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貴州での4日目、8月31日に凱里から南へ約150kmに位置する「榕江(ろんじゃん)」へ向った。
凱里博物館で、榕江近くの「摆贝(ばいべい)」という村で、「鼓蔵節(くぅつぁんじえ)」という13年に1度行われる大祭の写真を見て、現地へ行って次はいつあるのか確認してこようと思った。
ガイドブックには、榕江までバスで6時間半かかると書かれていて、これは日帰りは無理と判断して、榕江近くの侗族(とんすぅ)の村、「車江三宝侗寨(ちょぅじゃんさんぱおとんざい)」があるので、そこで2泊することにした。
しかし、バスは高速道路を通るようになり、3時間半で榕江に着いた。
榕江のバスセンター前でタクシーに乗り15分ほどで「車江三宝侗寨」につき(25RMB)、この村を象徴する鼓楼(くぅろう)のすぐ近くの農家旅館(1泊60RMB)に落ち着いた。
この村は川沿いの平地にあり、山中の苗族の村とは雰囲気が異なる。
写真の右手の3階建て木造家屋がその旅館。
摆贝へは次の日に行くことにして、昼時についたのでとりあえず飯にしようと思ったが、近くに食堂がなくて、川向こうの農家料理店へ行く。
昼食後は、村をぶらつくことにして、まずは橋の脇に多分土地神を祀っていると思われる、日本で言えば道祖神のような石像を祀る小さな祠をみつけた。
別のところでも同じような祠があった。
川べりには大きな榕樹(ガジュマル)の木が並び、いい雰囲気。
いくつかの榕樹はご神木としてか祀られている。
村の入口にも大きな榕樹がある。
鼓楼のある広場は川沿いにひろがる村の真ん中にあり、私の泊った旅館の向かいに侗族の祖先神である「萨玛(さぁまぁ)」を祀る廟がある。
村の中には吊脚楼や石造の建物も多いが、本来は平屋が多かったんじゃないかと感じた。
門口の魔除けは、苗族とは違って道教のお札と思われるものを貼っているところが多い。
「鬼」とかかれて、手形のようなものが押された板が門の横に掲げられているのを見つけたが、これも魔除けだろうか。。。
この村では「綿」を栽培しての綿織物が盛んであるようだ。
また違う橋を渡って川向こうへ行く。
養魚池のほとりに高床建物があった。
川向こうは建築中の家が多く、現在開発中であるらしい。
建築中の家はみな吊脚楼式で、その骨格がよくわかる。
新築中の梁や柱には、厄除けのお札が貼られている。
新築の家の屋根に、鳥の飾り瓦をみつけた。
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見る
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貴州3日目、凱里から東南へバスで約1時間ほどのところに位置する苗族最大の村である「西江(しぃじゃん)」へ行った。
西江には約1300戸、5400人規模の苗寨で、かなり観光開発されていて、入村料100RMBが必要。
バスは、村の入口の1kmほど手前が終点で、そこに西江へ入村するゲートがあって、そこで入村のチケットを買う。
私がそこに着いた時に何か映画の撮影をしていて、民族衣装の美しいお嬢さんを写真に撮ることができた。
このゲートから5RMB払って村の入口まで移動車に乗っていく。
西江に村は谷川の両側の山の斜面にひろがっている。
村の人口が多く観光化されたところであるためか、川の水が若干濁っていて、郎徳上寨の清冽な谷川のような美しさを感じない。
メイン道路の両側は土産物屋が立ち並んでいるが、山の上に続く路地に入ると、観光客はほとんでいなくなって村の日常を見ることができる。
ここでも各家の門口には魔除けのまじない物がかかげてある。
山の頂上近くに、銅鼓が祀られていた。
村をはずれると、田圃と棚田がひろがり美しい。
11時から表演があるということで、川沿いの広場に戻った。
この日は、ビデオカメラを持ってこなかったので、残念ながら音を録ることができなかった。
老年合唱団が印象的だった。
表演は30分ほどであったが、なかなか楽しい雰囲気で、入村料の100RMBも、これならいいか、と思わせてくれた。
牛雑(牛の内臓)の鍋を食べて、規模は小さいが西江の苗族の民俗の展示が充実している博物館をみてから、博物館前の広場のベンチに座って行きかう村人たちを眺めてすごす。
餅つきをしてつきたての餅を食べさせてくれる屋台がいくつも出ていて、私もおやつで1つ買って食べた(3RMB)。
餅は「糍粑(ちぃばぁ)」といい、甘い味をたのんだら、中に砕いたピーナッツをくるんで黄な粉をまぶしてくれた。
村の片隅に村人用の市場があって、いろいろなものを売っていたが、刺繍用の糸のグラデーションが印象的であった。
ベンチに座って休んでいると見知らぬ女の子から、さっき昼食の店であいましたね、と声をかけられ、ほかにも貴州滞在中に、貴陽の駅でみましたよ、とか、昨日闘牛場で写真を撮ってましたね、とか3箇所で身に覚えのないところで私を見た、といわれて、ドッペルゲンガー、永遠の1/.2、体験をした。
この日は1日じっくり楽しんで、17時のバスで凱里へ戻った。
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今回の旅は、中国のガイドブック「貴州自助游」を参考によると、日本の新嘗祭にあたる「吃新节(つぅしんじえ)」が凱里市内で旧暦7月13日にある、と書かれていて、その日は新暦の8月30日にあたるのでそれに合せて凱里に入った。
ホテルに着いてすぐ受付の女の子に、吃新节はどこであるの、と聞くと、もう終わったよ、との返事。
電話でどこかへ聞いてくれて、吃新节は各村々で違う時期に行われるので自分で行って確かめるしかない、ということで、貴州2日目は、凱里からそんなに遠くない、南へ28kmに位置する「郎徳上寨(らんたしゃんざい)」へ行くことにした。
バスセンターはホテルから歩いて5分ほどのところにあり、8時前に行ってみると、郎徳上寨へのバスは7:30〜17:30まで1時間に1本あり、私は8:30のバスに乗ることができた(9RMB)。
凱里は北・東・南は山地になっていて、バスは郊外へでると山の中を走る。
途中、「南花苗寨」など苗族の村を通り過ぎて1時間ほどで郎徳に到着する。
郎徳は、上寨と下寨とあって、上寨の風雨橋のたもとが終点になる。
風雨橋を渡るとそのたもとに、石を祀る小さな祠があった。
橋を渡って村の写真を撮っていると、モップを川へ洗いに来たおばさんが、お昼ご飯はどうするの、農家旅館をやっているからうちで食べないか、と言うので、何かの縁だろう、とそうすることにして、とりあえずその農家旅館へ行って一休み。
川をはさんで郎徳上寨の対岸の田圃に囲まれた中にあり眺めもよくて気に入った。
昼食の予約をしてから上寨の村の中を歩く。
村は山の斜面に沿って建物が建てられ、その中心に祭が行われる「銅鼓坪(とんくぅぴん)と呼ばれる広場がある。
この地域の苗族の住居は「吊脚楼(てぃあおじぁおろう)」という2階部の柱が宙に浮いている様式で有名で、この様式は今も流行っているようで、このあと色々な村へ行ったが、新築の建物はほとんどこの様式で建てられていた。
石畳の道は山の上のほうへ続き、上からは草やサツマイモの葉っぱを担いで村人が次々に降りてくる。
茅を刈っているおばあさんに聞いて見ると、こうして刈ったものは牛の餌にするとのことだった。
各家の角口には、「口嘴标(こうついぴぁぉ)」と呼ばれる魔除けのまじないものが掲げられている。
村をひとめぐりして農家旅館へ戻り、頼んでおいた料理と米焼酎(半斤;250g)で昼食にする。
昼食の目の前の眺め。
田圃の緑がすがすがしい。
米焼酎でいい気持ちになって、吊脚楼につきものの見晴らしのいい部屋にある「美人靠(めいれんかお)」に横になり一眠りする。
「吃新节」について聞いて見ると、9月3−5日にある、ということで、それじゃあその日に2泊3日でここに泊るのを予約した。
帰り道、川沿いの遊歩道脇の畑に茅をしばって刺した「立ち入り禁止」を表す「草標(つぁおぴぁお)」も見ることができた。
凱里へ戻ると、ホテルのある横丁の路地で線香をあげて黄色の紙を燃やしてお祈りしていたが、この日は旧暦の7月12日で、盆の迎え火だろうか。。。。
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日本の古代史に興味があって神社やお祭り巡りをしているが、かねてから、日本の弥生文化と同源と考えられている中国南西部の少数民族を訪ねたいと思っていた。
自由な時間もとれるようになり、まずは貴州省の少数民族を訪ねるため8月27日、凱里へ向った。
25日に義烏の汽車の切符売り場へ行き、1等寝台の切符を購入。
下段は売り切れで、上段のベッドの切符が手に入った。
列車の到着が20分ほど遅れたが、まずは義烏を出発。
1等寝台というのは1ブロック4ベッドで、2等寝台の1ブロック6ベッドよりは上段の場合ゆったりしている。
食堂車で食事をするのを楽しみにしていて、晩食・朝食の2度食べたが、きわめてまずく、次回、長時間乗るときはカップ面を準備したほうがよさそうだ。
凱里には翌日の12時すぎに到着、タクシー(25RMB)で予約しておいたホテルへ向う。
ホテルは、インターネットで予約しておいた1泊98RMBの「新磨坊连锁酒店」。
このホテルを拠点に15泊(約2万円)予約しておいた。
ホテルは繁華街近くで、昼食は土鍋で炊いた炊き込みご飯を食べて、まずは博物館へ行った。
博物館は旧市街の中心の道路の突き当たりにどぉんと建っている。
入館は無料。
展示物は古いものは少ないが、貴州省東南部の少数民族についての情報が満載。
中央ロビーに展示されている銅鼓・木鼓・柱に水牛の角そして芦笙(るぅせん;楽器の笙)がこの地の少数民族の文化をよく表している。
この日は、15時過ぎに入館して、販売コナーで色々な本を見ているうちに結構時間がたってしまい、17時閉館で、全部を見ることができなくなって、後日再度参観した。
凱里は、「酸辛魚湯」という料理が有名だが、私は、酸っぱい、辛い、は苦手なので、それは食べずにおいて、晩食はホテル近くの夜宵街で串焼きにビールが定番になった。
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昼飯を食べてから「大慈寺」へ向った。
大慈寺の入口は、人民東路から東へ続く蜀都大道に面しているがこれは本来は裏口。
後で正面の門のほうを見に行ったが、こちらは再開発で古い建物はすべて壊されてしまった後で工事現場になっていて、中には入れなかった。
そんなわけで、寺の山門は閉じられていて内からは外に出られない。
山門を入ると、尾張の多くの神社でみられる「蕃塀(中国語でなんというのかはわからない)」がある。
大慈寺は、かつては「震旦第一叢林」といわれ、魏晋の時代に建てられたそうで、唐の武徳5年(622年)三蔵法師玄奘はここで受戒したそうだ。
伽藍は、山門殿・弥勒殿・観音殿・大雄宝殿・蔵経楼と並ぶ。
ここは、堂内の写真撮影もOKで、どのお寺や道観にもあった財神の「関帝像」の写真をやっと撮ることができた。
大慈寺へ着いたのが2時ぐらいで、参観チケット売り場で14:30から「大慈・梵音」というショーがあるということで、それも参観することにした(120元)。
参観者は関係者ばかりで、チケットを買っての参観は、私と親子連れの二組だけのようだった。
蔵経楼の中で、「諸仏海会」「仏心法要」「玄奘受戒」「禅心慧水」「大非神咒」と演目は厳粛な雰囲気で進む。
最後に天女の舞と生きた観音様に穢れた体を清めてもらい30分ほどのショーは終わった。
この寺には露天茶座があり、わたしもここでジャスミン茶の「花毛峰(6元)」で一休み。
地図を見ると、大慈寺の南東方向に「牛王廟」とでているので、面白そうだな、と歩いていったが、そこは「牛王廟」という地下鉄の駅があるだけで、「牛王廟」はなかった。
土地の人に聞いても皆地下鉄の駅を指すだけであった。
どっと疲れて、地下鉄で市中心部へ戻ろうと思ったが、これはまだ工事中で開通しておらず、とりあえず鉄道駅へ向うバスに乗り、バスを乗り継いでとりあえずホテルへ戻る。
晩飯は再度「陳麻婆豆腐」へ行き、家鴨のロースト(36元)と豆花(16元)と麻婆豆腐(12元)、勿論ビール(10元)と白酒(20元)の小瓶も飲む。
家鴨はビールで、辛い麻婆豆腐と清淡な豆花は交互に口に入れて、こちらは白酒で豆腐を堪能する。
翌日は朝は渋滞がすごいので、早めの7時すぎにホテルをチェックアウトして、タクシーで空港へ向う(78元+高速代10元)。
空港で朝食にしたが、入ったレストランの朝食メニューは麺のみで、これが68元、ミルクか豆乳かいりますか、というので、豆乳を頼むと、これが30元。
空港内はこんなに高いか、とおどろかされた。
飛行機は10:50で、13:30、無事義烏へ戻った。
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