではポケットWifiを350RMBで買って、1分0.1RMBの使った分契約をしているが、貴州の山の中でもつながるので農家旅館に泊ってもネット接続は問題ないし、山の中では現在位置の確認に重宝している。
山道のところどころ視界が広がるときの景色はすばらしく、谷をはさんだ向こうの山の斜面の小さな村にも鼓楼があり美しい眺めだ。
1時間ほどで「檐公(やんこん)」を祀る廟にたどり着く。
この神さまは、説明板によると、侗族地区の主要神祇で、その祠に参拝して平安を祈り、吉凶を占い、願いがかなうと「还愿柱(はいゆぁんちゅ)」という棒を奉納するのだそうだ。
廟のなかには、土地神と思われる男女神と彩色された像が2体。
一番大きな像が「檐公」だろうか。
この廟の近くの家にも石敢当。
檐公廟から少し上ると鼓楼のある村に到着した。
そこが堂安かと思ったが、この村はまだその下に位置する「厦格(しゃあか)」という村だった。
村の入口に土地神の祠があったが、中は何も無い。
せっかくだからしばらく村の中を散歩した。
ここでは、小米(アワ)も干されている。
「将军箭(じゃんじゅんじゃん)」と書かれた道しるべもあったが、これは子供の厄除けであるらしい。
堂安へむかう道が草の刈られたところになると、そこは墓地になっていた。
墓は、北北西を向く。
ここからまた1時間ばかり山道を上り、堂安に到着した。
鼓楼の正面には龍の飾りと蝦や蟹、魚など水生生物が描かれている。 鼓楼の周囲には土地神の祠や戯台、泉、侗族の先祖神である「萨玛(さぁまぁ)」を祀る廟がある。
土地神の祠には三角形の石が祀られている。
村の周囲は棚田で囲まれている。
村でのスナップ。
石敢当とは違った石標もあった。
資料館もあって入館料が5RMB.
パネル展示がおもなものだが、本に無い情報を手に入れることができる。
村からの眺望はすばらしい。
はるか向こうの谷合に肇兴が見える。
肇兴は、「船形」に村が形成されているそうで、舳先は東を向いているそうだが、その姿がよくわかる。
帰りは立派な花橋の架かる道を下り、舗装された街道を歩いて帰る。
下って肇兴の手前で、肇兴の5つの鼓楼がすべてはいる撮影ポイントがあった。
今回の旅は秋ということで厚手の長袖シャツしか持ってこなかったが、この時期はまだけっこう暑くて、前日土産物屋で長袖の綿のシャツを半そでに切ってもらって買い、その隣の店のおばちゃんが、うちでも買ってよ、としつこく勧めたが、この日はその半そでシャツを着て快適にすごせたので、もう1着おばちゃんの店で買うことにした。
半そでにして、ポケットがついてなかったので、切り取った生地でポケットも左右につけてもらい100RMB.
この2着の半そで中国風綿シャツはこのあとの旅でもずっと役に立った。 |



