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東寨からバスが通る街道に戻り、八寨のうちあと2つはけっこう遠いのでここでバスを待って帰ろうかと思ったが、せっかくだから、とまずは吉昌寨へ向かった。
大寨を過ぎて河の上流方向へ少し歩くと、素朴な風雨橋がある。
橋を渡って山の上のほうへ向かって歩く。
山では茶が栽培されている。
茶の花もちらほら咲いている。
橋から、30分ほど歩いて村に到着。
谷を挟んで山の斜面に家が建つが、谷の村の中心に鼓楼がある。
シンボルはここも鳥だが、彩色されて、水鳥のような感じ。
鼓楼の中は、老年の人たちの憩いの場になっている。
棟上の飾りが残っている。
鼓楼の横、村のほうへ上る口に、あっかんべぇーと悪霊を退散させる石敢當を見つけた。
入り口斜面には、たぶん土地神さまを祀っていると思われる祠もあった。
祠の内中央には、お皿に油が入って祀られていて、「火」を祀っているようだ。
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見る
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大寨の町並みに続いて、東寨がある。
村への入り口すぐに鼓楼が建つ。
ここのシンボルも鳥。
鼓楼の中に、小さな木鼓が置いてある。
鼓楼前の広場の右側に「飛山廟(ふぇいさんみゃお)」がある。
建物脇の解説石板によると「楊再思(869-957)」という英雄、唐代末に活躍した「飛山蛮」の首領を祀っている。
楊再思は、「飛山太公」とも呼ばれているそうだ。
張芸謀監督、章子怡主演の「十面埋伏(Lovers)」で、「飛刀門」という唐代末の反乱組織がでてきたが、「飛山蛮」がモデルかもしれない。
村は、山の斜面にひろがる。
村の中でも茶が栽培されている。
村から街道沿いの方を臨む。
村の女の子
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平坦寨から岩寨へ戻り、そこから大寨へ向かう。
大寨は、川を越えて、林渓へ向かう街道沿いにあり、川には「普済橋」が架かる。
橋のシンボルは、中央には、瓢箪壺と左右にお魚の造形。
そしてシャチホコのようだが、どちらかといえば「お魚」と思われる飾りも付く。
橋の内には、財神が祀られている。
その向かいには、武財神の「関公」か?
橋の両方の入り口には、土地公と文財神と人面魚体の怪物に乗った神様が祀られている。
ここでも橋の修理の寄付を募っていて、私は小銭が4RMBしか残っていなかったのでそれを寄付する。
橋を渡ると街道で、米粉の店があったので昼食とする。
代金は4RMBで、100RMB札しかなく、ごめんね、鼓楼や風雨橋の寄付で小銭がなくなってしまったんだよ、というと、笑って納得してくれて、よその店に小銭に両替に行ってくれた。
大寨というだけあって、大きな家が並ぶ宿場町のような感じ。
村の中心には、ここにも鼓楼がある。
この鼓楼は、戯台もかねているようで、舞台は娯楽場にもかねているようだ。
鼓楼のシンボルは、鳥。
屋根には、鳥と龍の飾りが付く。
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岩寨の中を流れる川を遡り平坦塞へ向かう。
岩寨を抜けるところには、小さな風雨橋が架かる。
橋を渡って、田んぼのあぜ道をしばらく歩く。
道は、途中で舗装道路に合流して、もうしばらく歩いて平坦塞に到着。
村に入って正面では、鼓楼の建て替えをやっていた。
戯台の中に旧鼓楼と新鼓楼の絵が貼ってあった。
古い鼓楼は、ずんぐりしていて、新しいものはスラッとして、古いものの形をそのまま再現するものではないことを知る。
骨格ができあがっていて、すでに棟上のお祝いをした後らしい。
侗族は、鼓楼や風雨橋、家などの木造建物は、釘を使わないで、貫を使った木組みで造る。
しばらく大工職人の仕事ぶりを眺めてすごす。
龍をかたどった墨壺。
ここでも、鼓楼新築のための寄付を頼まれ、20RMBを寄付する。
ここでは、立派な領収書をくれたが、やはり、石板に名が刻まれるそうだ。
日向ぼっこをするおばあさん。
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平寨で表演を見たあと、少し戻るような道筋で岩寨へ向かう。
平寨と岩寨に間に、「萬寿橋」が架かる。
橋の中央には、ここでも「関公(かんこん)」が祀られている。
赤ら顔ではないが、長刀を持っているので関羽であろう。
その左右には、赤ら顔の関公や財神、福禄寿んの「寿星神」が祀られている。
橋の両入り口には、土地神と観音(?)が祀られている。
橋のシンボルは、中央に瓢箪壺、左右に、葉っぱの挿された壺。
岩寨には、大きな岩寨鼓楼が建つ。
鼓楼は、小高い所にあり、その下方には泉が湧いている。
鼓楼の向かいには、戯台が建つ。
ここも屋根には鳥の飾りが付く。
鼓楼の内の火処では、老年の人たちが憩う。
ここでも、鼓楼の修理費の寄付を募っていて、私も20RMB寄付したが、ここでは石板に寄付者の名前が刻まれるとのことで、私も石板の3文字区画のなかに筆で名を残した。
しかし、あまりに字が下手で恥ずかしかった。
岩寨のもう一方の入り口には、寨門がある。
小さな風雨橋も架かるが、こちらには神様は祀られていない。
村のはずれに、「岩寨老鼓楼」もあった。
「老」ということで、昔の鼓楼は、何層もある大きな建物ではなかったようだ。
鼓楼のなかではおじいさん達が憩っていたが、おばあさん達は外で火鉢を囲んで憩っていた。
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